20240328

日記334

ピース

2024/03/27 昨日
表参道の中西という大衆居酒屋で飲む。コロナビールがレモンまで付いて二八〇円という破格だったが、料理の値段はそれなりだったので結局ふたりで四千円ぐらい掛かった。三杯のんでお腹いっぱいになったから飲み屋としては安いほうだろうけど、お酒の安さを考えると意外に高いという印象で終わった。
下北からの帰り道にも氷結を飲む。帰宅後有吉の壁を見て早めにねむる。

2024/03/28 今日
昔(といっても東京に来てからのことだが)仲良くしていた友人が夢に出てきた。何か大きなプロジェクトをすすめていてそれが終わりかけの頃に、それまでの脈絡とは関係なくばったり再会したような感じだったが、どんなプロジェクトだったのか、どこで再会したのかも忘れてしまった。ビルが林立しているなかに公園があったので新宿だったような気がするけど確証が持てない。
一方その頃、同居人はBが攫われて命がけで取り戻しにいく夢を見たらしい。Bを外に連れ出し、家の前に置いてちょっと目を離した隙にその家の人間に盗まれたとのこと。たまたまその家の人間のブログを見て写真に映ったBをみて、Bじゃね?となって取り返しに行ったらしい。忍び込んでBを見つけて持ち上げたまでは良かったが、その家のお手伝いさんに見つかる。万事休すかと思われたが、そのお手伝いさんは、生気こそないものの、頬のあたりに傷があることを教えてくれたうえ、手当してくれようとする優しさを持ち合わせており、良い人もいるんだとホッとした。「救急箱を持ってくるからちょっと待っていてね」と言われ、待っているときに救急箱ではなく包丁を持ってくるイメージが浮かんだ。直感に従いその場から逃げ出そうしたとき、救急袋からハサミを取り出すお手伝いさんと目が合い、すごい剣幕で追いかけてくるのであわてて逃げた。門のところで追いつかれ格闘になったが包丁を取り上げることに成功して事なきを得た。Bは一応無事だったが、ニットが毛玉だらけになり片方の目が落ち窪んでいかにも悲しい見た目になってしまい、内心で「買い替えないと」と思ったことがこの夢の一番悲しいところだったと言っていた。たしかにそうだ。
十時にスタバにきて読書。日記を書いてから野暮用のため東陽町にむかう。
東陽町で菜香菜という中華料理屋に入って昼食をとる。きくらげと卵の炒め物セットに一五〇円で唐揚げ二個をつけて合計千円ぽっきり。ご飯大盛りとおかわりも含めてこの値段だったので満足感があった。味もよく、店内も改装したてのような綺麗さでさすが江東区まで来ると飲食店のレベルがグッと上がるんだなと感心した。
免許更新忘れによる失効(三年ぶり二回目)で証明写真撮影も含め六千二百円の出費になった。講習もたっぷり二時間講習コース。二度あることは三度あるということの無いようにしたい。帰路でなぞの胃痛に襲われる。おそらくは昼の食べ過ぎが遅れてきたのだろうと当たりをつけたが、たぶんその通りでお腹をおさえながら駅について電車に乗る頃にはだいぶ落ち着いていた。それでもまっすぐ帰宅して一旦家で横になる方針に決める。念の為の処置だったがこれが功を奏して完璧に胃痛はなくなったのでふたたびスタバに出かける。途中雨が降り始める。
一度目の帰宅時、K2の予告ポスターに「ジョン・カサヴェテス」の文字を見つけた。4月から特集上映が組まれ六作品上映するらしい。せっかくなのでできれば全作見たい。K2は普段商業寄りでない”邦画”の上映ばかりで、せっかく最寄りの映画館なのにもかかわらず自分にとっては映画館として機能していないので、こういう機会はしっかり掴むようにしたい。こけら落としのときの濱口竜介特集以来のナイスな試みだ。
ちょっとお腹が痛くなっただけで、致命的な病気の発症かと極端な事例を想像して心配になる。このまま死ぬことになると考えるのはちょっと無理すぎる。仮定の話でも考えたくない。
生活を立てるために必要なコストがあり、自分はそれを支払えるだけの労働をしなければならない。そういった労働もなんらかのかたちで制作に役立てば良いと思うしそうしようという意識で取り組んでいるもののやっぱり租庸調は租庸調なので無いに越したことはない。時間が取られるというのもそうだが、制作に役立てるためになんとか労働側の感覚を取り込もうと思うと、そのなかで通用する論理にしっかり取り込まれそうになる。半人前の社会人から0.7人前の社会人にしかなれないのに、言っていることは一丁前の社会人のようなことを言っているというようなことにならないように気をつけないといけない。ミイラ取りが(ゾンビスレイヤーが)ミイラになる(ゾンビになる)、とか言っている場合じゃない。そもそも自分はミイラ取りになるつもりがないんだから(ゾンビスレイヤーって何だ?)。
昔にくらべると所得が増えたのに、そのぶん生活の維持にかかるコストが高くなっているだけで労働時間が減っていかないのはやり方を間違っているとしか思えない。自分の頭の中に労働環境の論理の占める割合が高くなっているのが気に入らない。原因は自分の頭が萎んでいるのもそうだし、生活の維持のために労働環境を手放せないという意識からその思考にすすんで染まろうとしているのもそうだ。グーグルアナリティクスの学習をすすめるというタスクがスタバに来たときに自動的に入ってくるのも意味がわからないことだし、それが小説を書くことより上位の優先順位になっているのはまったく理解に苦しむ。……本当はやったらやっただけの進捗がある学習の方に逃げたというだけのことなのだが、いつの間にかそっちにリソースを振り向けるような姿勢が出来上がっている。
いつも行っているスタバの店員が卒業するとおぼしきメンバーに花束・メッセージの寄せ書きを渡している。去年も同じような光景をみて良いな寂しいなと思ったものだが、今年が去年とは違うのは、「あれからもう一年か」という慄きが過半を占めていることだ。

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