20240623

日記404

視力

2024/06/22 昨日
武蔵野プレイスで『賢い血』を読み終わる。最終的に下宿屋のおかみが光を視るのは彼女の置かれた境遇によるところが大きい。ヘイゼルモーツが自らの清らかさを主張するとき、他人は蝿になる。彼は蝿に耐え忍び、蝿を救おうとするが、蝿の接近には我慢できない。その限界をどうにかして超えようとするが、ただ自らの忍耐力の問題に帰するのみで、蝿であると見做すことをやめようとはしない。彼の説く「キリストのいない教会」というのは問題のすり替えにすぎない。すくなくともキリストの有無というのは全然問題ではなく、問題はヘイゼルモーツの世界に他人が存在しないことだ。この問題は普通問題として現れないが、それを問題とする人には一生かかっても解けない問題として現れる。そして、ヘイゼルモーツのように、偽の取り組みやすい問題にすり替えてそれに対処しようとすることになる。結局のところ、どんな問題も自分の問題として考えることしかできないから、自分の問題として解けるところを探したり、部分的に解消していこうとしたり、自分がそれによって前進すると考える行動をすることしかできない。他人は障害物か補助アイテムかの二択でしかない。ヘイゼルモーツにとってもイーノックにとってもゴリラにとっても芸術家にとっても同じ、共通の二択だ。共通しているが共有してはいない。これはたしかに陰惨なコメディだが、同時に単純なコメディでもある。込み入った面白さはない。コミュニケーションがないからだ。コミュニケーションがないというのを表わすことに成功しているからコメディとして成功を納めているともいえる。あれもこれもと問題が積み重なっていくものについては、たとえどれだけそれに笑わされたとしてもコメディとは呼ばない。
武蔵境駅でお団子(のりとさつまいも)を食べてから、吉祥寺乗り換えで渋谷に移動する。渋谷では布屋に立ち寄り、良い気候だったのでそのまま区役所通りを通ってNHK前を抜け代々木公園をかすめて原宿まで散歩する。公園ではジャマイカフェスをやっていてスピーカーからレゲエのリズムが鳴り響いていた。原宿IKEAでハンガーを買って帰る。一旦帰宅して荷物を置いてからご飯を食べに出かけようという話だったのだが、疲れてしまっていて結局外出を断念した。おみやげに買ってきてくれていて食べ忘れていた花山ラーメンを食べる。気楽に見られるものを見ようということになったので『正欲』を見る。面白いところと面白くないところが混在した映画だった。総合したら全然駄目なのだが、新垣結衣はじめ見るべきところもあった。とくに稲垣吾郎の扱いはこういう話でよくあるコテコテさを微妙に回避し、バランスが取れていて良いとさえ思った。逆に佐々木のキャラクターはしっかりしていなくて駄目だった。言いたいことがまとまっていないのにモノローグをさせられているような印象で、もし意図されてのものであればこれは大したものだ。そもそもどういう理由で勾留されているのかも謎だが、よくわからないまま稲垣の良い仕事によって有罪になるところまで予感させる。その見立ては物語としては破綻していないので、ツッコミどころはありつつも全体としてバランスは取れている。当たり前のように他人を前提としているため、『賢い血』とはまったく別種の話のようでいて、一点、新垣結衣のセリフによって関係があるようにも感じられた。たとえ他全部が駄目でもそこだけは否定できない一点を持つことで、そこを起点として一気に世界観まで話が広がるということがあるが、それと同じことが起こったように思う。

2024/06/23 今日
十二時に野田地図のチケット購入のため待機していたがチケットが取れなかった。松本潤のファンの威力を知った。咳はましになったがやたら鼻水が出る。ホットケーキを食べてからスタバに出かける。ここでも鼻水がやばくてティッシュを鼻に詰めてマスクをする。日記を書く。お腹が空いてフラフラする。手が震えてきてタイプもおぼつかないのでスタバを出てご飯を買いに行くことにする。魚の定食とビールで空腹を満たし、ダイエーで酒とご飯を買って帰る。
Xperiaのカメラを持て余しているうちに、この日記に載せるための写真が縦横入れ違いになる問題が発生した。予想していたより素晴らしい体験がもたらされるということは今のところないが、カメラを使いこなせるようになったり、この日記でも何とかできたように問題を解決することで、少しずつ良くなっていけばいいと思う。今のところ落下防止のために導入した肩掛けロープのせいで、とくにシャッターを切るときや電子マネーをかざすときに取り回しが悪くなっている。
帰宅して『MONDAY』というループものの映画を見る。ループしていると気づいたときのハプニング遭遇感は良かったが、決まった物語に嵌めに行くために、そこからいろんなことをやってみようとするループハッピーのターンがなかったことが気になるといえば気になる。ループする世界にいる登場人物が「会社の仕事をする」というのはかなり先鋭的な表現だと思うが、その発想が受け入れられにくいものだという視点がないところがローカル映画丸出しで面白い(一応回避策は用意されていて、主人公が会社の後輩格のふたり組にタイムループに気付かされる(=会社組織に巻き込まれている)というところがあり、”日本人の特性”としてその状況では好き勝手やりにくいということになっている。しかし起こっていることへの対応としてはやはり弱い)。
映画制作のための道具を持ち、仕事をすすめるノウハウもあって、しかも自分たちの身の回り五メートル範囲を題材にするという、きちんと地に足のついた大学サークル映画だった。ただ、身内ノリはいいけど何もそのために鳩を殺す必要はないよなと思う。
映画にはどこかで映画から抜け出そうとするようなところがないと楽しめないということに気がついた。映画になろうとする映画はそもそも矢印の方向が逆だという気がする。逆向きであることを逆手に取って面白くするという映画もあるにはあるんだろうがパッと思いつかない。いや、逆手に取るというよりはギリギリのところで映画たり得ていないとか一瞬やばいというところがあって、それでも何とか映画としてまとまっているときに、あれだけ好き勝手やってよくやったよという感想になるんだと思う。結果的に成立させるというつまらなさを”逆手にとった”ように見える映画だ。「スッポリ収まってすごい、良かった!」というのは、テレビショッピングの番組を見ているような気にさせられる。どこかに需要はあるんだろうがはっきり言って意味はない。
夜の時間にスタバに行くつもりだったが結局家にいて『戦争と平和』を読む。Vが元気で「うれしいね」。そういえば昨日は寝る時間の直前に「ねます」と宣言していて面白かった。今週末も良かったので締めくくりに夜の散歩をして、意味あるほうのMONDAYを迎え撃つことにする。

私の都市生活についての所感(2024)
フリーライダーなので一応腰を低くしているが頭は高い。座高が高いわけではない。無礼者であるとかアンテナを張っているとかそういう意味だ。座高が高いという意味で言っているのではない。一応言っておくと身長が高いので座高も高い。あとそれとは全然関係ないが春夏秋には厚底サンダルを履いている。

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