20240420

無益だが計画を立てる

20代の頃の自分は、「若さ」の力を信じておらず、30代から準備をはじめて、40代から50代までを生産期に設定しようということを漠然と考えていた。そして気がつけば37歳である。30代後半に差し掛かった頃には、年齢というのはたいして重要な指標ではないということを嘯き始めた。たしかに、むやみにあわてたところで意味はないから、加齢によって若いときほどそわそわしなくなったのを良いことに、どっしり構えるという心づもりで実際にはただぼんやり過ごすことが多くなった。
20代からブログを書くということを通して文章を書いていたが、そのときには差し迫った感情から書かずにはいられないということも多かった。何かをしていなければ不安で仕方がないというのは、上のようにできるだけのんびり〈あとでやる精神〉を涵養するよう心がけていても沸き起こってきたもので、衝迫感をところてん式に押し出した文章ばかりできあがっていった。当時からそういうものに価値を置いていないから、自分の書く物にはつねに不満だった。自意識とタイピングの遅さに影響を受け、文章をギシギシに押し詰めるようにして稠密方向に煮詰まっていったのもこの頃の文章の特徴で、今もそうした傾向は全然なくなっていない。タイピングもあまり早くならないままだし、自意識も、意識レベルが全体的に下がったおかげでまったく身動きがとれないという状態ではなくなったものの、意識内の割合としてはいまだに多くを占めている。
文章を書いては消して修正し、読み返しては微修正し、その修正の影響を測り直してべつの場所にも手を加え、ということを繰り返しては消耗し、もういいやと諦めて、直すべき文法語法上の明らかな誤りをそのままにして投稿するということも少なくなかった。そうやって公開したものを読み返すのは嫌な気持ちのするものだから、見直したり書き直したりする機会もなくそのままにしてべつのブログをあたらしく開設するというのを2,3回繰り返していた。
20代はだいたい上のような感じで、あとはできるだけ読むべき本を読もうとしているうちに過ぎていった。総じて「若さ」を信じられないという感覚だけが正しかったということを証明するような20代を過ごした。あとは悲しかったり苦しかったりする自分の感情を真正面から全力で受け止めようとしていたから精神的な余裕も全然なかった。当時より冷静な37歳の頭で考えてもそれらは必要だったと思うし、何かをやろうとして全然うまくいかなかったということを差し引いても、その経験は無益なことではなかったと思う。
ある経験が無益かそうでないかというのは、それが何かの生産に結び付いてはじめて人に主張できることだ。自分にとっては無益ではなかったと言えればそれで良いしそれまでなのだが、自分はこれから40代から50代にかけて生産活動をしようとしている。生産活動をしようとする以上、その苦い経験を活かさない手はない。
大体の方向だけ決めて進んできたこれまでの道程にはおおむね満足している。このやり方を続けていても今後大きく間違わないという自信もある。ただ、形を定めるという段階に入るとき、このやり方ではそれ以上先にはすすめない壁を現時点で感じている。長いスパンで考えて、できるだけ長大なものを書きたいという志向があるのであれば、どうしても欠かせないのは計画だろう。若さを信じないと言いながら実際にきちんと若かった当時の自分は、計画を立てるということを生産活動においてかなり低く見積もっていた。正直なところ、今でもじゅうぶん高く見積もっているとはいえない。計画を立てるということを無益な行動だとつい考えてしまう。わざわざ計画を立てても絶対にその通りにはならないじゃないか、と。
計画を立てるとき、その計画に沿って行動するというのがセットになっている。自分はそのように習ってきた。ある程度の短いスパンではその感覚が正しい。しかしある程度以上の長いスパンでの計画においては、それに沿った行動や沿うようにと心がける日常と同等の位置づけに「計画の見直し」が組み込まれるのが正しいということを最近になって受けた”研修”で知った。所詮ビジネス研修なので当然眉に唾つけてというか、まったく鵜呑みにはできないし、何だったら自分の方向性からはてんで見当違いのことを言うものだと身構えているのだが、自分が何となく計画のことを役に立たないと思っていた原因の、計画して行動するという流れそのものの穴を突いていたこともあって、これには受講しながら膝を打った。目新しい内容を伝える類の研修ではないし、もしかするとすでにどこかで見聞きしていながらスルーしていただけのことかもしれないが、ようやく、それなりの時間をかけて自分のもとに必要な情報として届けられたということなのだろう。
とにかく、生産活動における当面の叩き台として、それに沿って行動するという意味合いにおいては無益だと思われる計画を立てる。だからほとんど予言のようなものだ。


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2027年 長編『賢犬伝』完成 1200ページ
2028年 長編『逆走』完成 1200ページ
2029年 長編『完全な嵐』完成 600ページ
2031年 短編『屁のなるほうへ』『あたらしい』完成 150‐200/200ページ
2032年 長編『巨大な鏡』完成 1200ページ
2033年 短編『とおいてん』完成 200ページ
2034年 長編『明滅』完成 600ページ
2035年 短編『十』『二』完成 200/200ページ
2036年 短編『絵、踏むための絵』完成 200ページ
2037年 長編『ロストパケットを探して』完成 1200〜ページ
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土日をのぞいた一年の日数 260日
1ページあたり600文字(文庫本)
長編は大体600ページ以上1200ページ程度まで

200日間で毎日1800文字書けば600ページ、3600文字書けば1200ページ到達
日記の文字数は平均して大体1000文字程度と思われる(所要時間は30-40分ぐらいか)


この計画ではフルタイムで働く時間の余裕はない。また、書き始めてから何らかの理由で執筆が止まるのが許容されるだけの予備の時間は確保されていない。
どうにか生活を変えて可処分時間を増やし、しっかり準備して取り組まないかぎり”完成”の実現は難しい。準備は、取材することとプロットを固めること。とくに最初の三作では「書きながら考える」という甘い考えを捨ててとりかかる必要がある。完成の二文字は重い。タイプするとたったの二文字なのだけど、真剣に考えて取り組まないかぎり正真正銘のそれを見ることは絶対にできない。

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