五度目
2023/12/05 一昨日
九時前にスタバを出て仕事終わり下北に飲みに来ていた友人と合流し、飲みながら茶沢通りを歩いて三軒茶屋まで行く。日高屋で晩飯を食べて来た道を引き返して帰ろうとしたところ、小雨が降っているのとタウンホール行きのバスがちょうどきたのとが重なり、咄嗟にバスに乗り込んで下北沢まで戻る。ナンセンスな移動に二二〇円を支払う遊び。駅前で小雨をしのぎながら、来年に対人活動の軸になれば良いなという思いつきのアイデアを話す。酔っ払って良い気分だったのとそのサークル活動に付随する固有のノスタルジーによってまだ始まってもいねえのにテンションが高騰する。こういう場合にはたいてい現実に運ぼうとしたときに思ったよりうまくいかないと挫折を知る結果におわるのが常なので、あえてちょっとテンションを下げつつ、具体的な活動について考えるよう軸足を移していきたい。成功の条件はいろいろあるんだろうが、やはり空間的な意味での「場所」の問題が一番大きいと思う。これをうまく解決できればそれだけで軌道に乗るのではないかとさえ思えるが、あの頃のサークル活動ではあらかじめそれが用意されていたのがやっぱり大きかった。あの頃からバイタリティが減っていなければ知恵がついた今ならトントンの条件だといえるはず。バイタリティが減ってさえいなければ。
2023/12/06 昨日
在宅バイト。ゆるやかな一日だった。仕事後にBunkamuraル・シネマ・宮下で上映される『ロスト・イン・トランスレーション』を見に行く。Bunkamuraの建物というか東急の建物が潰れたのは知っていたが、Bunkamuraの施設だけは残ったんだろうとノコノコ出向いたところ、正面入口が暗くて入れないようになっていて、裏から入るのかと裏に回るも入れない。そのときになってようやくBunkamuraル・シネマ宮下の宮下の意味に気が付き、悪態を垂れながら急いで渋谷を横断して映画館に向かう。時間ぴったりに東急のほうに着いたので遅刻確実かと思われたが、長々と一五分ぐらい予告を流してくれたおかげで肝心の本編には間に合った。
しかも映画を見ていると直前に渋谷の街を横切って足早に映画館に向かう時間が効いてきたのでつくづく運が良かったと思った。映画の中の街の風景と二〇年余の時間経過をこえてリンクするように感じられた。『ロスト・イン・トランスレーション』については言いたいことが結構あって、ちょっと間をおいてから感想を書きたい。
映画館から出て、現実で現在の渋谷に戻ってくると、まるで龍宮城にいたかのようなトリップ感覚を味わえて面白かった。二〇年前から現在時に帰ってきたという気分が共有できてよかった。
よせばいいのに渋谷の街を歩きたくなったので、駅前でカレーを食べたあとセンター街のあたりまでぐるりと回った。映画は旅行者の視点で東京を眺めるのが特徴的で、東京に来たての頃のそれと似たような感覚を懐かしく感じて良いと思ったのに、缶チューハイを手に無意味に歩くこの歩き方はよくいえば対照的、わるくいえば無関係な歩き方にしかならないのだった。まあそれはそれで楽しいし、歩くのにそこまで寒くもなかったから良かったといえば良かった。あの映画を見てそれをしないという選択肢は実際なかったわけだし。
下北沢に戻ってすこしだけベンチに座って飲む。「白々しい」のようにひとつの言葉をふたつつなげて形容詞になっている言葉を順番に挙げていく遊びで対戦相手から「おどろおどろしい」というウルトラCが出て、それはもうおったまげて「お見逸れしました」と言った。
2023/12/07 今日
在宅バイト。ゆるやかな一日だったので3blue1brownの線形代数のエッセンスシリーズのこり3エピソードを一気に見終える。と、そんなことをしていたら夕方に考えないといけないことがあったのを思い出して結局一時間のザ行。久しぶりにラジオ体操もできて調子を取り戻せそうだったのに失敗だった。
終わってからすぐスタバに行って『数の値打ち』を読む。文体と反復の章を読み終える。あれも東京これも東京というフレーズが昨日映画を見てから何度となく繰り返されているので感想を書きたいと思っていたが日記を書いているうちになんとなく気持ちが落ち着いてきた。日記を書いていると細かいことに注目したり、わざわざ書くまでもないことを書けるという利点がある反面、これについて書きたいという気持ちを遠くに運んでいってしまう効果があるようだ。気がつけば小説も全然手を付けられていない。これじゃ困る。困るけどしょうがないといえばしょうがない。もっと余剰分が出るように日々の労働量を抑制する方向で考えたい。