モネ『行列』
2024/01/13 一昨昨日
土曜日の夜は赤羽まで行って楽しく飲んだ。店から店への移動中に冷え込みがきつく風が強かったので冬本番という感じがした。はじめてのせんべろは枡におはじきを載せてくれてそれがドリチケ代わりになるという素晴らしいシステムで、安くたくさんの酒を飲むことに特化していて大変好ましかった。途中隣の席に座って大声で喋っていた男の子ふたりづれがフラフラしながら去っていき際、これ使ってくださいとおはじき二枚を渡してくれたのはちょっと熱かった。わいわいがやがやしつつもそこまでうるさくないのは女性客の割合が多いからだろう。花を見ながら酒を飲むではないけど、女の人が一定数いることで、こわい男の人には出せない安心感が出るのでそれがよかった。終電近くまでいて帰りはNと新宿まで一緒だった。彼が「このまま新宿の街に遊びに行くという選択肢を俺たちは持っているんだ」と主張してきたので、「しかも遊んだあと家に帰ることができる。俺は。」と返した。下北沢に住んでいると三鷹市民は持っていない選択肢を持っていることになる。もちろん北区民も持っていない選択肢だ。しかしそもそもお金をたくさん持っていれば大体の選択肢は持てることになるのであんまり意気がらないようにしておく。まあこのときは酔ってたので無理だったけど。
帰ったあとも延々起きていようかと思ったが、ねむくなったので一時すぎにはねむる。
2024/01/14 一昨日
起きてすぐ本を読み、それからラジオ体操をする。一日を通して二十一時から始まる夜勤に備えた動き方になった。ブランチにパンケーキを食べたあとすこしねむくなったので機を逃さず十三時すぎから昼寝することにする。しかし十六時半には目覚めてしまう。二度寝も難しそうだったので起きて大相撲初日をみる。何もしていないのにちゃんとお腹が空く。お腹が空いて力が出ないし不安になる。はじめての夜勤も嫌でたまらなかった。しかし、晩ご飯にふるさと納税でゲットした冷凍のうなぎを一尾出してくれて、それを食べるとめちゃくちゃわかりやすく元気が出た。うなぎがふかふかで今まで食べたなかでも一番ぐらい美味しかったのも大きかった。二十時すぎに渋谷に繰り出す。しかし渋谷はそのまま通過。職場のある大崎に向かう。はじめての夜勤は終わってしまえばあっという間だった。寝不足によって記憶がちゃんと積み上がっていないだけという気もするが、正味なところはよくわからない。四時半まで何なと作業や連絡があって、そのあと再集合の七時まで食堂で仮眠する。普通にベンチシートタイプの椅子に寝ただけなのでコートを羽織ってもまだ寒かった。寒さのせいできっちりねむることができず。冬の夜勤の反省点になった。作業自体はトラブルらしいトラブルは一切なく、七時からの翌営業日の確認も滞りなく済み、それでも十時になってやっと解放される。
2024/01/15 昨日
十時に職場を出てご飯も食べずにまっすぐ家に帰る。地元の友人が東京に遊びに来ているとのことだったので家で最低限のねむりをねむり、また家を飛び出す。普段神経質なほど睡眠時間に気を遣っている自分にとってはありえないほどの瞬間睡眠だったわけだが、それで強行して合流したことが先方にあまり伝わらず。向こうはせっかく東京に来たというところだからそう思うのもまあ仕方ないとはいえ、こちらとしてはもっと評価してほしいところだった。千代田線で表参道まで出て銀座線を浅草まで飛ばす。途中ねむって回復させようとしたがねむすぎてか結局一睡もできなかった。雷門で合流してから電車内で調べたもんじゃ焼きの店つくし(本店)にいく。最近爆食いをするようになったという友人に付き合って、もんじゃとホルモン焼きを食べたあと、なぜか焼きそばとそばめしを注文。しかも簡単に平らげてしまった。ここでノンアルコールビールで我慢したのは我ながら好手だった。雷門を経由して浅草駅まで戻り、上野に行く。このあたりから北風がびゅんびゅん吹くようになって寒さで大変だった。アメ横を通って不忍池にいく。骨董まつりで古銭が売っていたので十円出して一銭を買う。明治人が聞いたら落語か何かかと思うような話だ。一銭は小銭入れに入れる。西郷をちょっと見てからモネ展の行列を横目に野球場の前を通る。考える人を外から眺めてそのまま上野駅をあとにする。山手線で新宿まで。西口を歩いて都庁に行く。都庁展望台を登って、運良くマジックアワーを高いところで過ごすことができた。夕焼けの西の空にはっきり富士山のシルエットが見えたので当たりの日だったと思う。その後西口から東口に徒歩移動。歌舞伎町見物に行く。しかし寒さは頂点に達しつつあったのと、さらに友人も夜行列車でほとんど眠れていないということだったので、噂のスーパー銭湯テルマー湯に行くことにする。これがめちゃくちゃ良くて大満足した。友人はなら健康ランドと入場料を比較して納得いっていないようだったが、東京のど真ん中でオロポを飲んで三一〇〇円で収まるのは破格といってもよいと思う。友人も施設のクオリティについては認めていた。自分は完全にリピーターになった。