20240423

日記355

光が漏れ出る

2024/04/23 今日
よく眠れた。同居人と同じタイミングでの通勤になる。表参道で降りていったが自分は霞が関まで行く。
研修を受けてミーティングに出て引継ぎを受けていたらあっという間に定時になる。荷物の受取りがあったので即帰宅する。受取については首尾よく行ってwrpd runnerが手に入った。しかし机の前に座ろうと思ったがぼーっと過ごしてしまう。ようやく二十一時過ぎに座ったが疲れがあるのか捗々しくいかない。日記を書くのもやっとという体たらく。できれば『なみのこえ』の感想や『暴力の人類史』の感想を書こうと思っていたのだが、たぶんやらないで済ませると思う。
感想文のためのメモ書きを残すと、暴力の人類史では自分が持っている感覚が理論立てて書かれているという印象を持った。自然回帰や田舎は良いという言説については、それをいう人のことを嘘つきとは言わないが全然賛成できない。昔は良かった系の言説についてもこれまではたんに甘いこと言っているなという印象だったのが、歴史の振り返りによって補強されたと思った。ただ、現代では「そんなことを考えもしない」というアンモラルな人への当たりが昔は当然だったというときに、それについて牧歌的な(この本を読んだ以上イカれたというのが正しいと思われるたぐいの)郷愁を持つことはないのだが、アンモラルではない方向(未来方向)にも「そんなことを考えもしない」という際立った考え方があり、ある種の読書体験によってそれに触れる機会を与えられることを知っている。そういった際立った体験というのとは異なる次元にある、いってみれば「常識についての話」だという気がした。啓蒙する意図に沿ってよく書けていると思うし、常識をアップデートすることの意義も浅からずあるとは思うが、当たり前のことが書かれているという印象が中心にある。突飛なことを言おうとしているわけではなく、事実が突飛なものに聞こえるはずだというのが意図として含まれているので、現今の風潮に棹さす形で議論がすすんでいる。それが面白さでもあり、面白くないところでもあった。
啓蒙する側というのは人々が啓蒙されていないという前提に立って物を言うことになるので、自分自身の仕事によって、その仕事がうまくいけばうまくいくほど、つまらないことを言っているという感想を持たれることになる運命(さだめ)にある。面白くなかったという部分的な感想についても、あまりにもスムーズに論が進んでいくことで、その感想を持った読者自身に自分が啓蒙されたと気づく暇も与えないまま、いつの間にか啓蒙を済ませていることの証だといえるのかもしれない。すばらしい仕事というのはその功績が目立たないものなのだとすれば、この本は、長い目で見たときにはとくに、それに該当するといってもいいと思った。
池澤夏樹の『のりものづくし』面白い。乗り物に乗るというテーマのエッセイなのだが、短文でポンポン進んでいくリズムが気持ちいい。書くべきことがクリアであればあるほど変にこだわらず肩肘張らずに短い文章をつないでいけるのかもしれない。長ったらしい文章を書くと、まさにその反対の印象を持たれることになり、書くべきことが定まっていないからふらふら蛇行すると思われるんだろうというようなことを思った。その印象はわりとしっかり当たっていると思うが、長い文章を書く理由はそれだけではないだろう。どういうねらいなのかは置いておいても一文を長くしたいという奇妙な願望があるのはたしかだ。なんでそうしたいのかはわからない。有り体に言えば煙に巻いたりごまかしたいという願望にも近い気がするが、それにしてもそれだけではないような気もする。ねらいといってとくに思いつかず、願望についても消極的なものしか思いつかないということであれば、わざわざ面倒な方向に進もうとしないで、できるだけ短文をポンポンつないでいくように心がけるのが良いのかもしれない。少なくとも試してみる価値はある。

ブログ移行のお知らせ

当ブログ だから結局 は、Wordpressに高い月額利用料を払い、以下のURLに移行することになった。 だから結局 ぜひブックマークして、日に何度もチェックをお願いしたい。