ホワット・ア・ラビット
2023/09/18 昨日
代官山まで音沙汰のライブを見に行く。開演前に飲み物を飲まないで待っていることで、開演前特有の緊張感を味わった。たぶんいつの時代もそうなんだろうと思うが、今をソングライターとして生きることには、ちょっと言葉にするのも難しいような困難がつきまとうのだろうと想像する。どこかでクッションを挟むのは不可欠なのだろうし、それを小休止として捉えられるのはある程度仕方ないことではあるにせよ、そこまでラクができる姿勢というわけでもないはずだ。むしろ体力を消耗して休憩にはならないのにもかかわらず、クッションという見方をされるなんていう厳しさがある。自分は音楽を信じていないし、どちらかといえば懐疑的な見方をして憚らないのだが、それでも一部のソングライターが引き受けているように見える苦心については同情的なほうだと思う。音楽に通じてもいないし、ストレートな音楽の良さについては(たまに踊ったりするばかりで)ほとんど不感症だといえる自分にとって、音楽ライブに行くのは、そこに垣間見られる苦闘の跡を見に行くためだといえる。
そういう音楽ファンではない自分にとっても、ボブ・ディランの『ソングの哲学』は面白い読み物だった。ひとつひとつの曲についてのノートの寄せ集めというかたちの文集なのだが、youtube musicで曲を聞きながらその文章を読んでいると、ボブ・ディランというひとりの偏屈なアメリカ人を通して、これまで知らなかった音楽のことを知ることができて、知識の収集としても有用だ。ふざけたところが一切なくて、物怖じしてしまいそうになるほどシリアスな語り口なのだが、ほのかに香るか香らないかぐらいの微妙なユーモアが感じられるのも良い。明るい曲というのは、必ずしも白で飛ばした音楽だけをいうわけではなく、暗い中に混じりこむ一粒の砂ほどのわずかな光を宿す曲のことも含まれる。このことは誰と共有する機会がなかったとしても常識だといって間違いないことだと思われるが、『ソングの哲学』を読んでいると、その文体の中にもこの常識が染みついているのを感じるし、それを感じさせるという点で、たんに音楽のことを題材にして書かれているということを越えて音楽的な文章だ。生きているかぎり感じることは避けようがないし、感じる以上は兎に角、そのことに忠実でいなければならないという窮屈さを感じる。こういったスペースにおいて「砂粒のような光」にあたるのは、おそらく「いい加減さ」なのだと思う。これが昔の音楽にはなくて今の音楽にはあるひとつの利点だ。「ケツを蹴り上げる」という行動に出るとき、エネルギーの起こり自体が容赦ないものでありながら、どこか笑える要素を無くさずにいないというのに似ている。
2023/09/19 今日
水族館と美術館が一緒になったような建物内を巡る。海の浜辺に建築されており、窓ガラスを通してみる海の様子そのものが展示品というコンセプトの、周遊型テーマパークだった。
そこでは、こんな小さい穴はとてもじゃないが潜れないという穴の中に入っていくのが目玉のコーナーになっていた。そこには小学校時代のミニバスのメンバーで遊びに来ていたので、誰ともなくやろうという流れになって、ひとりずつ穴に入っていった。実際に入ってみると外からは絶対に無理だという小ささの穴だったのにもかかわらず、上下の木の板がそれぞれ奥に押しこめるようになっていて、問題なく入り込むことができた。木の板はきちんとワックスが塗られていてすべすべした感触で、押し込むときの感触は木の硬さの奥にやわらかさを感じるものだった。匍匐前進の要領で6歩ほど進んだところ、どこに抜けるのかまったく想像もつかないタイミングで、寝室のドアが閉まる音がして目が覚めた。
在宅バイト。小忙しいなかでやることが増えていき、だいたいのタスクを明日に積み残した状態で退勤する。それでもラジオ体操とスクワットだけはこなす。
退勤後シャワーを浴び、19時前にはスタバにくる。外はそこまで暑いわけではないが、Tシャツ一枚でも店にきてしばらくは汗が出るぐらいの暑さはまだある。『ソングの哲学』の続きを読む。
自分のやっていることが小説に集約されるとか、生活で得た面白かったことの集大成になるように小説を書こうとか思っている部分があるのだが、それだけでは足りないということを思った。というかこれは以前の日記でも書いたことだった。前輪と後輪での両輪の話。書いたそばから忘れていくのは、そういうことができるようにと思ってのことだが、いくらなんでもすぐに忘れられていて自分でも驚いた。ただいまでも記憶が曖昧で書いたような気がしているのか、書こうと思って書かなかったのか、実際に書いたのかが不明瞭なままだ。このあと日記を読み返せばはっきりすることなのだが、どちらの可能性も等しく感じられている時点で記憶がおぼつかないことはすでに確定していて見返すのがちょっとこわい。このままなんだっけという状態で置いておきたいような気もする。