20240606

日記392

ちぃばす亭

2024/06/05 昨日
『ボヴァリー夫人』を読んで閉館十五分前に図書館を出る。とうとう金の問題でエンマが大変なことになりそうだ。やっぱりルウルウみたいなヘーコラする商売人が一番危険だ。
電車移動+αで『音楽と社会』を読み終わる。下北沢のブックポストに本を返却したあと、昔のティップネス通りのベンチに座って音楽を聴きながら氷結を飲む。ベートーヴェンのPiano Concerto No. 5 in E-Flat Major, Op.73。ドンキに寄ってプロテインと酒とあたりめを買って帰る。帰ったらすぐにねむる。

2024/06/06 今日
朝起きて筋肉体操のスクワットとただの腕立て伏せをして出勤。何もしていないようで暇になりそうになったらやることが降ってくるという絶妙の塩梅だった。そのためこの日は途中抜けして本屋で立ち読みする時間はなし。昼休みにYoutubeにアップされた大江健三郎の文学再入門というNHKの番組の第二回を見る。マルメラードフが賑やかしのような無意味な死を遂げる場面。全然忘れていたが言われたら思い出すものだ。大学から文学を読み始めるようになって最初のドストエフスキーが『罪と罰』だった。が、面白さが理解できず。その後、他のドストエフスキー作品はすべて面白く読んだものの『罪と罰』だけはまだ読み直していない。大江も『罪と罰』をはじめて読んだとき面白いと感じなかったらしく、またその一方でそれ以外の『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などは面白く読んだらしく、同じじゃないかと思った。ただし彼は十二、三歳で『罪と罰』を取り寄せて読んで、それで面白くないと言っていたのでまあ違うといえば違う。いずれにせよ大江はかなり早熟だ。三〇代になって読み直したら『罪と罰』は明るいところがあって面白かったと言っていた。ドストエフスキーに明るいところはないという印象なのであらためて読んでみてもいいかもしれないと思った。ただ歯抜けの爺さんのむき出しの笑顔というような強い印象がドストエフスキーにはあるので、もしそれを明るいと言っているのだとすれば明るいということになるのかもしれない。漫☆画太郎の画風は強くて可笑しいと思うが、まだ明るいとは思わない。
定時退社。バルボアの霞が関ビルの店舗でぼっかけパスタを食べる。宣言通りハマってみせたわけだが、店舗による味の違いがあると思った。虎ノ門店のほうが断然美味い。今日は昨日ほど腹が減っていないということはあるが、多分それだけではないはず。チェーンだが店舗によってはっきりクオリティに差がある店。そういうのがかえって信頼できると思う。王将しかり、あとはちょっと思いつかないが、人が作っている以上、そこに良し悪しはあってしかるべきだ。そういえばタリーズもそんな感じだった。俺の作ったソイラテに当たった人ごめん。カプチーノに当たった人まじごめん。エスプレッソたのんだ人はナイスチョイスでした。
図書館に来てメールを書く。昔から人に文章を届けるのに苦労する。仕事でメールを書くようになって、そのあたりを機械的にこなすスキルが身についたのはよかった。が、いざ仕事を離れてメッセージを書くとなると、文章の形や気分の乗せ方に間違いのないようにと念には念を入れて調整する作業がはさまれるので余計な時間が掛かるし疲れる。もっと豪放に、ひねりを加えようなどと思わず、この日記を書くときのように思ったまま書くのがいいんだろう。わかっていても難しい。一方で読者を想定していないこの日記はラクなものだ。できるだけひねろうとせずに真っ直ぐ書くようにしたい。自ずから限界があるというか、無意識に近づくほどどうしてもひねろうとする気分が出てくるので、それを正面で受け止めず、ある程度仕方ないとも諦めて、そういった気分を横目に、さらさら流していけるようになりたい。
そういえば会社の暇な時間に考えたのだが、すこし前からこの世界の日本人の顔パターンが尽きていないかという疑問がある。運営に報告したいのだが窓口が見当たらない。
似た顔というか同じパターンの顔がよく現れるようになっている。話したことはないけれど一時期よく見かける人、その人の顔が持ち回りで使い回されているのに気がついた。これというのには二種類の解釈があり得る。この世界に用意されている顔パターン数を超えた記憶力を自分がもっていて、想定される記憶力よりも優れているため、二周目か三周目が発生してしまっているという解釈がひとつ。もうひとつはより単純だがあまり採用したくない解釈で、自分の顔識別能力と記憶力の閾値を超えるだけ日本人の顔を見てきたというもの。世界にとって穏当なのは後者の解釈だろうから、人はそちらだと言うことだろう。それはわかっているし、べつに争う気もない。とにかく、最近になって急激に”これまでにどこか別の場所で見たことのある顔”がどんどん飛び出してくる。既視感のある顔。デジャビュフェイス。言うまでもないことだが、デジャビュフェイスは自分にとってはどれも印象的な顔で、いい顔だと思う。表情の型がしっかりしていて感情と思考が無理なく外に表されているように感じられる。顔が表したいであろうことが、自然に過不足なく、顔に出ている。

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