20240813

日記432

探訪

2024/08/9 四日前
在宅勤務。仕事後に渋谷まで出かける。渋谷キャストで盆踊り。規模の小さいお金のかかった盆踊りという感じでライト層向けだったのだが、DJでっかちゃんの巻き込む力がとくに優れていることを実感した。数々の巻き込むことに失敗した盆踊りと御同様とはなっていなかったのは彼の功績によるところが大きいと思った。ちょうど踊り終わりのタイミングで群衆のスマホから一斉に地震速報が鳴り響き、会場がどよめいた。南海トラフ地震の注意報というのも発令されているようだ。何も起こらなければいいが、というのはいつか起こる以上適切ではなく、ほとんど被害なしで乗り切れればいいがという望みになる。そのための第一歩として緊急時の決め事を決めたり、避難袋などの用意をおろそかにしないことだ。
盆踊り後に池ノ上に移動して旧居跡を見る。今は更地になっていて、友人はこんなに広かったっけ?と漏らしていたが、自分は逆にすごく狭い土地に暮らしていたんだなという気になった。
下北沢の晩杯屋で飲む。いつもどおり好き勝手なことを吹くにしても、下北沢の晩杯屋ではちょっとしっくりくるところがあってしまう。同じ啖呵を切るでも、啖呵壺に向かって啖呵を切るのではなんとなく気勢を削がれるところもあり、目に見えない気炎のサイズはだんだんしぼみ具合になってしまった。
それでもその後外で飲み直すことにしたらだんだん持ち直し、結局、平生のいい加減な論評をを公私を問わず加えあってから解散になった。

2024/08/10 一昨昨日
昼から赤羽に行って、友人の飼い猫のご機嫌を伺いに友人宅を訪う。本当にコミュニケーションとしての発声をよくする猫で、何を言っているのか言葉は明瞭ではないものの、感情の伝達には成功している。よく鳴く猫は、よく吠える犬とはちがって、会いに行く分にはリアクション多めという気がするから良いものだとこの日も思った。
近所の中華で昼飯を食おうという話になっていたが満席だったので仕方なく次善の蕎麦屋にいく。カレー南蛮蕎麦がおいしかった。
その後、久しぶりにUNOで遊び、友人の引越し先の街の話をして、夕涼みができる時間に河川敷まで散歩する。そこで江戸時代の地図が書かれた扇子を拾う。
日が落ちてからせんべろエリアで入れる店を探してみるも、いつものとおりどこも満席で入れず、いつもの文蔵で飲む。歓楽街を無駄にうろつきながらもう一本だけ飲み、赤羽駅前で解散する。

2024/08/11 一昨日
お昼を下北まで食べに行く。外に出るとわけのわからない暑さだったので錯乱して辛いものを食べたくなり、しかし辛いもの関係なくすぱじろうに入る。すぱじろうではちょっと辛そうなメニューを注文。細めのパスタで素麺風だったが、バルボアにだいぶ侵食されており自分は太麺のパスタが好みなのだと感じさせられた。その後待ち時間に少しだけ『戦争と平和』を読み進めて、本屋でニューヨークの旅行ガイドを買う。六ヶ月ぐらいチマチマやっていたGoogleのデータアナリティクスの講座を修了し、データのデータの修了資格を得た。
翌朝(と言っても午前二時だが)から海に向けて出発予定になっていたので十九時には寝る。

2024/08/12 昨日
人生で初、サーフィングにいく。彼女の職場の先輩が同学年なのだが、その人におんぶにだっこで連れて行ってもらった。海に入る前にレクチャーを受けて、ロングボードを持って海に入ったらあとは自分と海の世界という気持ちで臨んだ。
海の上でもレクチャーをしてくれて、さらに最初波に乗る感覚を掴むためにボードを押してくれたり、諸々の準備、行き帰りの車の運転、そういった現実に必要なすべてを整えておいてもらって、あとは自分と海の世界とは虫が良すぎるようだが、それでもそれをやりに行ったというのは間違いないところだと思う。ただ、体力のなさからほんの束の間部分的に達成できたにすぎないし、回していてくれた映像を見返すと、ふらふらとよろめきながら立ち上がるのがやっとという有り様で、全然経験なんかないのになぜか簡単に波に乗れる、という妄想は妄想で終わった。波を感じるということさえできればいいやという安全のために講じておいた二段構えの目標のうち現実的な目標の方は、ボードの上に腹ばいになって波を感じることで達成できた。目が水面のすぐそばにある低い体勢で、こちらに向かってくる波ごしに水平線を”見る”ということが、サーフィングという初めての体験のなかでもっとも心に浸潤するものがあるアクションだった。ボードの上に乗っかるためだけに体力を使って、疲れ切ってどれだけハアハア言っていても、そのときの景色は格別だった。ボードの上に打ち上げられた海藻のようにへたばって、つぎつぎに規則正しく向かってくる波をやりすごしている途中で見た水平線には、それをこちら側に伸ばしていくところに今たまたま”ここ”があるとも感じられ、揺られている身体が水平線の一部になったような感覚さえおぼえた。
疲れていると多くを感じたり考えたりすることができないというのもある。その中で無心に、というか放心して、水平線を見るということができたのは、水平線を見るとき特有の感覚を得るためのコースとして適切なものだったような気がする。そこに一体感があったような気がするというのは、そのときの感覚を思い出そうとしてみてそういう感じだったという記憶の中にあるリーズナブルな説明にすぎないが、帰ってきてくたくたになりながら寝る準備をして、あとは寝るだけと目を瞑ったとき、ついさっき見たように、縦になった水平線が瞼の裏に浮かんだとき、その映像はより確かな実感として残った。疲れからぐっすり眠って朝起きたときにもその映像はまだあった。そしてべつにそれでいいやという感じ方をした。それとは何なのか謎だから「べつにいいや」という感覚が一番近いかもしれない。書いていても何のことなのかわからないし、夢での感じ方に近い。
いや、思い出した。たしか寝る前に、虫や小さなカニの映像が浮かんで、気色悪さが襲ってきたのだったが、それを振り切って寝ようとする直前に、水平線の映像が嫌な映像の後に続いたのだった。それで「べつにそれでいいや」と思って寝て、起きたときにその感覚と映像が残っていたという話だと思う。

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