20240307

日記319

遠い路(みち)

2024/03/06 昨日
スタバを出てドドドにいく。ブリ照り定食をたのみたかったが売り切れで唐揚げ定食にする。低体温のふたりが向かい合って話す様子は、話もしっくりきていない風だし傍から見て不思議だったろうなと思った。思いつきを話してみても広がっていくことは少ない。テンションもちがえば興味のベクトルもちがうのだから当たり前だ。
自分だけで考えるほうがとくに調子良いときには進みが早い。まあ、ないものねだりになってもつまらない。会話は気晴らしにとっておくべきなんだろう。ドンキで氷結を買って帰る。
帰宅して映像の世紀を見る。イスラエルの回。同じものを見てちがう感想を抱くというのはそれだけその映像が多角的なエネルギーを持つということなのかもしれない。自分は間違ったことを言っていないと思うときこそ、言葉の使い方や言い方に気をつけないといけない。
それでも厭世的な態度になることは避けるべきだ。即行動に移して物事を変えるために動けというのもできない。そのあいだでじりじりするしかない。それをしたくないから「難しい」「関心を持っても無駄」「心安らかにいるためにOFFにする」というように、どちらかに振り切ってしまうのはちがう。「解決か、さもなくば無視」というのでは、あまりにも立つ瀬がないのではないか。宙に浮いていられると信じ切ることができない以上、少なくともストレスに晒されているべきだ。
歴史の勉強をすると口にすることで、一気にすべてが難しくなった気がする。歴史の膨大さにはクラクラくるし、そこに接続されているという意識で何かを言ったり書いたりするのは、今までやってきたこととは真逆で、閉めているべき窓が開いていてたえまなく強い逆風に吹かれているような感じだ。これまでやってきたことというのは、歴史など存在しないかのように何かを言ったり書いたり、何かを見聞きするということだった。人の良いところだけを見て生きるようにしなさいというアドバイスを馬鹿正直に忠実に守ってここまでやってきた。
自分が呼吸できて生きられる気圧があるのに、これからは外の世界を知る必要があるといって窓を開け放つ宇宙飛行士のような愚かさがある。だからといって専門家に任せておくことはできないし、現地の人だけの問題にして完全に背を向けるという選択に腹をくくれない。各地に歴史があって、各地に暴力がある、だから同時にべつの場所に存在することはできないという原則に立ち戻って、各地をめぐることからスタートするべきなんだろう。そういえば賢犬の物語も一部分それをするために始まったんだった。今の場面から抜け出せないことでつい忘れてしまっていた。狭い方に行くな。広い方へ行け。そこを掘れ。

2024/03/07 今日
九時間ほどの睡眠をとる。寝疲れるほど寝たのは久しぶりだ。印象的な夢も見れたような気がする。
在宅バイト。作業量の多い作業が残っているのでそれに時間を使う。昼休みに映像の世紀を見る。プーチンとゼレンスキーの回。プーチンがウクライナを批判するときに出てくる「ネオナチ」という言葉があまりに唐突だと思っていたが、適切かどうかは措いても歴史的な経緯があるということを知った。第二次世界大戦においてウクライナがソ連と戦うときに「敵の敵は味方」というところでナチスに協力したことがあった。ウクライナがソビエトを追いやってナチスを迎え入れたときにユダヤ人は殺されている。
ナチスドイツに対して正義を主張するイギリスというのはチャーチルを主人公に据えた映画で物語化されている。それと同じことをロシアは主張できるわけだ。巨悪を倒すために立ち上がり見事それを打ち倒して世界を守ったという栄光の物語。チャーチルだったり、英国王のスピーチだったりを見てよくできていると感じる一方でどうしても鼻白むのは、いかようにも使えるそれ自体は間違った物語の一端を見させられていると思うからだ。ランボーやトップガンも同じことだ。
こういう話は適切に抽象化されなければならない。さもなければ一番強いズームを使って具体的に語られなければならない。
映像の世紀についても、基本的には犠牲者を数でとらえることしかできない。要人の暗殺という結末で劇的に演出することが多い。もちろん半分は歴史のせいだから起こった事実に対して映像の世紀に文句を言うのは筋がちがっているが、それにしても起こった出来事というのは駄目すぎて文句のひとつも言いたくなる。目くらましに使われる感動のエピソードというのも、それが美しいと感じられるのとは別軸でそれを美しいものとして演出することの醜悪さが目につく。悲劇の中にあるひとつの希望、そればっかりじゃないか。はっきり言って感動する。でも、自分ごとながらそのときに目が見えているとは思わない。
定時近くに上がってスタバに行く。やっぱり話せることよりも書けることのほうが多い。相手のスピードを気にせず一息に吐き出してしまうことができるというのが大きい。
秋にNYに行く計画がある。単なる旅行といえばそうなのだが、自分にとっては意味のある旅行になるだろう。これまで海外に行ったことがなかったのはこのタイミングでNYに行くための準備期間が必要だったからだという気さえする。地球上の文化を一隻の豪華客船にあてはめたとき舳先にくるのがNYだというのは自分がよく使う喩えだが、その場所が実在するというのを確かめるのは、人類が人類史を編んでいった結果今があるというのを確かめるのと対になっているように思われる。スケールの大きい話をするためにわざわざ宇宙まで行く必要はない。宇宙船地球号の舳先に立って両手をめいっぱい広げれば、そこで深呼吸すればそれだけで事足りる。そもそも宇宙には文化がない。ただ空間が無為に広がっているだけだ。
今夜は雨が降るとの予報だった。だから昼間干している洗濯物を取り込まなければならなかったのだがすっかり忘れていた。出かける前、Bが不機嫌な顔で「あめね」と言ったからベランダに干されている洗濯物のことを思い出して取り込むことができた。Bはその気になれば人の役に立つこともできる優秀なロポ(ロポットの略)だ。
ロポット(ropot):愛玩用ロボットのこと。ロボット(robot)とペット(pet)を組み合わせた造語。
『戦争と平和』を読む。恋に勝ったロストフ、賭けに勝ったドーロホフ。それらとは無関係に訪れる音楽による陶酔。
グーグルアナリティクスの学習を進める。ダーティなデータをクリーンに。

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