20240424

日記356

露骨に肋骨

2024/04/23 今日
よく眠れた。朝から三分間だけだけスクワットをする。通勤の技をひとつ編み出す。早めの電車に乗ることが必須なので早めの電車に乗った。表参道まで千代田線で行くのは同じ。乗り換え時に渋谷方面に乗って、渋谷で折り返す方法。これだと座れるので車内で比較にならないほど楽チンだ。
意外にもいつの間にか仕事が回ってきている。それをこなしつつ、セキュリティ商品の勉強会に参加。昼休みにはおにぎりとプロテイン飲料。『のりものづくし』を読み終える。朝にも午後の紅茶無糖ミルクティーを飲み、午後にも同じ商品をリピートしたらお腹がゆるくなるまで行かないがガスが溜まる感じになって面倒なことになった。定時で退勤。この日は雨が降っていたので図書館は断念して濡れない方法で下北まで帰る。牛乳の飲み過ぎということで、普段のオーダーでは必ずミルクを入れてもらうドリップコーヒーをそのままで注文する。いつもの店員さんだったら「おやおや?」と思ってひょっとすると話しかけてくれるチャンスだったのだが、いつもの店員さんではない人がレジに立っていたのでとくに何もなくそのままTOKYOローストを受け取る。
『のりものづくし』の最終章は南極訪問の旅行記兼日記だった。池澤夏樹の日記は読んでいられる。まず形式がしっかりある。そして、日記を書いている人が日記に書かれてある経験をしたとき、何に注目してそこにいるのかというのが具体的に見えてくる。自分も日記を書いていてかれこれ二年以上になるのではっきりわかるのだが、公開する日記である以上、トピックを隠すというか、経験としてありつつも書かないことがある。池澤の日記にも当然それがあるはずなのだが、読んでいてもそれを感じさせない。書くと決めて書くところを丁寧に書いているからなのか。なんとなくだが、書く前に「書くこと=経験」を思い出して再度それを味わってから書くということをしているような気がする。自分はこれを書くときには思い出してから書くというよりは思い出しながら書くというのが近い。書いたあと、次の出来事思い出すことに注意力を使い切って、そのとき書いて思い出していることを流してしまっている感がある。これからはこのやり方を改善して、
1.経験する、2.Macの前に座って経験したことを思い出す、3.思い出した経験のなかに両足を入れた状態で経験のことを書き出す、
というやり方で日記を書くのが良いかもしれないと思った。
『のりものづくし』で共感したのは、都会は歩くのに一番ちょうどいいフィールドだと書いている回だった。平坦で道が整備されているので顔を上げて歩くことができる、そして顔を上げて歩いていると角を曲がった先などにだいたい異性がいて、その人とすれ違うことができる、という主張をしていて、これを読んだときには思わず我が意を得たりと膝を打った。たしか昨夜ねむる前にデスクで読んだときだった。あとは虎ノ門に向かう銀座線の通勤電車の中で読んだペンギンの時間感覚について想像するパートにも、共感をおぼえた。昔出町柳で鴨川の流れの中に棹さすようにして立っているサギらしき鳥がいたのだが、自分がその鳥を見つけてから眺めているあいだ、一切動かずじっとそこに佇んでいた。そのとき、川の流れに棹さしているということもあって時間が止まっているような感覚に陥った。時間が止まっているといっても本当に止まっているのではなく、鳥にとっての主観時間とでもいうものが停止しているのではないかということを思わされた。ふたたび活動状態に戻って歩いたり魚を見つけたり仲間の声に呼ばれて飛び立とうとしたときに時間が動き出すのではないかということを、その鳥の主観に立った気になって思ったのだった。だいたいそれと同じようなことを南極のペンギンに思ったのだということがエッセーには書いてあった。

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