20240318

日記326

モノレール(複線)

2024/03/17 昨日
新宿のハンズで手土産を見つくろってから立川に向かう。同居人の旧友に会う日になった。彼女の昔の仕事の後輩で二六時中話していた仲らしい。赤子の対応をしながら会話が途切れないのがすごいと思った。途中会話についていけなくなったときにはとりあえず赤子を見ていると間が持つ。それに見ていて退屈しない。興味惹かれるところが結構あった。最近読んだ本の話でかまされたのは始めてだった。最近読んだのは『大鏡』で、藤原道長の物語だという。自分は藤原道長のことが好きだと言っている割に大鏡で道長が描かれているというのも知らず、元国語教員志望なのに古典の教養にまるで欠けるというのでちょっと恥ずかしい思いをした。ディフェンシブにならないようにしようとして不自然な受け答えになったのが若干悔やまれるが、そもそも口を開いた回数は数えるほどしかないのでそれ以前の問題が大きすぎてどうでもいいと思われる。彼女は雰囲気こそ柔らかいもののしっかりした語り口でたんに初対面というのをすこしだけ越えた緊張があった。漱石の書いたものでは『硝子戸の中』が好きと言っていた。たしかに硝子戸の中はとても良い。
同居人とその旧友はただ懐かしがって話しているようでいて、その内側には微妙な信号のやり取りがあるように見えた。とはいえその内容は全然見えてこないし、部外者の自分にもわかるように込み入った話をするには場所も場所だったので、仕方なく信号のやり取りだけで済ませた風だった。外形的には人の名前だけを中心にすすんでいく会話だったので興味の持ちようもなく、もっぱら赤子を見て過ごした。
それでもモノレールとたくさんのベビーカーが行き交う通りに腰掛けてローソンのコーヒーを飲みながら話すのにはうってつけの気候でたのしかった。
十七時半ごろ解散して改札の向こう側に見送る。今回会えなかった登場人物もいたので会えたらいいなとは思うが、もっと濃くできたのにもかかわらず薄かった会話がさらに薄まるおそれがあるのでやるならもう一度同じ面子で会食などしたい。その時々にこれ以上は無理というぐらい盛り上がらないといけないのに、いつも後になってこういうことを思ってしまう。
考え方や価値観がちがうというのを予期していないといけないのに、それをしないでいつもその場になってから「ちがい」に面食らっている。
立川のシネマシティを散策してからはま寿司で夕食にする。ネット予約をしてぎりぎり間に合う時間に予約できたので良かった。その後『ボーはおそれている』を見る。ずっと脅かされていてひとつも楽しいことがない男の話だった。バートン・フィンクみたいだなと思いながら見ていた。現代のヨブ記みたいなものの二〇二〇年代バージョンという感じ。あとは自分の見る夢のよくできたバージョンのようなところもあった。夢の切れ目にはいつも物理的な破滅があるのだが、たまにその破滅を経過した後にも夢が続くときがあってひっくり返ったボートの様子がそのときの感触に近かった。マリオカート64のバトルで最後の風船が破裂した後の画面のように、終わってるのがわかるのになぜか終わらずに画面だけが残っている映像。単純化された他人。つまみはあるが印象の強弱だけ。

2024/03/18 今日
在宅バイト。打ち合わせでもうすでに半分いない人の感じを出す。その心はこれ以上タスクはやりませんという意思表示だ。
それなのにお昼にたらたらしてしまったおかげでまさかの三〇分間のザ行が発生した。何をやっているんだか。
三〇分遅れでシャワーを浴びてからスタバにくる。『暴力の人類史』の二章を読む。生存者バイアスというものの部族単位のそれを夢想した。はやすぎたガンジーがいなかったとはいえない。しかも自分の見立てではかなりの数に及ぶと見ている。やさしさが強さではなく気弱さとしてしか評価されない時代の本当にやさしい人間。すぐに殺される気弱な、純然たるやられ役。生きる能力の低い人間。そのためにいつかは主人公に選ばれる反・ヒーロー。

ブログ移行のお知らせ

当ブログ だから結局 は、Wordpressに高い月額利用料を払い、以下のURLに移行することになった。 だから結局 ぜひブックマークして、日に何度もチェックをお願いしたい。