20240806

日記431

Lunch Line

2024/08/05 昨日
仕事は打ち合わせメイン。こなすべきタスクよりも優先度が高い打ち合わせなのだが自分にはわからないこと、わかっていても答えられないことを決めていく打ち合わせで、上空で勝手にばちばち戦っているのをぼんやり眺めているだけで終わった。こういう打ち合わせで主導的な立ち位置に立つことを考えると面倒だろうなとは思う反面、上空でやっていることを緊張して見つめるだけというよりはマシなのかもしれないと思ったりもした。しかし、わからないことがあるときに「ちょっとすいません、よくわかっていないのですが」というスキルは不可欠だ。どこのどの案件でもわからないことは絶対に出てくるのだから、あらかじめできるだけ知識を蓄えるということより、無い知識を打ち合わせで簡易に補える方法を学ぶほうが便宜だ。
そんなこんなであっという間に定時になり、疲れてしまったのですぐに帰ってご飯を食べる。友人とここのところ定例になっている通話をして近況を報告し合う。九時にはねむる。

2024/08/06 今日
前日早くねむれたおかげで早朝から目に見えて調子がいい。NY旅行のことで調べ物をする。合法とはいえ合法扱いではないものとそのまま違法とはならないものがあるということを知る。あとはトランジットのホノルル滞在をどうするか。
『戦争と平和』を読む。ピエールがカラターエフのほうを振り向かないようにしたこと、結論を頭に浮かべないようにしたことは、正しいか間違っているかはさておき、正しいことのように自分には思われる。
「もっとも困難な、そして幸福なことは、自分の苦しみの中でこの生命を愛することだ、罪なき苦しみの中で」という教えについてわかるわけではないが、「自分の苦しみ」というのは苦しみの限界ということになるのだろうか。限界が自分を規定する位置まで追い込まれたときに、無理に自分を変えて(自分にとっての自分を壊して)限界を超えようとしないことがもっとも困難だということなのだろうか。見たくないものを見ない、聞きたくないことは聞こえてくるがそれでも見たくないものは見ない、振り返らないという行動が、たとえどれだけ消極的なものに思えても、消極的に行動したくないという内心の焦りに呼応せず、自分の苦しみの中に留まること、留まろうとすることがこの呼びかけに含まれている内容なのだろうか。生きようとすることは、結論を知ろうとしないこと、能うかぎりそこから目を背け続けることなのだと思う。それは自分が考えていることと同じでもあるから、結局は牽強付会に解釈しているだけともとれる。神を信じず、信じようともしないで、ピエールの感じ方が理解できるというのはそもそも無理があることなのかもしれないが、それでもとくにカラターエフに関わる場面での彼の心の動きは理解できる。理解できるとしか言いようがない。

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