20240301

日記314

ピロ


2024/03/01 今日
在宅バイトをザ行三十分だけで終わらせ、あわただしい今週が終わった。
スタバにくる道すがら、写真展がやっていたのでふらふらと入って写真を眺める。『余白』というタイトルにも感じるところがあった。景色の写真に混じって人の写真があり、その写真がとてもよかった。自分は人物の写真に興味がある。人を知るということはそのぶんだけ世界が広がることだというのはとりたてて人好きというわけでもない自分にとっても一面の真理があると思うし、知らない人と近づきになって知り合いになったり、知り合いの人とさらに近づきになって親密になるということの中に世界の広まりと深まりが両方あるというのはほとんど間違いのないことだと思う。孤立することを防ぐというのは生物としてのリスク管理だなんていう照れ隠しを必要とする年齢でもない。べつに若いときもそんな照れ隠しはしなかったが。
写真に写っている「ある人」を見ると、一瞬でその人が自分の中にくっきり存在するということが起こる写真がある。ある角度で急激にその人に接近するようなその写真が自分にとっての良い写真だ。人を知ることでその分だけ世界が広がるという論でいくと、瞬間で一気に世界がひらけるような感覚に陥る。そのときにはなんか良い写真だなと思うだけだが、しばらくしてそのときに受けた印象のことを考えていると、画像は思い出せないのに、誰とも知らない名前のない存在がひとつの視点になって広がっていくような感覚をおぼえる。人のことを知って、もっと人のことを知ることで世界を広げたいと思う。それで得られることがあるからだ。本は読まないより読むほうがいい。人は知らないより知るほうがいい。教養とか人脈とかそういうものとはべつに、そうすることでしか獲得できないものがある。
転職先が決まったので現在の就業先に退職の意向を告げた。転職の回数はそれなりに重ねているが、働いているうちに次が決まるというのはこれまでやったことのない経験だ。若干だが特有の解放感があった。今回の就業先では結構頑張ったし、それなりにタスク数をこなしていた自信はあるからかもしれない。
転職によって在宅勤務がほとんどなくなるかわりに条件が上がる。在宅勤務なんていうのはだらだら働けるところにメリットがあるのであって、現況のようにばりばり働かないといけないのでは自分にとってはほぼほぼ無意味だ。オフィスに出かけること自体、コスプレ感覚で歩けるということもあり自分はそこまで嫌ではない。それに自分の時間を売るしかないのであればそれが高く売れるに越したことはない。条件に見合った仕事を提供できるのかという不安がないわけではないが、中央値を見れば破格の条件というわけではまるでないし、平均ぐらいの仕事を平均以上にこなすというのが自分にできないとは思わないのでまあ大丈夫だろう。もし無理だったら無理だったとき考えればいい。
そういえば朝からずっと頭が痛かった。バファリンを三粒のんでも完全にはとれないしつこい頭痛だった。なんだろうと考えたら、日焼けしたときに出る頭痛と同じで、昨日の熱湯風呂によって負った軽やけどからくる頭痛だったと思う。あとは会議やら面談結果連絡やら退社報告やらで緊張しっぱなしだったのも関係がありそう。スタバでドリップコーヒーをのんでいる今、頭痛はほとんど消えたのでカフェインも関係するのかも。
『戦争と平和』を読む。子どもたちが兄からの手紙で消息を知ることになる場面で笑ってしまいそうになった。戦争と平和がこんなに笑える小説で、トルストイがこんなに笑える文章を書く作家だというのは知らなかった。アンナ・カレーニナを読んだだけではシリアスで真剣な作家だという印象だけで笑えるという印象はなかったし、戦争と平和もタイトルからして中身がこうなっているとは想像しづらいところがある。笑える箇所を引用しようかと思ったが、そこだけ抜き出してみても笑えるというものではなく、流れの中に配置されていることで面白いと思えるものなので引用するのはやめる。面白かったのは【第三部の8】だった。しかしこれにしても、もしかするとその章だけ読んだところで、べつにそこまで……ということになるかもしれない。読む人が読んだらそういうことにはならなさそうだと思うけど、読む人ってどんなひとなのかわからない。
大喜利というのはお題に対して面白いことをいう取り決めだから、面白いことをいう能力が求められる。お笑いで大喜利が強いというのはよく褒められやすい。そういうのもあって芸人は面白いことをいう人だというイメージが共有されるようになっている。とくにインターネットではこんなに面白いことをいったと文字情報になったり切り貼りされた動画になったりしてわかりやすいものが拡散されやすい。でも実際の芸人の面白さのじつは大部分(すくなくとも半分)は面白いことをいうことではなく、面白そうにいうことだ。考えてみれば普通のことを言っているのに可笑しく聞こえるようにいうのがじつは芸人の能力で、普段目にしているのにあまり意識されない部分だ。芸人は、この人がこういう言い方をするから面白いとなる部分を伸ばそうとしていて、たぶんそれが伸びていった芸人から売れている。……というようなことを昨夜ねむる前、久しぶりにジャルジャルの動画を見て思った。後藤は面白いが、最近はじわじわ福徳が面白くなっている。

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