「まだ始まっちゃいねえよ」
2023/11/25 一昨日
朝九時から散髪に行く。その後スタバに行って読書。代々木八幡の「365日」というパン屋でおしゃれなパンを買って歩きながら食べる。バスで渋谷に向かう。渋谷駅でバスから降り立つときに普段とはちがう渋谷入りにちょっと気分を良くする。ショッピングに付き合ってヒカリエ、スクランブルスクエア、ヒカリエ、スクランブルスクエアの順でエスカレータを昇降する。黒い靴を二足買っていた。その後目的の映画『首』を見る。加瀬亮の織田信長がめっちゃ良かった。黒澤明監督を意識した北野映画という感じのバイオレンス時代コメディで他の映画では味わえない満足感があった。すぐ下北に戻り、ミカンの焼き小籠包を食わせる店で晩飯とビール。帰宅してからねむるまでに時間があったので北野映画の予告編を流す。ネトフリアニメのスコット・ピルグリムと邪悪な元カレ軍団とかいうのを見る。世界観含め謎だがアメリカンな良いテンポで面白い。一話三十分弱だったのでとりあえず二話見る。
2023/11/26 昨日
朝起きてすこし読書をする。昼から新宿に出かける。十三時すぎに到着した目当てのボードゲームカフェは満席状態で寒空の下に放り出される羽目になる。ネットで検索してボードゲームカフェっぽいスペースが百人町にあるということを突き止め、新宿三丁目から歌舞伎町を抜け大久保方面に向かう。途中のバッティングセンターでとりあえず二十五球ずつバットを振る。時速百キロのボールはそこまで早く感じなかったのだが前に飛んだのが友人と自分でそれぞれ二十五分の五と二十五分の六という体たらく。金の軽いバットを振り回していたのだが途中で握力がきつくなるぐらい普段の運動不足が祟った。百人町のスペースは面白そうな店が蝟集しているビルの三階にあり、現実離れしてゲーム世界じみた雰囲気があった。三人が三人とも怖気づいて扉を開くところまではいかず。雁首揃えて退散した。なんとなく西新宿まで歩きブックファーストに行く。大型書店も売り場面積を一部ダイソーに譲り渡す必要があるようで、本屋冬の時代なのを感じた。その後新宿伊勢丹でウインドーショッピング。メンズ館もかなり賑わっていて本屋とはぜんぜん違う勢いがあった。一階にある香水の店でベチバーを探す。売り子のお姉さんがいう「質の高い香水です」というのを鼻では感じ取れなかったものの値札を見るときっちり三倍ほどの値段になっていてなるほどと思った。また歌舞伎町の方に移動して屋台風の豚骨ラーメンを食べる。その後歌舞伎町をぐるりとまわる。トー横を縦断した直後に喧嘩騒ぎが持ち上がったので、エスカレーターを上がった歌舞伎町ビルの入口からキン消しほどの人影が殴り合いをしたり、セキュリティや警察が制止するのを眺める。
十八時前になったのでボードゲームカフェに戻って相席ボードゲームをして遊ぶ。最初はカタン、人数が増えてからは七人で「お邪魔者」や何やをして、あとはふた手に分かれて何とかいう面白いゲームで遊ぶ。入る前にあっという間だとは聞いていたが本当に二十三時になるのがあっという間だった。帰りにダイエーで食料のインスタント麺やらを買い込んで帰る。それなりに楽しかったがもっと楽しい週末にできたのではないかという後悔が忍び込み、寝て起きたら月曜だという事実もあってまたまた気が塞ぐ。ねむるのも少し遅くなった。やるやらないの判断をする機会にはデフォルトで「やる」しておくぐらいじゃないと日曜の夜に満足するのは難しい。
2023/11/27 今日
在宅バイト。だらだら働いても何とかなる日だった。前日におぼえた憂鬱ほど嫌なことが起こるわけじゃないというのがはっきりするから気分的にも少しずつ持ち直していくのが月曜の特徴だ。久しぶりに定時で家を飛び出してスタバにいく。『サルトル哲学序説』を読む。
そういえば、誰かが面白いと言っている何かを面白くないというのは本意ではない。本意ではないというか、自分の感性に正直になって面白いかどうかを振り返った結果やっぱり面白くないと思ってそれを率直に面白くなかったと言うときにたまたま面白かったと口にしている人と目が合ったらざんないと思う。ざんないとは思うが、そうなる危険をあらかじめ予期して何に対しても面白いところを見つけて面白いと言うようにしようとは思わない。それはまあ当然だと思うが、自分の場合はそこからも一歩進んで面白くない場合ははっきり面白くないと言って旗幟を鮮明にしようと心がけている。面白いという意見と面白くないという意見はどんどん戦わせても平気なはずだ。それによって評価が覆るようなことがもしあれば御の字だし、そうならないでも何が面白いか(あるいは何が面白くないか)がはっきりすることで自分が(そして相手が)何を面白いと思うかという情報が得られる。誰かのレビューを見たり自分と同意見の感想を探したりするより情報の精度が高くなる気がする。精度に関しては気がするどまりだが、手触りや肌触りといった触覚にまで届くような感想が自分の中からその作品にむかって発されるようにするためにはこの方法が有効だと思われる。