冬の行列(ラーメン店)
2023/12/22 昨日
『数の値打ち』を読み終わって、この本から得られた洞察について考えないといけないと思いつつ、すべての読書がそうであるように得たものの大きさに比例して手間がかかるのは確実なので尻込みしてしまった。内容について理解したところを書くというのはついさっき読んだものについて読むことを繰り返すみたいで気が進まない。要約やサマリーを書いてもしょうがないという気持ちがある。この場所では自分にとって意味あると思えることしかやりたくない。内容理解に難があって、同じ本を読んでこの要約を読んだ人から「ちゃんと読んだのか」という疑念を持たれるのがこわいというのもすこしあるのかもしれないと考えたが、よくよく検討してみるとそういったことはなく、本を読むときにいつもそうしているように、今回も自分なりに理解しただけのことだ。
自分には自分のものだと捉えている「文学観」がある。それは文学として読んできた個々の作品から形成されていると自分では認識しているが、同時にそう誘導されたものだということが明らかになった。自分としては自分の好きなように自分の道を歩いてきたつもりでいたいのだが、どう考えたいと思おうがあらかじめ線が引かれているというのは動かせない事実のようだ。
たとえば自分には王道志向がある。サブカルチャーという文言もメインカルチャーの下風に立つものという認識が拭い去れず、遠ざけたく思っている。だからサブカルという言葉は使わないし、自分の通ってきた文物こそ主流だという考えがほとんど無意識下にあるような状態に自らを教化し馴致してきた。だから「真実はひそかに囁かれるように囁かれるものだ」という考えには馴染みがあるし、大声というのはほとんど笑いの対象だと感じてもいる。その野蛮にみえるところに脅かされる部分もあるにはあるが、あまり深くとらわれることがないよう笑って受け流すということを無意識にやっている。自分が差別や差別構造に対して冷淡な方であるというのは以前から感じていたことではあるが、本を読むことでそれを強化しているというのは初耳だった。初耳ではあるが、読書することで偏っていった自分の考え方を点検してみると納得がいく。自分は特権的な立ち位置を求めて読書しているからだ。図書館にいったときに感じられる図書館の意味というのは、それまでに読んだ本によって積み上げられるもので、段差は実感としてそこにある。とくに印象深かった作家の本が陳列されてある一角は、それらの作品を読む前と読んだあとでは明確にその存在様式を変化させるものだ。そして、できるだけ高いところに立って、遠くまで見晴らせるようになりたいというのは自分の意図するところでもある。
段差があるというのは何かを踏むことでその分だけ位置が高くなるということだとすれば、自分が段差の分だけ高いところに上りたいと思ったとき、何を踏んでその分の見晴らしを得ているのかというのはもっと考えられていいことなのかもしれない。自分としては読みおわった本の上に立ってその分だけ見晴らしを得ているというイメージを持ちたいと考えているが、実際にはそれとは全然違うものを踏みつけにしているかもしれない。
『数の値打ち』の第五章で、大声で語られるというコンテキストについて、大声を張り上げる必要があったから大声で語られた、彼らは真実を囁いている場合ではなかったと当時の社会における被差別の構造を明かされたとき、もともとの自分にとっても馴染みのある文学的な価値観である「真実は囁かれる」というコンテキストが一気に相対化され、寄り掛かるには頼りなくなった。
そういった構造について知ってはいても、本当にわかってはいないということもあるだろうし、すべてを織り込んでいこうとする過程では、ただ一度見ただけなのに「その道はもう通った」として無視して通り過ぎようとすることも起こりうる。自分のいる場所を定位するにあたり、できるだけの正確さを期すために必要になる要素は数多い。あまりの多さにどこかしらを端折らずにはいられないだろうし、要約する過程で必要不可欠な部分を削ってしまったりもするだろう。正確さにどこまでコストを割けるかという問題もある。そう考えると技術の習得というのは問題に取り組むために必要不可欠なものだ。何の技術かといえば数をあつかいそこから洞察を得る技術だ。
2023/12/23 今日
ビルの金庫強盗に失敗したが現場からの逃走には成功する夢を見る。突入してきた警察官に中に武器を持った連中がいるから保護してほしいと訴えたら「そこのエレベータで下に降りて」と指示を残して中に入っていったので、非常階段から逃げた。とにかく現場から遠くに離れようと思ったが、最寄り駅を使うのは監視カメラシステムに引っかかってまずいと考えたので、バスで違う駅まで移動してそこから東京に帰ろうという計画を立てた。普段奈良でバスを使わないのでバス路線のことが全然わからず、ちがう駅に行けるバスがなかなか見つからない。そもそもそんな工夫をしても結局は捕まるんだろうなと暗い気持ちになった。警備員を三人も撃ってしまっているし、死刑になるんだろうと考えてお先真っ暗な嫌な気持ちだった。
九時に家を飛び出してスタバにいく。冬特有の寒さでとくに朝晩は冷え込むので五分そこらの移動だけで手指が冷たくなったが、雲ひとつない快晴で気分がよくなった。逮捕される気遣いなしで青空の下を自由に歩けるというのが何より素晴らしい。データアナリティクス講座のモジュール2を進める。日記を書く。