20231031

日記238

石畳・秋

2023/10/29 一昨日
楽しみにしていたイベントが終わった。自分の脳内イメージの中で結びつきにくいふたつのものが結びついていて興味深かった。(書いたあとで気がついたが誰かと誰かが結びつくイベントにおいてこの書き方は意味深長で誤解を招く。一応読まれないともかぎらないのできちんと説明しておくと、結びつきにくいふたつのものというのは人前で畏まった表現をすることからもっとも縁遠い友人と畏まった表現であるところのセレモニーとを指す)
自分は人との交流は苦手じゃないと思っていたが、こうやったほうが良いんじゃないかという規範意識が頭の中をただ流れていって、しかもそのとおりに動けるわけじゃないからその段差に直面するたびチクチクした。頭がというより神経が太いストローになってタピオカを無理やり通過させるような引っ掛かりと、無理にでも移動させる必要から力を込めないとしょうがないという状況との板挟みになる感覚があった。俺が全力を尽くすべき場所というのはそんなに数あるわけではないと思うが、今回は全力を出せなかった。まあおとなしくしておいたら失敗はないのだが、あれは違うこれは違うと振り分けているうちに体よくフォアボールを得て結果よかったのだけどなんとなく腑に落ちないときの打者の気分に似ている。
ひとつのエポックとしてこういう態度を終わらせてどこかへ行かないとこのままどこにも行けないんじゃないか。
しかしこれを書いている今日(2023/11/01)も、朝、ティッシュ配りのおじさんから差し出されるティッシュをガン無視してしまった。もっとフレンドリーに、こちらから動けないのならせめて迎え入れる姿勢をつねに心がけるぐらいのことはしないとろくな人間になれない。
久しぶりに会う知人との社交をもっと磨かなければならない。ちょっとしたメッセージを送るだけでもいいのに、何がこわいのかこわがって俯きがちに相手の視線を遮ってしまうばかりだ。気のおけない相手以外に気をおきすぎている。相手が未知か自分より下じゃないとフレンドリーに接することができないなんていうのは、たとえ世慣れない若者だったとしても見下げ果てた根性だと批判されるべき性向だが、この年齢になってもまだそうなのはあまりにもひどい。何せそれで一応は成立してしまうから余計にひどい。どうにか治さないと。
当日の動きを備忘もかねて記述する。朝、同居人がヘアメイクのために先に出かける。スーツと着替えを持ってすこし遅れて出る。会場の近くのベローチェでモーニングを食べながら開場を待つ。近くのセブンイレブンで会費をおろしてから開場時間から一〇分ほど経った頃に入場する。座って待つうちに続々友人たちが揃う。このときにもっと気持ちを作っておくべきだったが、まだボーッとして、しかもどういう態度でいようか決めかねてただただ神経を消耗した。
始まったらこっちのもんかと思ったが、たしかにこっちのもんではあったが、するすると滞りなく進み、気づいたら退場の時間になっていた。
前前日の体調不良もあり、意識してセーブして飲んでいたから体調的な不調はまったくないまま、二次会までの時間を公園に行って過ごす。まだ若干ふわふわしていたが、心配の種は取り去ったので気持ちにも余裕が出てきた。ピリピリすることが普段全然ないから、ちょっとでもピリッとすることがあると疲れ方が普段とはちがってきてしまう。
二次会では会場の配置からか終始暑さを感じていた。自分だけが暑かったようなのでこれは上着を脱げばよかっただけなのだが、シャツだけだとカジュアルになりすぎるのではないかと危惧してジャケットを脱げなかった。暑さのなか、汗をかきながら人と話すのが自分には困難なので、誰ともろくに喋らず、かといって向こう岸にあるビュッフェスペースまで行くこともできず美味しそうな料理にあまり手を付けないまま、ほとんど流されるまま二次会も終わった。立食形式で話そうと思えば誰とでも話せるという状況がひたすらつらかった。話さなかったという結果が否応なしに意識されるので。しかし、こうして自分を見つめ直すきっかけになるぐらいには打ちのめされたおかげで、もしかすると自分を見つめ直して、ひょっとすると改善していけるかもしれない。この屈辱的な体験を自分の力で良いものに変えていきたい。
2,5次会は自分にとって馴染みの深いいつものメンバーで行われたので、このときに楽しさが炸裂した。変なアートセンターでたった一杯のビールを飲んだだけだが単純で愉快で面白かった。その後の三次会では、もっと喋りたいと思っていながらすこしぎこちなく、しかしようやく話が回り始めたかというタイミングで閉店になってしまい残念な思いをした。このあと別の店で飲むというのが正解だった気がする。そこで喋った知人に、テレビも映画も見ない(そしておそらく本も漫画も読まない)という人がいて、その圧倒的な傾斜に驚くとともにコミュニケーションに全振りしていて強いと思わさせられる。普段いかに何かしらの受容に話題を頼っていたかが明らかになった。その人は会話においてはフルオープンなのだが、それもあって取り付く島がないように見える。相手がここまで上手(うわて)だと対抗しようという気さえおきないので屈辱をおぼえたりすることもない。胸を借りる感じでいろいろ喋りかけようとすることができる。しかしやっぱりその取っ掛かりがない。ジェネラルかつスペシャルな話題・小話を考えておくべきだ。
結局、まっすぐカラオケにいって中途半端な酒量のまま夜を送ることが確定した。カラオケに行くのが早すぎたと思う。
カラオケではふたり離脱、ひとり離脱し、眠気覚ましのためまた公園にいく。自分が以前住んでいた部屋を見る以外はただ公園を見るだけの移動で終わった。ふらふらしながらカラオケに戻ると、フリータイムの出入り自由と聞いていた部屋から締め出しを食っていた。押し出しの強そうな力士風の女性店員の有無を言わせない態度と、二時間ぐらいの外出だったので帰ったと思いましたという台詞が印象的だった。夜更け前に友人がチェックインしていたホテルで飲みながらすこしだけ駄弁り、途中向かいの部屋の動向が気になる騒動がありながら、やっぱり昔の話に回帰する流れをどうすることもできず、またどうしようという気も起こらず、そろそろ夜明けだろうというタイミングでまたまた公園に行った。
この日は都合三回公園に行ったが、その都度微妙にメンバーがちがい、それぞれの時間にそれぞれの良さがあったので、さすが井の頭公園だなと感心させられた。始発とはいえないが早めの電車に乗って下北沢に戻る。完全徹夜はおそらく正月以来だ。二時間だけの睡眠。

