金次郎
2023/10/05 昨日
演劇『ゾウ』を見に行く。なんだか開演前にそわそわしてしまったけど、肝心の内容はよかった。サーカスから連想される「これは見世物である」という前提の中に人同士のやり取りが配置されていた。関係として前者と後者は容れ物と中身になる。その関係を逆転させることを目論んでいるのかそんなことないのか、はっきりいえるわけではないのだが、転覆を図るとしたら後者から前者へのアプローチしかないわけだし、そういう踏み出しをしようというメッセージも感じ取った。踏み出す一歩というのはさりげなかろうが思いっきり力をこめようがどっちみちドラマチックになるものだが、そこに何を仮託するかによってはさらにブーストがかかるということがある。
一歩を踏み出した経験の有無がこの作品の評価を分けそうだと思った。自分の場合、踏み出した経験というより尻込みして踏み出せなかった経験によって人格が形成されているということがあるので、その一歩の価値を二倍も三倍も感じ取ることができた。
しかし、一歩の先ということを考えてみると、結局転覆は成らず、容れ物のなかに中身があるということが確認され、器の強固さ(見世物であることの確かさ)が明らかになっていた。
踏み出す一歩を段差を降りるというかたちで示したのが、この見世物のポイントといえばポイントになるだろう。降りるという動作が踏み出す一歩に重なる場合もある。そこで何かしらの逆転が起こっているのは間違いないが、それに単純なよい/わるいの意味づけはできないはずだ。それでもその瞬間を切り取って感じたり考えたりする以上、とりあえずの意味づけをしてしまうほかはなく、そしてそれを「良い」と感じたり考えたりしたいのは、どんな音楽であっても明るい曲だととらえたいという根本的な嗜好による。
あれはよい一歩だった。そう意味づけたい願望から観客は抜け出せなくなる。こと劇場において、演劇は、容易に身動きがとれないほど強固な見世物だ。
2023/10/06 今日
在宅バイト。月イチの会議で発表した以外とくにトピックなし。ザ行なし。ラジオ体操とスクワットあり。
渋谷に出かける。タワーレコードで用事を済ませてミヤシタパークにいく。涼しいを少しだけ通り越してしまっているがぼんやりしたり、翌日のワークショップへの申込みメールを書いたり、ぼーっとしたり人の流れを眺めたり日記書いたりする。近くでバレーボールのパブリックビューイングをやっていた。結構歓声があがっていていい感じ。