20240124

日記288

ゲートウェイ高輪

2024/01/23 昨日
スタバを出て氷結無糖レモン7%350を飲みながら帰宅。スタバで聞いていたショパンから音楽を変えずに歩いていたらやっぱりショパンの曲はすごいなと思わさせられた。ピアノ協奏曲第二番ヘ短調の終わり際一回盛り返すかにみせてすらりと終わるところの流れが良い。
帰って氷結をもう一本開けながらほうれん草と豚肉の鍋をいただく。なんとかほうれん草という、しわしわの葉が湯がいたあともしっかりしている良い食感のほうれん草でおいしかった。
ブラッシュアップライフ第七話を見る。Secret baseの曲の入れ方が上手すぎてパロディめいていた。特定の何かのというわけではないがあの頃全般のパロディ。
大相撲のハイライトを見て早めにねむるつもりがすこしだけ夜更かしになる。よくないとは思いつつ『チャンスの時間』の永野を見てしまった。

2024/01/24 今日
在宅バイト。かなりゆっくりできる日だったので洗濯物を回したり、新しい仕事を探したり、止まっていたグーグルアナリティクスを再開したりする。それでもやることもあれば連絡する必要もあるので昼過ぎから仕事に引き戻される。気を取り直して25分間の昼寝をしてからシャワーをする。戻ってきたらまたべつの連絡事項が発生していて対応。そのせいもあって三十分間ザ行になる。
スタバにきて日記を書いてから『遠読』を読む。明日は健康診断ではじめての一日人間ドックコースだ。
それはそうと小説を書くことが全然できていない。小説を書く目当てはなんだろうか。目当て、目的。自己保存欲求という目当てがあるのは間違いない。自分の目当てではないべつの目当てについて考えてみると、たとえば自己を拡散したいというのは目当てにしていないようだ。自己が拡散し、あらゆる場所にその位置を占め、偏在するということがうまく想像できないというのは大きい。たくさんの人の目に止まるようになればその分だけ自己の領域が増えるというのは頭では理解できることではあるが、どうも実感が伴わない。いや、実際のところ自己が存在するというかたちとしてそういう偏在というスタイルは頭でも理解できるとは言いがたい。それにくらべて時間的な伸長というのはイメージしやすい。たとえば孟嘗君のことを自分が知っているというのもそれを後押しする要素のひとつだ。そして自分から見てそういう存在は無数にある。自分が知っているということにおいて存在する存在が、そういった存在形式があるとしか思えない。当然、孟嘗君側の見解はそれとは異なるものだろう。自分が孟嘗君のことを知っているからと言ってその分孟嘗君自身の存在が決定的になったと孟嘗君は思わないだろう。それでも、孟嘗君にとっての歴史があるという認識が名を成すことによって自己を保存するという方向に彼の人生を方向づけたということは有り得そうなことだ。誰かにカメラを向けられて咄嗟に何かのポーズを取るように、それのピッチドロップ実験ぐらい長いスパンで孟嘗君は何かのポーズを取ったのだと言えて、実際自分たちはそのポーズをもとに孟嘗君を思い出すことになる。誰かが自分のことを思い出せるように、その手がかりとして小説を書いておきたいというのがさしあたって小説を書く目当てだ。
日記でその用が足りるかもしれないとも思うが、それではだめだという考えがある。自分に可能なかぎり虚構の方へ進めないかぎり、十分な保存は望めない。できるかぎり虚構のほうへ。たとえば他者性という虚構のほうへ。

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