20240422

日記354

広がり

2024/04/21 昨日
ビオスの前で同居人と合流したあと、バビシャーに昼ご飯を食べに行く。その後新宿経由で池袋に行く。最近池袋ばっかり行っている気がする。ビックカメラの本店?でホームシアターシステムのスピーカーの体験をする。本店にしては控えめな店舗サイズだったが、テレビのフロアには余っているんじゃないかというぐらい店員がいた。
新宿経由で経堂にいく。目当ては駅前の経堂図書館だったが、同居人がボウリング場があるのを目ざとく発見し、1ゲームだけ玉を転がしてあそぶ。その後図書館で大きな文字で読む大判本の『のりものづくし』を発見する。翌週に大江健三郎についての講演を聞きに行く予定なので予習がてら手にとって読み始めると面白いのでそのまま借りて帰った。この分だと講演もたのしみだ。生の池澤夏樹に会えるだけでも嬉しいのに大江健三郎について喋ってくれるのはありがたい。
図書館を出たのが閉館時間の二十時。雨が降っていたので経堂のかつやでカツ丼竹を食べる。カツ丼(竹)というイントネーションにしてほしいという注文を受けたが、かつやではカツ丼松だしカツ丼竹というイントネーションにすることは譲れない。それだとそういう竹みたいじゃないかと言われた。然り、そういう竹・そういう松だと思ってほしい。
帰宅後、シャワーに入ってねむる準備を済ませる。二十二時半にはねむれたのだが、あとすこしだから読み終わってしまうかと『暴力の人類史』を読み終える。予想できたことだったが読了の勢いがついてしまったことで目が冴えて結局二十四時半ごろまで寝付けず。迂闊にも翌日の寝不足が確定してしまった。

2024/04/22 今日
雨が降っていたので一番濡れない経路として表参道での銀座線乗り換えをえらぶ。あまりにもひどい押し込まれように怯んで二本電車を見送ったが結局ぎゅうぎゅうの思いをすることになった。雨に濡れるほうがまだましという感覚になっている。しかし夏の暑さを考えたときにどうするかはちょうど悩みどころだ。
一日ずっと研修だった。昼飯はお誘いいただき虎ノ門ヒルズのつるりという蕎麦屋につれていってもらう。すごくきれいなオフィスビルのお洒落な店が並ぶエリアなのでTHE★昼食エンターテインメントという感じがして値段相応の楽しみがあった。富士そばだったら三食分でも食べきれない量のそばを食える。
研修中に暇な時間があったので週末からはじまるカサヴェテス特集の上映時間を確認しようとK2のページを見ていたら『なみのこえ 気仙沼』の上映が十九時過ぎからあるのを見つける。二年前の濱口竜介特集でちょうどそれだけ見逃していたいたので、渡りに船とばかりに即申し込む。
寝不足を危惧したので、定時に即虎ノ門を出て家に帰る。ほんの三十分だけ昼寝をしようと思ったがうまく寝付けず。なんとか一〇分だけ寝れた。このパワーナップの成功は大きく、また映画が面白いのもあってだが、ちゃんと集中して見ることができた。聞くのがうまいのかセッティングがいいのか、喋る人はみんな、弁が立つというのではないが、心のままに喋れているように見えた。言えること・言えないことがあるなかで、言いたいこと言うべきことを探し出し、それを伝わるように言えるという能力はすごいものだと感じる。こういう言い方をするのはあまり公平ではないような気がして若干後ろ暗いのだがどの人も「大人」だという気がする。だからこそまだ子どものように見える最後の若いペアのやり取りがよかった。自分の中で整理がついていないままカメラの前に立っているようだった。本当のところ整理をつけられるわけないのを何とかして整理をつけて「話す」というのも大切なことだと思うが、話せないことがあるというのを話せないことによって示すのもそれに劣らず重要なことだと思う。なんでそういう行動をしたのかわからないということは、日常非日常にかかわらずどういうときにでもあることだし、それをあとからいくら思い出そうとしてもやっぱりわからないんだろうと思う。聞く側でそれらしい理由をつけたり解釈しようとしないのは、こういう聞き取りにおいては少なくとも必要不可欠な前提で、カメラはその禁を犯すまいと気を張って注意している。一方で、親密な関係にある他人がそれを知りたいと思って「なぜそういう行動をしたのか」と質問するのも自然なことだ。だから最後のペアのやりとりは、「話してほしい、知りたい」という気持ちと、それに対する「わからない、答えられない」という反応とのあいだで、めったに見られるものではない応酬になっていてとてもスリリングだった。ほかのどのペアの会話にも協調と対立が微妙なニュアンスのなかで顔を出したり引っ込めたりしていて、協調する場面に負けず劣らず、対立する場面にも見るべきものがあった。その人に向かい合うということをしているのは対立する場面のほうだ。どれほど親密な関係の中にも緊張はある。そして緊張が高まっていく過程で、本当の意味で協調を必要とするポイントがある。そこを逃さないできちんと対立から協調へと切り替えるところなど、名人芸を見ているような気になった。マンボのふたりもそうだし、着物屋さんもそうだった。どちらのペアもふたりとも大人で均衡が取れている。
『なみのこえ』は対話するところを撮ることによって、人にとっての他人の重要性をものすごく感じさせる映画だと思う。
図書館カウンターに本を返却にいく。駅前を通って帰宅。下北沢の街をすこし歩いたらすごくお酒を飲みたくなった。でも我慢して飲まずにまっすぐ帰る。帰ってから日記を書く。

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