待ち時間
2024/01/28 昨日
倉俣史朗のデザイン展を見に行く。千歳船橋で降りてダイチャリに乗って用賀近くまで。東京リサイクルの千歳船橋店に寄ってから展示最終日の十七時に滑り込む。東京リサイクルでは五月女寛の四角い一輪挿しが格好良くて気になった。倉俣史朗は事前の想像通りだったがわるくなかった。高度経済成長期が生んだ遊び人のひとりという印象。書く字にも文章の内容にも裏表を一切感じさせず、素直な人なんだろうと思った。たとえば書いている内容に「だけど」が多く、自分を守るために留保をつけようと思ったのだろうと感じさせるが、もっと高度に自分を取り繕うためにはそういった保身の身振りを隠そうとするものなのにそれをしていないことでかえって堂々としているように映った。ただ思った通りに書いて、書いているときにちがうことを思ったらそれに従うだけというような文章で、大人っぽくないところがあった。
見終わったあと歩いて用賀駅まで。田園都市線で三軒茶屋までいく。途中の千秋楽のハイライトを見て照ノ富士の優勝を知る。霧島を寄せ付けないどころか子供扱いにしていて、横綱というのは強いものなんだと全員に知らしめるような万全の相撲だった。
三軒茶屋で昔行列で入れなかった餃子の店に行く。東京餃子楼という店で、行列どころか手前のカウンター席には一人もおらず、奥のテーブル席にファミリー客が入っているという体たらくで、飲食は一度流行ってもそれで安泰と行かず引き潮があるんだと知った。知り合いには飲食店オープンだけは勧められない。
茶沢通りを歩いて家に帰る。昼間には自転車に乗れたし冷え込みが厳しくない一日だった。帰宅後『光る君へ』を見る。やっぱり退屈でとうとう終わりの二十分間ぐらい寝てしまう。
目を覚ましてねむる準備をしてからはやめにねむる。ポーカーチップのことで調べ物をしてあっという間に時間が経った。買い物するのにネットを周遊することほどバカバカしいことはないと思いつつ、ネットを周遊した。結論として安いものをドンキホーテで買えばいいということになったので道中で馬鹿馬鹿しいことをするのもわるいことだけではない。
2024/01/29 今日
月曜の朝は憂鬱なので単純作業をして間を埋める作戦にした。ラジオを聞きながらでもできる作業なので面倒だが余計なことを考えないでもいいのがラクでよかった。昼過ぎからは連絡事を消化する。昼寝の時間にトレインチャンネルで見た森岡龍のドラマのことを調べたら2022年に『北風だったり、太陽だったり』という映画を出していたことを知る。きちんとキャッチアップできておらず映画館に行けなかったのが悔やまれる。腹いせにではないけど森岡龍の事務所のオンラインストアで脚本とキャップを購入する。夕方の時間には残り作業をしながらラジオ「お控えなすって」を聴く。ザ行なしでスタバに行く。エキウエが満席だったのでクラシックのほうで日記を書く。『遠読』を読み終える。理論としてのあらは精読しないでもわかるぐらいあるが、アイデアは面白いと思った。訳者あとがきで遠読のやり方はライトノベルには適用できても純文学には適用できないのではないかと書かれてあったのには脱力した。いわゆる純文学と言われてブラックボックス化しているものに対して適用するのでなければいちいちこんな迂遠な方法を取らないでもいいはずなのでまるっきり逆のことを言っている。あとがきが書かれたのは2016年なのでその時点では仕方のない腰の引け方なのかもしれないけど、書かれたものはその状況よりも長く残るのだからそこはもっと突っ張ってほしかった。
遠読を読んだのは小説の読み方の参考にするのではなく小説の書き方の参考にするためだ。自分が書く以上、他とは違うものを書きたいという月並みな意欲を持っているのだが、そのあがき方を進めるにあたり、それなりに自他の位置関係を確認しておきたかったというのがある。枠外の思考というものにどれだけ触れさせてくれるかというところが大きなポイントになる読書だったが、ふたつのヒントを得た。ひとつはタイトルを考えるにあたって、どういうタイトルにするかという点。いろいろ考えてこれでいこうと思っていたタイトルがどうやらあまりよくないというか、中央値から外れようとしてべつのよくあるタイトルに収容されつつあるというのに気づくことができた。結局そのままにするにしても、べつの視点で検討を加えたうえでそうするのとは自分の中での納得度が全然ちがうものになると思うのでこれは良い気づきだった。
もうひとつは長いものを書こうとするのであればやっぱり主人公には冒険をさせたほうがいいということ。これはもともと知っていたのだが、同じことをべつの人の口から聞くことでさらにその方向へと後押しされることになった。時間的な広がりにはどうしても限界があるのでどうにかして空間的な広がりを持たせるというのをもっと考えないといけない。しかし単純に海外に出るというのもちがう。難しいところだ。いずれにしても空間のことをもっと頭に置いておくようにすること。
あとは長い小説を読んで勉強しないといけない。勉強なのだから何も精読する必要はないわけで、さらさらっと読むような読み方(精読と遠読のあいだ)で長い小説の「感じ」を掴めたらと思う。手始めにトルストイの『戦争と平和』を読んでいる。