20240416

日記349

ランドマーク(レガシー)

2024/04/15 昨日
スタバを出て同居人と合流。自分は飯を食ってしまっていたので、連れ合いが蕎麦屋で蕎麦をたぐる横で付き出しのホタルイカの壺漬けをさかなにしてそば茶割を飲む。
帰宅後就寝時間まで間があったのでバラエティ番組を見る。チャンスの時間、永野が「年下では笑わない、もし笑ったら100万円払う」という回のパート2。こういう動画をみて自分は笑うけど時間を無駄にしてしまったという感じはどうしても拭えない。異常な早さで就寝するほうがよかった。

2024/04/16 今日
霞が関経由で出社。一本遅い電車でなおかつ五分程度の遅延が発生した影響で始業一〇分前到着になる。普段三〇分前に出社しているのが普通になっていて我ながらえらいものだ。探し出してきた研修動画を見る。今日は気楽なひとりランチ。天気が良かったのでコンビニおにぎりを外のベンチで食べる。午後からは引継ぎの続き。和やかな雰囲気ですすむ引継ぎ。仕事なのに全然つらくない。おかしい。つい会話に夢中になって定時から五分遅れであわてて退勤する。これはなんだ? 自分が知っている仕事の感じではないというのだけわかる。そういえば午前中に七〇人の前で自己紹介の挨拶をする会があった。しかしテレビ会議だと緊張の閾値が一定で人数に比例していかない。
遅れてきた花見がてらTCBで集まって飲む会が催されることになる。六本木一丁目・神谷町・虎ノ門ヒルズで働く三人。これは十分Tokyo Coolではないか。
日記を書くためにタリーズに入る。ドリップコーヒーとアイス(トッピング別添)を注文。あとはマンハッタンポーテージとのコラボグッズがかわいかったのでオンラインで衝動買いをしてしまう。

「自分のために生きるのは限界があるよ」という言説について。お前はそうなんだろう。こういう述懐するかたちの言表というのは実感がこもっている感じがするから、普段物を考える習慣がないと、いや習慣があってさえ、ついそうだよなと思わされがちになる。ふっと緩んで束の間弱いことを言うというのは『微笑みの爆弾』の歌詞にもある通り、イメージのなかでつよい存在感をもつだけの威力あるものだ。
しかし、限界は何にでもあるし、その限界を決めるのは他の誰でもない自分なんだから、それを言っている側のもつ感慨や条件と、それを聞いている側が感じ取る条件・感慨のあいだには詐欺的な大きな開きが生まれる。諦めるということの意味がちがうと思う。同じじゃないかという意見はデジタルすぎるように自分には感じられる。
ようするに、一度でもほんとうの意味で自分のために生きたことのある人だけが「自分のために生きるのは限界があるよ」と言うべきであって、それ以外の全員はまず自分のために生きるということを完遂しようとするべきだ。ほんとうの意味でという言葉の「ほんとう」の定義は自分にしかわからないものだし、それをわかろうとするにはそれだけでかなり多くを自分に費やさなければならないはずだ。そうやって進んでいけば、少なくとも、限界なんて見えないと思えてきて当然だ。格好つけて「人のため」とか言うなよ。それを言うことで自分自身に格好つくと思っているのなら全然良い。よく考えるということは目的によっては前提条件にならないこともある。

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