田舎へ
2023/10/09 一昨日
午前のうちから昔通っていた小学校のほうまで散歩に出かける。近くの幼稚園か保育園かの運動会がやっていたので中に入ることができた。寺を見て歴史を感じるのに近い感覚があった。懐かしい気持ちがはるか遠くにあって、その遥かさが歴史浪漫的だった。実際にそこにいたはずなんだけど、実際にそこにいたというリアリティの感じられ方はどうやら聞くところによると実際らしいというような伝聞の形式に近かった。引き付けたり感情を喚起する力は弱いけど、微弱とはいえ「ない」とは言えないことで時分の中での存在感があった。
小学生の頃「ピンキー」というお菓子を万引きしたり、中学校の職場体験で始めて「働く」ということに触れたスーパーマーケットに行った。継続してあるということに感心した。ちょっと小雨がぱらついていたので折りたたみ傘を買う。同行した母が変なスウェットを買っていた。「うさぎ」と書かれていてその下にキリンの絵がかいてあるスウェットだった。見つけ出したときにすごく笑っていたので良い買い物だったと思う。安かったし。
ならまちのほうまで歩いて、最近できたという面白いスタイルの古本屋に行く。大江健三郎の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』が置いていたので購入。その後グリルのお店に行く。ハンバーグがおいしかった。
その後JRで大阪まで出て、阪急で豊中に行く。こちらはストレートに懐かしかった。写真を何枚か撮ってみるも、見ていたような景色にならなかった。当時の行動圏をぐるりと回って三十分経たないぐらいだったので狭いところをうろついていたんだなと思った。
その後高槻の方面に足を伸ばす。昔の友人が店のオーナーになったとかで、その店まで遊びに行く。当時から忙しそうな人だったが、今はそれに輪をかけて忙しそうにしている。普通に休みがないと言っていてさすがに迫力があった。この日は店が暇だったようで共同経営者のもうひとりに店を任せることができ、早抜けして彼女の運転で生駒まで行く。生駒の安くて美味い居酒屋で、彼女の夫も合流して一緒に演劇の話をする。人に気を遣うのが当たり前になってるからそこまで疲れるということもないんだろうけど、自分だったらとても無理だというぐらい周囲に気を配っていてすごいと思った。「作る」ということをずっとやっている人がいると、その人と実際に会わないでもどこかで刺激になるものだが、会って話すとより刺激になる。自分のペースで自分のやりたいことをやっていかないとという気持ちになった。俺からは休むことの重要性を伝えたいと思ったんだけど、相手には相手のペース・やり方があるんだろうから口出し無用と思って「もっと休んだほうが良いのに……」とか冗談めかした相槌の代わりを放り込んだりするだけにした。休みが必要になったら身体からサインが出るから大丈夫だよということを共同経営者は言うらしく、類は友を呼ぶじゃないけど、時代錯誤な猛烈さ加減で気が合うんだろう。あと最近演劇の舞台に立ったということをちらっと言ってみたが驚くほど反応がうすくて拍子抜けしてしまった。あくまでも演者で観客になるつもりはないんだろう。心強いことだ。自分も自分のことを話すときには効果とか狙ってきちんとパッケージにして話せるようにしておかないと、いつまでも観客のままだ。観客気分のままなのは良いけど観客のままなのは良くない。
2023/10/10 昨日
奈良の家で在宅バイト。考えないといけないことがあったのであまり余裕がなかった。晩ご飯は自宅でおでんを食べる。その後JRで王寺駅までいって友人と会う。仕事後に車で駆けつけてくれてお腹が空いているらしくベイビーフェイスというオムライス屋に行く。四分の三個室の席に通されてテンションが上がってしまい、二人前におすすめというプレミアムセットを注文する。自分は痩せの大食いだと自分のことを評価しているのだが、時代が下ってそれも昔の話だと考え直すようにしなければならない。結局、全然戦力になれず、オムライスとピザを残してしまった。最初のサラダとパスタは完食した。仕事でちょっと疲れていたのでテンションが低い状態で会ってしまうことになり申し訳なかった。難波から夜行バスで東京に戻る。VIPライナーのゆったりシートだったのだが、キャンセルなのか最後列の席が空いていてそこに座れたこともあり、これまでの夜行バス体験のなかでもかなり快適な移動だった。ベイビーフェイスで本気を出せば完食できたけど、この移動のことを考えて無理をしなかった自分を褒めるべきだ。
そういえば王寺から難波への移動時にこの前の演劇のアンケートを書いた。書いたものを見られる問題というのが存在する。本当はそんな問題など存在しないという扱いにしたいのだが、正直になって考えるとやっぱり存在してしまっている。もし誰かに読まれてそれが嫌だと感じるようならそんな文書は書くなというのは基本的にはその通りだと思う。だから最終的にはこの日記にしても誰に読まれても問題ないというスタンスで、そう思ったものしか書いていないつもりだ。しかし、実際のコミュニケーション上でついかまととぶってしまっている場合など、こんなに正直に書いた文書を読ませるのは気が引ける。ただし、どんな人相手でもサシでお酒でも飲みながらじっくり話せた場合、ここに書いてあるのと同じことを言わないとは思わない。そんな機会はないだろうなというケースは存在するが、その場合でも問題はそちらのコミュニケーションのほうにあって、こちらの文書のほうにはない。自分はえらそうなことを書いてもとくに何の痛痒も感じないほうだが、どんな人相手でもえらそうなことを言えるほど腹が据わっていない。正直になるのに気後れを感じるタイミングはある。そこで無理に正直になろうというのは、自分の性に合わないことをしているという意味で正直なことだと思わない。話せば分かるということをしか自分は書いたり言ったりしない。それだけでは満足できないからもっと思い切って書くときにはそう書かないといけないと考えているが、それは日記や自分につながっている文章ではなく、直接にはつながっていない文章を書くときにそうしようと思っている。ただ、文書についての自分のこのスタンスというのは、例外なく誰にでも適用というのではなく、特定の人物にはやはり見られたくないと思ってしまっている。あえて見せにいかないが見られてもかまわないというところから一歩すすんで見られたくないという気持ちがそこにはある。その例外以外、基本的に誰に見られてもかまわないと思っている。あとバイト先の人達にもできれば見られたくない。
2023/10/11 今日
とはいえバスが定刻より遅れて出勤ぎりぎりの帰宅になる。最寄り駅についたのが八時四五分で、電車一本分の余裕もなかった。在宅バイトは打ち合わせ、よくわからない案件の理解で時間が経って、一時間のザ行が発生してしまう。途中長めの昼休みをとって睡眠不良を補うためのパワーナップ(二十分)を二回したので仕方ないと言えば仕方ない。あとは自分のペースで休みを取るスタンスがよく思われないようで若干風当たりを感じるようになってきた。運動靴に小石が入ったぐらいのストレスがあり邪魔くさいのだが、こちらの取り分が少なくなる譲歩をする気はないので我慢しないといけない。ただ、いくら微弱でもストレスはストレスなので損して得取るというやり方も考慮に入れても良いような気もする。意地を通せば窮屈だし。
スタバにきて日記を書く。感じたことをたくさん取りこぼしているが、今回の奈良滞在は振り返りたいと思っていた道を歩けたので満足度が高い。そして結果的に今回京都はほとんど通らなかった。最初の新幹線の降り口、近鉄電車の乗り口でしかなかった。ここまで京都に冷淡なのは東京に行ってからでは初めてかもしれない。