20230926

日記213

there is

2023/09/25 昨日
牛丼と納豆と千切りキャベツを買って帰宅。遅い晩飯を食べながらお笑いバラエティを見る。笑えるし面白いコンテンツ、適度に頭を使うようにできている分タチの悪い動画は無限にある。頭を使っているように感じられるのはそう感じさせるようにパッケージされているからで、ラジオなんかもその典型だが、無反省に見聞きしていると脳の大部分を知らず知らずのうちに侵食される。害は少ないのかもしれないが、自分の頭を使って行う知的活動が本人にも気づかないうちに誰かのミームになるのはよくないと思う。実人生をとにかく受容することで埋め尽くす、受容だけで発信はしないと受け入れている人にとっては、凹に対する凸でひとつも問題ないと思われるが、何か働きかけを起こしたいと思っている人にとっては、圧倒的な受容のしやすさ・ノイズがなくてとにかくスムーズということ自体がひとつの害悪になりうる。しくじり先生のラフレクラン改名回で西村が言っていることはいちいち至極もっともだと思った。「こいつは自分の人生の主人公であるだけでなく、他人の人生にとっても主人公であろうとするんですよ」という西村評が誰かから聞かれてそれが印象に残った。西村はそれを誰かに言わせて自分は静かに頷いていただけだが、こうやって思い返そうとしても、それを言った人間のことを覚えておらず、西村のことだけが記憶に残っている。最近はまっているこたけ正義感にしてもトンツカタン森本にしても、こう考えてこう言ったという経過を隠そうともせず、結果的に賢いを表に出してそのまま売れようとしているのが、時代の変化といえば変化だという気がする。ほんの一昔前でももっと「能ある鷹は爪を隠す」ではないが、「考えてないですよ、ただのリアクションですよ」というのを全面に出すスタイルがよしとされていて、美学的にもそういう姿勢に価値があると見なされていたことを思うと、自分の好みに合う変化だという気がする。だからこそこういうテクニックに気持ちよくさせられることに対する反感が生まれるのだけど、そうやって反感を生む「引っ掛かり」を提供すること自体には正当さを感じる。警告付きで楽しませるという正当な手続きを踏んでいると思うからより信頼できるし、ファンを作ろうという動きではなくむしろその逆を行っているのが、いわゆるインフルエンサーなどとは一線を画するポイントだ。お笑いの好みに関して言うと、もちろん考えていないスタイルが嫌いというわけではない。考えているのに考えていないように見せる一手間には胡散臭さというか煩わしさを感じないではないが、反射神経や一貫性を発揮する芸人は実際に余計なことは考えないのだろうから、そこに特別な明るさが見出されたりはする。

2023/09/26 今日
在宅バイト。いつまでもこの仕事をやっていてはいけないなと思う。そうすると転職をしないといけないのだが、ある程度新しいことがあり、ある程度考えないでもいい状態もあるから、ここから抜け出すのは億劫だという気持ちがある。しかしいつまでも続けられるものではないし、腰を浮かせていないといけない。実際に動く動かないにかかわらずつねに情報を取りに行くようにすることは大切だ。リモートですぐミーティングができるんだから、エージェントと定期的に会うように年間スケジュールを決めておかないと。いざ腰を上げようとするのは気が重いから、年単位でスケジューリングしておいて未来の自分に頑張ってもらうような仕組みを作るのが良い。
ザ行なしでスタバにくる。しかし今日は落とし物回収のため登戸に寄り道。前回行ったのはつい3ヶ月前(もしかすると三ヶ月も経っていない)だと思うので、いくらなんでも簡単に落としすぎ。これも気をつけるようにするじゃどうにもならないから対策をしないと。
読書をしてから日記を書く。睡眠不足の気があってフル集中とはいえないなか、一章をまるまる読み終える。こういう読書の進捗もどれだけ身になっているのか甚だ怪しいものだが、MAXのことは考えないようにして読まないよりは読むほうがいいぐらいでやっていかないと継続できない。「継続は力」を逃げ口上にしているようではだめだが、せめて継続だけはしていないと何にもならない。はっきり言って最低限だが、最低限はキープしていないとその下は普通にある。それに続けているとたまに調子の良い日もあったりするし。
自分はコミュニケーションのやり方を見直さなければならないと思った。初対面のひとには興味がある。しかし、コミュニケーションがうまくいっているとは思えない。考えてみたらそもそも今のやり方は変更後のものだった。どういう考え方をする人なのか、とにかくインタビューをしようとするのが変更前で、そのやり方ではあまりその人自身を引き出せないから、自分をある程度開示したうえで興味を持って相手の話を聞くようにしようというのが改善案だった。しかし実際にはそううまくいくものではなく、自分の話をしようとするもそれが得意ではないために自分の話をすることができず、結果、自分の話で詰まってインタビューもできない(=相手からしたら自分に興味持っていない)という虻蜂取らずというか二兎追う者は一兎も得ずみたいな体たらくに落ち込んでしまった。
初対面の人にする自分の話というのは基本的に自分の来歴の話で、昔の話と自分の話とを結びつけるのがあまり好きではないからモチベーションが保てない。そこは飛ばして無害感を出しつつインタビューするという昔のやり方に戻したほうが良い。それでうまく引き出せなかったとしても、あなたに興味があるというメタメッセージのほうは伝わるはずだ。実際自分と違う考え方をする人の考え方には興味があるんだからこちらのほうはモチベーションの心配をする必要もない。去年の冬に参加した演劇WSでも、新しい会社でも、知り合いの知り合いとの飲み会でも、サシ飲みに行く段階にまで発展しなかった。これは原因を上げようと思えばいろいろ挙げられると思うが、一番は自分のやり方が良くないからだ。自分にとってどうにかできるのも自分のやり方しかない。
同居を始めてからの一年、ほとんど一人の時間がないのも大きい気がする。自分は人より孤独につよく、寂しさを感じにくいタイプだと思っていたが、それは寂しさを感じそうになると、適宜こちらから動いて寂しく感じないようにするというのを無意識的にやっていた結果なのではないか。それが一人暮らしの時期にやっていたことで、今コミュニケーションにおいて一歩前に出ないようになったのは、状況的にその傾斜がほとんどゼロになっている結果なのかもしれない。強化月間を設けて、明示的にそいつと会いまくるという一時期を作るのが良い気がする。今年の文学フリマでそういう仲間を見つけるというのを裏テーマにしよう。そうしたらもし小説が完成しなかったとしても意義はあるということになる……。

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