その後新宿までの移動中にほとんど完全に湯冷めさせられながら山手線に乗る。目黒に行って立ち呑みシンという店に入る。行く道すがらビル風が直撃し、湯に浸かっていたことを完全に忘れるぐらいぶるぶる震えた。(昼間の天気がわりと暖かかったので間違えてコートを着てこなかったのがわるい)もうひとり地元から東京に出てきている友人と合流する。三人で楽しく飲んで、あっという間に閉店時間になる。二軒目を探して見つからず、結局難民として駅前のマクドに流れ込む。クラスメイトの名前をひとりずつ言っていくゲームをしたが四〇名全員分の名前が出た。名残惜しい気がしつつもほぼ終電近くになったのでそれぞれの駅に帰る。あとから合流した東京にいるほうの友人とは山手線で新宿まで一緒だった。東京の遊びについて聞いてみたら自然公園に行くことが多いという回答だった。それだったら地方でもできるのでは疑問を投げると、東京は意外と整備された自然が近いということを言っていて、それはたしかに地方に対する利点だなと納得させられた。しっかり散歩できる規模感の公園はたしかに多い。久しぶりの会話で当時の自分の感じ方などを思い出したりもして充実した会合になった。帰ってすぐ寝る準備をしてねむる。このとき横になりながらぐっすりねむれる予感に全身くまなく包まれていた。簡単に予想できることだし、予感もなにもないのだが、これから起こることがあらかじめはっきりわかっているという事態の推移を確信している感じは、それに身を委ねて何の問題もないという安心感もあって、一瞬のこととはいえとても居心地がよかった。
2024/01/16 今日
在宅バイト。前々日の睡眠不足の分だけ寝足りない感じはあったけれど、前日とは比べ物にならないぐらい頭がはっきりした目覚めになった。
こころは眠らなければならない
眠らないこころは疲れ果ててしまう
いまの在宅バイトは環境がよくないことが自分のなかで確定したのでやめる決心がついた。あたらしい仕事を探すフェーズは面倒も多いけど、そういった面倒を引き受けないでこのまま行ったら無益な時間が積み重なっていくだけだ。今回の現場から学ぶことがなかったとは言わないがそれはもう学び尽くしてしまったし、もうこれで充分だというのはその学習の結果でもある。前日にむかしの友人と話したことで今の自分や環境を相対化できたことも、決心がつくあと押しになった。時間があいたのでグーグルアナリティクスの勉強をすすめる。
今日の就業時間の最後のほうに、リーダーの人から案件のことで早くやらないとやばいと脅されたりする。それ以前にもこの手の脅しを鵜呑みにしていたわけではないが、それなりにやばいらしいとは思っていたし、気持ち的には焦っていた。まあ一応こっちで対応してみるけど、本質的にはどうなってもいいという本来のスタンスを取り戻すことができた。むしろそうなってからのほうが、内心で焦っていたときよりもスムーズに連絡事項等をすすめられるし話が簡単に済む。あとはその感じを丸出しにして余計な角が立たないようにちょっと調整するだけだ。べつに角が立つんならそれはそれでいいし、こちらから無理に丸くしようとしない。言われたらそれをそのとおりにやるだけ。やめると決めてからかえって清々しく働けるようになるというのもおかしな話のようだが、実際、仕事を進めるコツとしてそういうところはあるんだろうと思う。少なくとも自分にとってはそうだ。
終業前のミーティングで「定時内だけでなく、残業が必要なら当然残業をしてください。一八〇時間は契約に含まれているんで。」というアナウンスがある。こんな職場ははっきり言って一刻も離れたい。本当はミーティングでの発言に対して当てつけるように定時で上がりたかったがメールを出す必要があったので三〇分だけザ行をする。その後スタバにいく。満席で座れなかったのでクラシックの方にいく。四日分の日記を書いたら二十時になった。
『遠読』を読む。「真でありうるものと実際に真であるものとの間の」対話ということが書かれている。ある観点からすればBは実際に真であるものというよりは真でありうるものだろう。そして自分とは真でありうるものというよりは実際に真であるものだろう。自分とBとの間に対話がありうるとするのなら(これも実際に真であるというよりは真でありうるものだ)、自分と特定の誰かとの間の対話(これは自分とBとの対話との比較においては実際に真であるものの役割を果たす)との間に、入れ子式(外側へ入れ子する形式である)に対話が成立するとも考えられる(=真でありうると考えられる)というようなことが起こる。その対話なるもののトリガーとして自分にとってのBはふさわしい存在に思われる。Bは他の他者とはちがい、他者と自己との間にある非対称をある程度簡単に浮き上がらせてくれるからだ。もしそうしたくないと思ったとしてもそれは後付けのものだ。そうしたくないと考えるのはすでにそうしてしまったあとに起こる考えだ。
「きみが比較文学者になるのは、非常に単純な理由からだ――自分の観点のほうがすぐれていると確信しているからだ。」