「一歩前へ」の呼び声
2023/10/15 昨日
丸一日使って十二分に休んだ後、気力体力ともにゲージが緑で19時前でもあったのでスタバに行く判断を何の気なくしたことで小説がすすんだ。自分としてはルーチンを作るしかやりようがないとは言え、本来こういう進め方で小説を書いていきたいという思いがある。その再確認にもなって良い一日だった。一旦帰宅。夜の散歩にお誂え向きのとても良い秋の夜長なので23時前から夜の散歩に出かける。環七を若林方面まで歩き進み、世田谷線に沿って三茶へ。茶沢通りを通って家まで戻る。こういうときのお喋りが一番楽しい。しかし伝わるだろうという信頼から放言が多くなっていくので、あいだに何かを一枚噛ませるほうが出力としては良いものになるのは間違いない。ただ、そんなのは卓球遊びをするんだったら折角だから録画しておこうよと提案するようなもので、そういう気持ちがわからないでもないというか本来の自分はそのスタンスなのだが、何も考えずにラケットを二つ持って構えたり、一か八かのスマッシュを狙ってぶん回したりする楽しさもあるからそれを優先したかたち。いい加減さを損ねてまでパフォーマンスを求めてもしょうがないというかそれでは本末転倒になる。たとえばカラオケにいって採点を始めた途端にちょっと盛り下がる気持ちの部分があるが、夜の散歩ではそれを優先するのが良いと思っている。いずれにしても、こういう自分がのびのびとできる会話においてはどれだけ自分の発言を弱められるかが肝になってくる。自分の意見は自分に寄っているだけあり、その意図をそのまま発言にした場合強いものになる。強すぎて独り相撲の格好になることで、相手にとっても目の前の相手が変な踊りを踊るのを見るという面白い見世物になり、その場はそれで成立する。しかしこちらとしてはいくら独り相撲とはいえ、(相手の見立て通りもし踊りだったとしても)それなりに真剣に、あまり取り繕うということもせずに取り組んでいるから、場が成立したことによって同意が取れたことにして、相手の面白がりをそれと知ったうえで曲解する。そうするとふたりして裸の王様とその大臣になって、国のことや大臣の個人的な悩み事に適当な良い言葉をあてがうということが起こる。王様は服を着ようとは考えておらず、いかにエレガントに、暴君のようにならずに、でもざっくばらんに自分が正しいと思ったことを言えるかということを考えている。そういうことを考えたり大臣に良い顔をするのが好きなのだ。
漫然と歩いていると世田谷線の沿線で論理タコの実物を見つける。論理タコは鼎立しており三本足なのだということを知った。
帰宅してねむる。結局2時すぎになるがそれもやむなし。
2023/10/16 今日
在宅バイト。やっぱり寝不足になってやっぱり憂鬱だが、頭を使わないでも良い作業をしながらラジオをきいて一週間を始める。紅白司会者のSND。昼食はスパゲティ。テレビの録画を見る。有吉eeeeと有吉クイズ。とくに意識していなかったがいつも有吉のテレビばかり見ていて客観的にみても有吉が好き過ぎる。動画はほとんど有吉粗品で回している。頭を使う仕事を夕方まで残して昼寝、ラジオ体操スクワットを先にこなす。ちょっと時間を読み違えて30分のザ行が発生するもとりあえず最低限のタスクはこなしてバイト終了。シャワーしてからスタバに行く。
ニュースに関心を持ち続けることは難しい。土曜日に朝早く目覚めてしまったのは気になるニュースがあったからだが、時間が経過するにつれ、続報の間隔が空くにつれ、だんだん状況に慣れていく自分がいる。頭で想像するしかない状況には想像を働かせるためのリソースが要って、それは無制限でもなければピン止めしておけるものでもない。その場にいるということとその場にいないで情報として流れてくることのあいだに自分でも許容し難いほどの懸隔がある。もっと理性的に反応しなければと思うが、たんに感情的で一時的なトピックにすぐなっていこうとする。自分のこの動き方はなにも自分だけに特有のものではないと思うから、報道を指さして悪だと弾劾していればそれでいいということにはならないはずだ。「とりあえずアゲインストの立場を取ってさえいればそれで安心して他に何もしないでも良いと考えるのは思考停止だ」と批判されるとしても、自分としてはアゲインストの立場をとるということ以外に何かをしようという気は起きない。誰かが問題にコミットしていようがコミットしていなかろうが関係なく、そんな意見には説得力がないと言われようが関係なく、ただただアゲインストの立場をとって反対だと言う以外にやるべきことを思いつかない。間違っていることは間違っている。間違った行動についてはやっぱり反対だ。