20240627

日記408

五叉路で集合

2024/06/26 昨日
閉館一五分前まで図書館にいて、霞が関から帰る。東北沢で降車し、氷結7%500を飲んで音楽を聞きながら歩いて帰宅。Reloadとミカンとボーナストラックを通るいつものコース。途中ドンキで4%500を追加する。家に帰ってからコンビニで買った納豆を食べる。酔っ払うとやってしまう行動のベストテンに入る就寝前の納豆喫食。できるだけはやく眠る。が、この日は三時に目が覚めてしまう。咳が止まらずそこから四時半までねむれず。咳止めの薬を飲んで無理やり眠る。もっとはやく判断したら睡眠時間を無駄にせずに済んだのに判断を誤った。

2024/06/27 今日
明らかな寝不足での目覚めだが遅滞なく出勤。『ヒロシマ・ノート』をkindkeで読む。仕事の忙しさが爆発しそうになってきた。忙しいこともあり眠くはならなかったが、そういうことじゃないんだよ。相談事をしたりメールで問い合わせたり、関係者に挨拶したり、仕事じみたコミュニケーションがどんどん増えてきた。オフィスの環境がとにかく良いから書き割りが上等な本格的コスプレみたいで演じていて面白い。残業が三〇分。吉野家で麦ごはん御膳を食べてからすこし趣向を変えて虎ノ門のスタバにいく。やることは同じ。日記を書く。
今年の春評。三月になると目に見えて寒い日が減っていき、結果的に例年よりも長く、過ごしやすく春らしい気候が続いた。当然雨が降ることもあったが、一週間降り続けという陰鬱な週はほとんどなかった。総じて良くできた春だった。だいたい五年に一度ぐらいの良い春だった。
小説を書くときにも自分の賢さを誇示したがって小癪な文章を書いてしまうことがある。賢さをアピールする場所はべつに設けておいて、小説にはそういった認められたいというかたちでのエゴが出ないようにコントロールしたい。
それにしても「賢く思われたい」というのは自分にとっては破滅的な心の動きだ。劇的に破滅するということにはならないが、遅効性の毒のようにじわじわと破滅を引き寄せる効果がある。賢く思われたいと思うこと自体が賢くないことの証になるという常識で考えてわかる顛末が待ち受けているにもかかわらず、自分の足で一歩一歩そこに近づいている。遅さに遅さを重ねていれば即アウトにはならないだろうと高をくくっている。しかし距離は着実に縮まっていくし、時間も過ぎ去っていく。たとえば、読んで頭が良くならない本は読むに値しないと真面目に考えている。しかし読んで頭が良くなる本など存在しない。あるとすれば読んでいたら頭が良さそうに思われる本だ。その観点で本を評価することはだんだん簡単になっていく。ある権威圏内の事情にどんどん詳しくなるからだ。そしてその観点で読む判断をして読んでいる本を読んでいるときには、ある部分での判断をまったく放棄してしまっている。だから映画を見ることのほうが、その良し悪しを判断する機構が曲がりなりにも働くことにはなるから、実際に頭が良くなることに寄与しているといえるかもしれない。賢さを志向するにあたって権威主義は避けられない。問題は権威主義がドグマティックになってしまいやすいことだ。賢さに連なる権威主義が陥る(権威が操る)ドグマはいかにもドグマらしくなく振る舞うことに長けている。だからある部分からは目で見て判断するのをそこそこにしておき、鼻を利かさなければならない局面に入る。現役のプレーヤーで真に知的な人物はひとりもいないと信じなければならない。ある時期に真に知的な営みをしていた人物も、そのまま知的な営みを続けるということはまずない(絶対にないと言ってもいいぐらいだが慎重を期すためにまずないに留めておく)。しかし、それでも作品を通して作者を見る場合には、その人が十分に賢いとみなすことはできる。固定化された作品は不動のものであるから、それ以降の愚かな動きに巻き込まれることはない。現役のプレーヤーはそうではない。生活者として正しいことをしようとするだとか、自分の作品からもたらされる影響力を良いと思うところに振り向けようとするだとか、それ自体としては決して批難される謂れのないことであっても、賢さという観点からは問題外になることは全然めずらしいことではない。現役でなおかつ良心的な人間であれば必ず、そんな問題など糞食らえという反応を示す。その反応はそれ自体間違っていない。しかし同時に、その反応は、パフォーマンスであるという側面を免れ得ない。行動には本人の信じる意味のほか、受け取られ方というものがついて回るからだ。そこで知らないフリをするか、無理にどうでもいいという態度をとるか、実際に気がつかなくなっていくか、厳しい三択を迫られる。問題があるのにもかかわらず、それをないものとみなすのは端的に間違いである。権威主義を避けるためには権威になる以外ない。自分の目線よりも上には何も置かないようにするという思想が権威になるためには必要不可欠だ。賢い/賢くないという判断をくだす位置について、用意、ドン。よーいドンである。

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