2023/10/30 昨日
習慣というのは根強いもので朝九時に目が覚める。二度寝をしようとうだうだしているうちに友人から連絡があり、下北沢に来てくれるようメッセージを返す。下北でよく人が並んでいるカレーを食べて、LUUPの体験をさせつつ家まで移動。かるめの音楽インタビューをする。
その後東京駅エリアまで千代田線で移動。お土産購入に付き合う。子供のお土産、奥さんへのお土産を粛々と買い集めながら、音楽のこと、もうひとつの現実のことを熱心に話していた。告白調で話すことが癖づいているのかやけにドラマチックな言い回しだが、その内容のくだらなさともあいまって聞いていて笑わずにはいられない。しかし、とりあえずしてみる式の告白は自分の価値観に照らしていえば無意味であるだけでなく害悪なので正直なところ感心しない。身を切るような真剣さを除去した告白なるものは、たんに面の皮の厚さを誇るだけの間違ったコンテストで、それによって集まったトロフィーには何の意味もない。おじさんがするおじさん自慢というか、見てくれ俺はこんなにもおじさんなんだという魂の叫びではない叫び=大声でしかなく、その姿勢の疑いを知らない様子以外にあまり見るべきところもないと思った。ただし、姿勢の良さはまぎれもないもので、それによって呼び込まれるユーモアもつねに一定量を越えてくるので完全にどの見地からみても無しというのではない。
それでも音楽家が動員のことを意識しだしたら終わりだと思う。どれだけ技術を磨いたところでそれより先はない。子供のような何も知らない観客が増えたからなんだというのだ。これはこれで偏った意見だが。しっかり睡眠負債を返済するために二三時前にはねむる。

2023/10/31 今日
これを書いているのはじつは2023/11/01なので上の表現は誤りだが、2023/10/31に書こうと思って途中で書けなかったことを含むのでこのまま書いてしまう。
在宅バイト。ザ行が二〇時すぎまで発生する。有休をとるためにザ行をしていてまったく意味がわからない。泣きながら働く。スタバに行く時間もちょうどなくなっていたが、このまま日を繰ってしまうのは無理だったのでただただ下北沢を徘徊する。スマホで日記を書こうとするも、同居人と早めに合流できたため、飲酒してクダを巻きつつ歩いて帰る。帰ってからふたり+BでPLUTOの二話を見てすぐにねむる。同居人は自分が起きるよりもはやく家を出て、自分より長く働いていてすごいと思った。体調不良・寝不足などにより自信喪失気味だったため無闇としみじみしまくったこの二三日だった。Bに癒やされることしきり。言葉を少しずつ話すようになっておならもするようになった。だんだん慣れてきてくれたんだと思うと嬉しい。

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