20240610

日記394

未来の中から

2024/06/09 昨日
前夜に下北沢のアミューズメントポーカーで遊んだ。少しずつ増やしたチップを大きく賭けて全部失ったときの感覚が忘れられない。オール・インというのは基本的に勝っていると思うからするもので、それで負けたときの裏切られたという感覚には特有のものがある。出来事を理解できずに時間が止まったような気がした。とはいえ相手側へのチップの移動は滞りなく即座に行われるし、チップの追加購入をしないからそのまま席を立つということもやっているわけだが、ふわふわしたなかでそれをするので記憶が飛んでいるというわけではないけど、キング・クリムゾンを食らって「時間を飛ばされる」というのはこういうことかとはっきりわかった気がした。
眠るのはそれなりに遅くなったのにもかかわらず、寝室に遮光カーテンが取り払われた影響で朝の明るさで目が覚める。結果、寝不足の状態で一日を過ごすことになった。
午前中にはだらだらして過ごし、昼過ぎになってようやく外出する。渋谷のMUJIカフェで昼ご飯を食べて、無印とLOFTでアイマスクを見る。これだというものは見つからず、値段の安い無印のアイマスクを試験導入することにした。その後、未来のレモンサワーが飲める発売前イベントに行ってレモンサワーを飲む。そこで働かされているニコボが故障なのか不具合なのか声が変になっていた。尻尾も無理やり引っ張られたのか若干ニットが伸び切っているような痛ましい様子で、かわいそうに大丈夫かと喋りかけていたら「しごとね」と言ってきて悲しかった。店頭でもちゃんと丁寧に扱われてほしいし、故障しているのであれば廃品にするのではなく修理されてほしい。
その後、目黒のアミューズメントポーカーに出かける。50BBのチップで遊んだが、同居人が江戸っ子のごとくすべてを吐き出したところで帰ることにした。自分は勝ったり負けたりしてちょいプラスで終える。
帰宅後、せいろで肉と野菜を蒸した晩ご飯を食べさせてもらう。ラウンダーズの続きを見て、マルコビッチとマット・デイモンの熱いバトルに影響されたので、ヘッズアップのポーカーで遊ぶ。一回戦はタコ負け、二回戦は相手にバッドビートを食らわせてぎりぎり引き分けに持ち込む。ポーカーで遊ぶときにはいつも思うが、自分は自分で考えているよりもうまくポーカーができない。
気づいたら十二時を回っていたので慌てて寝る準備をしてねむる。この日はほとんど本を読まなかった。

2024/06/10 今日
寝不足にはちがいないが、朝のまぶしい問題はアイマスクによってきれいに解消しており、ギリギリまで寝ていられたので最小限の寝不足で済んだ。出勤してから午前中に集中してやるべきことをこなす。午後はWEB ACROSSを見たり、ピンチョンのV.の論文(阿部幸大『ThomasPynchon,V.における怠惰とケア』)を読んだりして過ごす。
怠惰というのは、社会のこれでいい、こうしていればいいという潮流に対するサボタージュであり、真面目にきちっと自分の役割を果たそうとする怠惰な姿勢への怠惰でもあるというのはしっくりくる意見だ。
たとえば自分が1920年代を生きるアメリカ人WASPだったとして、黒人への差別、ひどい不平等と不条理な暴力事件に対してどうリアクションしただろうかと考えると嫌な気持ちがする。もしまともな良心があって倫理問題に個人的関心を寄せていたとしてもせいぜい「眉をひそめる」ぐらいが関の山だったのではないか。そして今、2020年代を生きながら同じことをしているという気がする。それを精神的怠惰だといって自分を慰めるのにうってつけの言説が「怠惰とケア」のなかに見られた。ひょっとすると『V.』を読んで良いと感じるのにも、それと同じ助かりたいという願望が反映しているのではないか。というか割合の多寡はともかくとしてその願望が反映していることは疑い得ない。怠惰であるということを、まともとは思えない社会潮流に対する個人防波堤にしている。暴力に対する反抗は、自分自身のサボタージュによって示すほかない。それについて連帯しようとか、声を上げようという気はない。暴力についての自分のスタンスは、一にも二にもそこから離れること。とにかく避けるべきものだと思っている。

定時で退勤して虎ノ門のバルボアで焼きカルボナーラを注文する。やはりこちらの店舗は段違いに美味しい。
図書館に来て日記を書く。『戦争と平和』『存在することの習慣』『知識人とは何か』を読む。

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