20230927

日記214

おぼろ

2023/09/26 昨日
なんだかんだで22時半までスタバにいた。そんなにお腹が減っていなかったので晩ごはんは食べず、夜はスタバに入る前に食べた一本満足バー(プロテイン)だけになった。
早めに寝ることを心がけるも、なんだかんだ0時すぎになる。

2023/09/27 今日
在宅バイト。午前中に打ち合わせ。知らないことがたくさんあるなかで打ち合わせのファシリテーターをやらないといけない羽目になっているのおかしい気がする。ただこの日は午後休を取っているので、あまり仕事のことは考えずに13時前に離脱する。
オオカミのいえという映画を見に行く。映画館の近くのもうやんカレーに行って、おかわり一回のランチを食べる。一皿目でもりもりに盛ったせいで腹がパンパンだったのにもかかわらず、おかわりをしないで終わらせるのはもったいなくて無理だったので野菜中心におかわりをする。バイキングの前に立つとあれもこれもとなって結局一皿分盛ってしまい、必死になって完食する羽目になった。案の定、満腹からくる眠気で映画は半睡状態で見ることになった。生成変化する様を見せるストップモーションアニメなのだが、リズムが遅く感じられるのと音楽と効果音のセンスが合わないのとで最後までのめりこめず、目を開けていることが難しかった。起きていようと頑張るのではなく映像を媒介にしていつもとちがったテイストの夢を見ようという方向づけをしていて、むかし能楽堂で夢幻能を見たときの感覚に近かった。曖昧なまま一応見終わった感想として、鳥は歌えるが歌の言葉は通用しないというメッセージ内容を受け取った。通用しないというのは加虐者、庇護対象のどちらに対してもそうで、声のトーンや歌うときの表情、さしのべる救いの手には反応があるものの、思惑については無反応で終わってしまうという失望が伝わってきた。
映画を見終わったあとはそのまま宮益坂を歩き下る。109の横側から差す西日を思いっきり受けながら歩いた。下北沢に戻ってスタバに入ろうとするも満席だったため、まだ明るい時間帯だったので雨庭公園で読書しながら散歩で通る犬でも眺めようかと絶好のスポットにあるベンチに座ったものの蚊が現れて1分と経たないうちに退散する。
帰宅後、半休なのに何もしなかったという罪悪感をかわそうと配信されている映画を見ることにする。20分近く探して『カモン・カモン』を見る。街のこどもにインタビューするインタビュアーが主人公の、コミュニケーションがテーマの映画だった。昨日の日記との符号にも驚くが、ちょうどそういうことを考えていた時期だから面白いというよりは、わりと継続的に考えている「原理的なコミュニケーション」がテーマになっている。穴を掘ればだいたい地下水が出るわけで、いわゆるセレンディピティというやつだが、最近知った用語で言うところの散乱選択だ。コミュニケーションの原理みたいなことを考えているかぎり、こういう映画には自然と出くわすのだろう。主人公が彼の甥に向かって話す、今のことを忘れたくないという願いに対する答えが素敵だった。甥っ子に話すことを通して、彼自身のなかにおそらくずっとある願いそのものにも答えられているようだった。
なにか楽しいことがあったときにその全部を覚えていたいというのは当然の欲求だと思うが、そういう生の体験について全部は覚えていられなかったとしても「最高のお泊まり会だった」という印象が残るというのは経験からくる知恵なんだろう。
自分も今日、映画館で予告を見ながら、映画はこういった良いシーンや忘れがたいシーンの集積としてあって、そのシーンのひとつひとつが面白い映画という印象を形成しているにもかかわらず、実際にはそういったシーンのほとんどを忘れてしまっている(すぐ思い出せるかたちで引き出しにしまえなくなっている)ということを思った。そういうのはまさに間抜けのなかの間抜けだと思う。込み入った事情に対して、しっかり考えたことに近づけて何かを言おうとすると、かえってペラペラ喋っているような感覚になってしまうこととかもそうだが、そうやると間抜けなことになるとわかっていても間抜けなことをやるしかないというのがもうその時点で間抜けということなんだろう。そして、それが間抜けかどうかはわからないが、もうこれはこれでいい、無茶苦茶でもしょうがないと認めることは大事だ。この映画はコミュニケーションのエッセンスをわかりやすく伝えようとしているし、物事の良い面にフォーカスしようとする良い姿勢があるからどうしても寓話的・おとぎ話みたいになるけれど、それが特徴の良い映画だといえる。

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