20240229
日記313
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日記312
20240227
創作物への態度
人が作ったものについて、それが誰かによって作られたものだという事実それだけで基本的にはもう面白い。面白がる目線で見ればすべては面白いから、何かについて退屈でつまらないと言うことはできない。つまらないと宣言することは、見る自分の怠惰な姿勢を表すだけのことで、対象の面白さを毀損するものではない。だから何かを見てそれが面白くないというとき、それは面白い/面白くないという話ではない。正確にいうとすれば好き嫌いの話だ。しかし、好き嫌いという整理だったり区別では話がそこで終わってしまうことも多い。ああそれが好きなのね、ああそれが嫌いなのね、で話が終わってしまう。その人と何かについての話をしたいのであれば、好き嫌いというのは最後に持ってくるセリフになる。対象について好き同士あるいは嫌い同士でそれを褒めながらあるいは貶しながらお互いの親密さをメンテナンスするというのでなければ、片方が好きでもう一方が嫌いというシチュエーション、それらの好き嫌いのグラデーションのなかで相手を説得して自分の意見に引き寄せようとする会話を楽しむことができる。人それぞれだよねという言葉でお互いの壺の中に引きこもろうとする蛸的習性を回避してあくまで会話を続けたいのであれば、好き嫌いの話ではないという体をとるのが効果的なやり方ということになる。そこで、嫌いであれば粗を見つける、好きであれば美点を説明するというやりとりが生まれる。ただこれはどう考えても「嫌い」にとって有利だ。だから嫌い側は好き側に配慮することを忘れてはいけない。というかべつに配慮する必要はないのだが、嫌いという側に立っているだけでもう十分に有利なのだから討論で優勢なことを得意がってそれでえばったりしていると相手とのやり取りにおける自分自身の発言のプレゼンスが下がる。一度か二度しか話さない相手であればプレゼンスを無視してやり逃げできるかもしれないがある程度長期的な関係を築くのであればそのやり方は通用しない。こういう不公平な位置関係に敏感で、自分が風上に立ってえらそうになるのを回避したいがゆえ面白い/面白くない論争において嫌い側に立とうとしない人が一定数いるのも理解できる。彼らはまともな人間であること(まともな人間と見られること)を優先する人だということがいえる。もちろん社会人としてはそれで十分だし、そういう人が多い社会というのはそうではない社会に比べて住みよい社会だといえる。それでも、友人として見るのであればそれでは満足できない。もし自分の友人に嫌い側に立って何かを言うということをまったくしない人がいたとすると、その人の前ではつねに自分のほうが嫌い側で会話をすることになる。それでもいいと思わせてくれる相手であればそれでもいいのだろうが、それでも、たまには自分がフォローしたり自分の思う作品の美点を言わせてくれよという気になるはずだ。誰かに向かって何かを嫌いというとき、相手がそれを好きだろうが嫌いだろうが、まずは自分の感覚に頼ってきっぱり言い放ってしまう。そのあと相手が追従してくるか、反発してくるか様子を見ることになるが、どちらになってもそれで自分の価値観を示せるとともに相手の価値観が知られるということになって基本的に良いことしかない。ただ暗に期待するのはやっぱり反発してくるほうだ。自分の感覚にはない美質があるとわかったり、不注意からあきらかな美点を見逃しているときに指摘してくれるのは会話するということそのものが持つ利点だと思うからだ。そのためには、一にも二にも自分の感覚に正直になり、面白いか面白くないかにフォーカスして自分の旗幟を鮮明にすることだ。創作物その他についてネガティブなことを一切口にしないというのは、気を遣っているふうでいて実際には保身でやっている以外の説明がつかないと思うがどうか。
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2024/02/15 一昨日
スタバを出てすた丼に入ろうとしたら入口が混雑していたので並ぶのも嫌だし違うところで食べることにする。流れていくうちに王将にたどり着く。わるくないけどもっとこの街のものを食べる習慣を身に着けたい。そもそもすた丼を食べようと思った人間がいうことではないかもしれないが。
帰宅して酒を飲みながら有吉の壁を見る。早めにねむろうとして結局十二時を回るがそのおかげで東出昌大主演の映画の舞台挨拶の回のチケットを買うことができた。
2024/02/16 昨日
出社の日。三〇分以上早く着いて朝ゆっくりするのは基本になっている。さすがに毎日出社でそれはむずかしいだろうから今の在宅勤務が基本で出社がイベントぐらいの比率でないと維持できないやり方だという気がする。ザ行なしで終わらせて友人と飲みにいく。わりと久しぶりに会った東京の友人だが、会話に面白をまぜる感じは変わってない。去年東欧に行ってきて今年北米とオーストラリア近辺に行く構えとのことで、海外移住に対する志向が強めなのも自分の周囲では珍しい。最近読んだ本の話をしてそのうちの一冊にエーリッヒ・フロムのあの本『愛するということ』があった。あまりピンとこなかったらしく、縷々内容の説明をしたのち、何を言ってんだって感じと宣っていたが、このタイミングでその本に手を伸ばした事実が興味深いねとコメントしておいた。ひょっとして感情を学ぼうとしているアンドロイドですか? とは言わないでおく。アンドロイドだとするとすごく会話がうまい機種だ。最大にして最後のチャンスがあったときに浮気するかどうかというアホな話に夢中になっているうちに店の閉店時間が来たので帰る。
2024/02/17 今日
昨日ねむったのは二時を回っていたのに八時に目が覚めた。二度寝もできない感じなので日記を書くことにする。起き抜けに鼻をかんだら鼻血がでた。昨日に引き続き二日連続。鼻の粘膜が弱っているのかなんなのか朝から血を見ると一気に目が覚めるので、寝覚めの悪い人は血を見るモーニングルーティンを導入してはどうか。
今日一日をどうやって過ごそうかと考える。休日なので何でもできる。寝不足を解消するための昼寝をどこに持ってくるかでプランの立て方にバリエーションがある。昼寝をしないという選択もあり得るし。結局時間を置いての二度寝を選択し、起きたら十三時ということになった。ご飯を食べに出かけるのが十四時過ぎ、ご飯を食べ終わってスタバにくるのが十五時半ということになった。目当てのカレー屋は行列、六角は売り切れで、ミカンにあるベトナム食堂に行く。コムガーが美味しかったのでとりあえずの満足感はあった。エキウエのスタバは満席で座れなかったのでクラシックのほうにくる。『戦争と平和』の第二部を読み終わる。ナポレオン率いるフランス軍との戦争パートだが、三国志や戦国大名の伝記物で馴染みのある描写とはやっぱり違って、カメラが地面に近いという印象だった。すでに主要人物といえる人物とそれ以外の区別はついていて、その一番は名前があるかどうかだが、名前がある人物にしても登場回数という尺度でのグラデーションがある。砲弾のなかを右往左往しながら生き残るかどうかというのはこの尺度による。それにしてもどこかで誰かを殺すことになるだろうが今のところはまだ負傷はあるものの全員生き残っている。スタバでも鼻血が出た。出血の気配を感じたのでトイレに駆け込んだため地面に血が垂れることにはならずに済んだ。
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