ジャスト・ドロップイン
2024/04/19 今日
早起きして仕事に行く前に洗濯機を回せたらと思っていたが、やはりそうはうまくいかず。一応六時半に目覚めたのだが、心地よい二度寝の誘惑に従ったら時間がなくなった。
霞が関経由で出社。ビル風のとくに強い朝だった。信号待ちのときほんの一歩だけだが飛ばされた。
業務の引継ぎ(してもらうほう)がリスケになったので、簡単なメールに返信だけして、あとは仕事に役立ちそうな勉強資料を自分で探してきてそれを使って自己学習を進めるという一日だった。基本暇なので途中ぼーっとキャリアのことを考える時間もあったが、そうなると出てくる夏目漱石の小説作品を書き並べるという癖が出た。十年に満たない時間であれだけの小説群を並べたのだから本当に驚くしかない。わけのわからないITテクノロジーのことを漫然と勉強している場合ではないと思って、つい深いため息が出た。
お昼は日も出ていて気温もちょうどよく快適だったので弁当を買ってきてビル下のベンチに座って食べた。昼過ぎに勝手に席移動する。フリーアドレス制なので基本的にどこに座って仕事するかは自由だ。与えられている自由は無理を押してでも行使しなければならない。
定時間際に、以前退勤するときにエレベータで見かけた明るい髪色の若者がフロアにすがたを見せてつい息を呑む一幕があった。二日か三日前、エレベータでお互いボタンを押すポジションにいて、一階についたので「開」のボタンを押して乗客を全員降りさせたあと、片手を相手方向に差し出して進むよう促す「お先にどうぞ」の同じジェスチャーを送りあって、その相手のジェスチャーを同じように受け取り、「ありがとうございます」と先に出ようとする動きがぴったり重なってしまい、またジェスチャーを送りあって、しばらくそのままお見合い状態になってエレベータから出るに出られなくなったという経験を共有しただけの関係だが、そのときに見せた全開のはにかみ笑顔が素敵だったことで印象に残っていた。つい一昨日の出来事だし、たぶん向こうもこちらのことを覚えていたはずなのだが、自習モードの自分はとにかく格好つけて考えている雰囲気を全開にしているので「あ、どうも。あのときは失礼しました」という挨拶のひとつもかけることができず、あんなに莞爾と笑いあった関係なのにもかかわらず、いたって無愛想に、むしろ不機嫌な様子でデスクに肘をつきながら端末の画面を睨みつけているだけで終わった。職場でクールぶるのは自分のような人間にとっては必要なアピールでもあり、完全にわるいことだとは思わないが、クールな状態と暖かい温情をかけてやるモードとをさっと往来できるようでないといけない。せめて会釈でも返してあげればよかった。向こうから会釈をされないでも会釈を”返す”スキルが自分にはあるのだからそれを使う好機だったはずなのだ。
職場のゲートをくぐりビルを出て、富士そばでカツ丼セットを食べてから千代田図書館に行って『暴力の人類史』を読む。途中トイレに立ったタイミングで書架を眺めていたら目立つところに『はだしのげん完全版』の一巻が陳列されているのが目に入る。歩いていけるほど近くにある大きな映画館で『オッペンハイマー』が上映されている今このときに、『はだしのげん』を配架することの静かなメッセージを感じる。映画館も好きだが図書館はやっぱり最高だ。ある視点に対して、他にも視点があることを示す館のメッセージは物静かでありながら雄弁でIMAX-Lの大音響にも負けないぐらい胸に響いた。
物語が誠実であろうとするときにはある視点を固定させるのが必要になることもあると思う。そのとき別の視点を提供できるのはやっぱり別の同じ物語だ。それらは補完的にそれぞれの、しかし同じ誠実さに向かっていくように思われる。
下北沢駅に帰りベストな気候と金曜の夜をひとりでお祝いするためベンチに座って氷結を飲む。METAFIVEをBGMにする。若干悔しいが音楽はいいものだとしみじみする。