手前に折り返して降りる
2024/05/01 昨日
スタバを出て駅前で同居人と合流。酒を飲まずにカルピス睡眠飲料を飲んで帰宅。Bがねむるより早く寝る体制を整える。すぐに入眠とはいかなかったがそれでも十分な睡眠時間を確保できた。
2024/05/02 今日
よく眠れたので一日調子が良かった。一週間分の仕事を午前中すこしと午後すこしだけで済ませてしまい、あとは研修資料を読む。昼ご飯はばるぼあというパスタ屋で前回目をつけていたナポリタンを食べる。予想した通りおいしい。たっぷり量があるのも嬉しい。途中抜けて本屋に行くのが定石になった。オシャレ系の本屋だが選書がそれなりにちゃんとしている気がする。どのくらいのペースで入れ替えがあるのかなども定点観測的に追いかけていきたい。
定時で上がって富士そばで夕飯。カツ丼を食べる。歩くのに気持ちいい天候でテンションが上りながら図書館につく。『藤原道長の日常生活』を読む。ところどころ主観で書かれてある箇所が目立ち、おそらく読者にわかりやすいようにという意図があるのだろうが、著者の言葉選びが合わない箇所も多かった。第一章と二章まではわりとちゃんと読んだがそれ以降は流し読みしてしまった。四章「道長の空間」六章「道長の精神世界」という格好つけた章立てがとくに気に入らない。奈良に浅からぬ縁があるということを知れたのは収穫だった。まあ講談社現代新書なので当たり外れはある。それにしても、自分の言いたいように言う、書きたいように書くというやり方でちょっと変わった方を”敢えて”選ぶとこんなにも反感を呼ぶ文章になるのだということが身にしみてわかった。新書を書く人の文章は必ずしも読みやすいわけではないというのと合わせて勉強になった。著者としては締めるべきところは締めて、あとは書きたい放題書いているというのがわかるから、どこか自分を見ているようで寒々しい気持ちになった。日記だからといって好き放題書こうとするのはよくない。そうは言っても好き放題書くのはやっぱり欠かせないから、せめて”敢えて”というのは選ばないようにしてむやみに飛び跳ねまわるのをあらためよう。できるだけ平熱で書くこと。そのための日記、そのためのルーティンだ。
聞き覚えた単語をすぐ不用意に使おうとする癖にしても、”敢えて”やっている感があってよくない。数学の言葉をはじめとして知らない世界の言葉は格好良くみえるから格好つけて使いたいのだが、あれは読む専用の言葉だと心得ていよう。使う気で使うというのではなく勝手に出たのであればそれは仕方ないし、多分そのときには意味もあり、じゅうぶん合目的的に使えていることになるはずだ。
そう考えてみると本当は使えないはずの読む専用であるべきはずの語彙が自分には多い。思想系の用語もそうだ。読むときにはわかるけれど説明することはできない。IT系の仕事で見聞きする単語もそうだ。最近聞いてあまり深く理解せずに使っている専門用語。しばらくは意識してそれらの言葉を使わず日記を書くようにしてみよう。そうすると何かについての感想の文章も変わってくるはずだ。偉そうなのは避けられないかもしれないが、脇の甘さはすこし軽減されるにちがいない。
使用語彙を増やすのではなく減らそうとすることで文体が完成していくのだという仮説を立ててみる。首尾よく実証されるということになればいいが。