20240626

日記407

屋内テラス

2024/06/25 昨日
下北駅前で氷結を飲んだあと、王将に行って揚げそばを食べる。お腹いっぱいになりながらパンサー向井のラジオに野田クリスタルがゲストで出演している回を聞く。ダイエットは数字。知識は調べればつく。という当たり前といえば当たり前の金言が入ってきた。ダイエットに失敗するというのはごちゃごちゃ言い訳して習慣づくまでやらないだけの話というのはそのとおりだと思う。

2024/06/26 今日
今日はやらかしてしまった。久しぶりに行きの電車で座れたから霞が関まで『オリエンタリズム』を読んでいたらズボンのポケットに入れていたスマートフォンをふかふかのシートに落っことして気づかないまま下車してしまった。改札前で駅員に捜索を依頼し、そのまま改札を出してもらった。内心焦りながら焦ってもしょうがないのでそのまま出社。10時前に日比谷で見つかったとの報が入り一安心する。スマホがないと落ち着かないので昼休憩のタイミングで取りに向かう。東京の治安のよさは筋金入りだ。それにしてもスマートフォンを買い替えて一週間もしないうちに落っことすなんて幸先が良すぎる。ゼロストックTOKYOのズボンは座るとポケットから物が転げ落ちる作りになっているので、貴重品を入れるポケット使用はおすすめできない。これを履いているとき電車のシートに家の鍵を落としたことが二回ある。後ろポケットにはファスナーが付いているので鍵はそこに入れている。スマホもそうしたほうがいいかもしれない。
こんなミスをしておきながら何食わぬ顔で一日過ごした。話の種にしようかとも思ったが、端末を落下させ無くすことからイメージが落下するのはうまくないと思い直した。
定時三〇分過ぎで退勤。バルボアでナポリタンの大盛りを食べて図書館に行く。日記を書く準備をしたり日記を書いたりする。喉のいがいがはマシになっているが全然完治していない。
ハンバートハンバートという音楽ユニットがあるのを知っているが、ロリータを読むことでそれが少女を愛好する主人公の自称名だということに気づいた。どういう理由でその名前を活動名にしたのか気になるところだが、検索することはするまいと思ったので、ありえそうな理由を考えてみることにした。今のところ思いつかないがおそらく文学的な理由なのだろうという気がする。想像力にまつわる何かそれらしい理由。つまり文学的理由。
昨日見た『ホールドオーバーズ』が面白かった。見てから二十四時間経つが余韻がまだ続いている。ポール・ジアマッティの演技は素晴らしいというほかないが、アレクサンダー・ペインの演出も素晴らしい。ジアマッティの素晴らしい演技を引き出すのはやはり演出だろうと思う。とりわけこの映画を見る観客をぐっと物語世界に引き入れたのは、ホリデーシーズンの到来によって宿舎居残り組が食堂で食事を摂るシーンだ。議員の息子クーンツが寮の料理女メアリーについていかにもティーンエイジャーらしいこまっしゃくれた意見を言うやいなや、ジアマッティが驚くほど一瞬でブチ切れ、すごい剣幕でクーンツを叱り飛ばすというシーンがある。ここでのセリフは言い回しもよくて、「鶏小屋のハシゴ」というのはうまい喩えだが、それよりも何よりも、何に対して腹を立てるかというのが見えたときにその人のことがわかるというのがある。嫌われ者というのと嫌な人間というのはべつのことだし、ジアマッティは嫌われ者なだけで嫌な人間ではないというのが一発でわかるシーンだった。しかも同時に彼が難しい人間であるというのも表していて、それはジアマッティの演技からくるものなのだが、演技を最大限引き出すペインの演出がそれにピンスポットを当てていた。ふわふわとスロースタートし、その後雰囲気よく進んでいたところで急に人物の核心にズームアップするシーンだっただけに、その成否は作品全体の成功を左右するところだともいえる。ここで成功を掴んだからこの映画はその後のクライマックス近くでも突飛なことをやらずに済んだんだと思う。結果、甘いだけではなく、だからといって苦すぎもしない良いバランスで映画を締めくくることができ、一瞬の強い印象ではなく長く続く余韻を見るものにもたらした。
内容についての感想は「世代を超えた友情というのは良いものだ」というに尽きる。映画のメッセージなんていうのはそれぐらいのもので十分で、あとはそれをどうやって感じさせるかというところが勝負になるからそれで良い。それにそういうシンプルな感想を持てること自体嬉しいことだ。映画館で見ていると観客席のところどころで笑いが起きていてそれも良かった。ジアマッティが映画の観客としてめちゃくちゃマナーが悪いところなどは映画館で見るのが一番面白いシーンだったと思う。
職場に今月末で辞める人がいる。要領がいいとは言えないタイプで、どちらかといえばタスク全般があまり得意ではないんだろうなという人だが、仕事に対して真っ直ぐというか、自分の仕事をやり遂げることに人一倍思いがあるよう見受けられる。しかし同時に、その人から仕事を引き継ぐとき、その人がやるべきだったがやれていないことを「あとは頼みます」と、見ようによっては無責任、悪くとればミスの押しつけともとれないこともないやり方で引き継ぎをしようとしてくる。悪意からそうしているのではないのはやり取りをしていると明らかで、責任を回避したいというのが無意識に出てしまっているだけのようだ。実際、ミスについてはチャットでちょっと指摘するだけですぐ謝ってくるし、引き継ぎについても面倒くさそうな素振りひとつ見せず、むしろ積極的と言ってもいいぐらいの前傾姿勢だ。ただ仕事に向いていないというだけの話で、それとは関係なく仕事はきちんとこなさなければならないと思い込んでいるのがややこしいといえばややこしいところなのだが、自分にできることを精一杯やろうという姿勢には学ぶべきところがある。引き継ぎの一環で社内の登場人物に後任を紹介するという自分からは不要にみえるタスクを請け負ってくれたときのこと、以前一緒に仕事をしたときにミスをして迷惑をかけたというやや強面の人に対して、目に見えるほどはっきりと物怖じしながらそれでも、今月いっぱいで離任となります、今までありがとうございました、後任はこの人です、という必要な文章をなんとか絞り出せていて、それを横で見ながら立ち向かっているなあえらいなあと思ったのだった。その場ではとくにその人の助けになるようなことは言えなかったが、自分としても挨拶すべきといえばすべき人にとりあえずの挨拶はできたのでそのことの感謝を伝えつつ、苦手だったり嫌なことに立ち向かっていく姿勢について全面的にとは言えないまでも部分的にでも引き継ぎしようかなという気になった。多分その人はわりと年下なので感心している場合でもないし、どちらかといえば仕事の進め方を教えてあげるべきなんだろうけど、仕事に対して真っ直ぐな人に教えられることは何もない。もっといい加減にやればいいですよと仕事関係なく伝えられたらいいと思うが自分にとってのその人は、その人にとっての自分は、仕事関係の人なので難しいところがある。でもとにかく、何を伝えられても伝えられなくても、自分は今日困難に立ち向かう人を見た。今後の参考にさせてもらう。

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