20230913

日記206

BYE

2023/09/12 昨日
帰宅後、後半戦からサッカーを見る。少なくともこの時期のトルコは完成度が低かったのでテストになるかは微妙なところだった。ちゃんと早めに寝ることに成功する。


2023/09/13 今日
在宅バイト。この日は午後休を取ったのでやる気があった。昨日の積み残しをばりばり終わらして13時前に退勤。昼飯にカレーを食べに出かけてスタバに行く。プリントアウトした原稿をちょっと直して15時すぎに店を出る。その後郵便局で用事を済ませてから代々木公園まで出かける。散歩するには暑すぎたが久しぶりにドッグランに顔を出す。しばらく犬を見てからPARCOまで歩く。『アステロイドシティ』を見る。これが面白かった。昔の自分だったらすぐに監督のファンになっていたと思う。言いたいことを言うために手続きが必要になるという考え方があると思うが、その手続きにこだわり抜いているという偏執狂的な特徴が、目的の設定によって特長になっている例だ。SONNY BOYもそうだが、自分と同じ方向を向いている面白い作品を見たときの反応が微妙なものになっている。これってジェラス? いや、自分の足の置き場がその分減ることの焦りなんだと思う。もともと存在しなかった足場が具現化しているのを見てやばいじゃんと思うのはナンセンスなんだけど、実際イライラするような反応になるし、楽しい面白いとばかり言ってられない、面白いものに触れられたことを手放しで喜べないというよくない反応が見られる。

「僕は、苦痛や悲しみをユーモアとともに描くことにこだわっているわけではありません。それよりも人生で起きることそのものが大事だと思っています。特に歳を取るにつれて、死が目の前に積み重なり始めます。その人の意見を聞きたくても、二度と答えを聞くことはできない。それが喪失の力とでもいうべきものとなっていくんですね。こういった重い話題を、友人や家族と話したりするのだけど、やっぱり答えは永遠に見つけられないように思うのです」

↑はウェス・アンダーソンの言葉だが、『アステロイドシティ』ではこういった感覚をわりとストレートに落とし込めているので、個人個人にとって惹かれるところがあるんだろうと思う。

手直しをはじめた小説について、残せる箇所があったら儲けものぐらいに考えた方がいいと考えた。プリントアウトしたことで一応は形になったけど、これでは全然伝わらない。自分の中にあるイメージに沿ったものではあるのだけど、そのイメージはこのテキストだけでは共有できないと思われる。
直しをするときに、あーあって思ったり、がっかりしてしまったりして削られるので、もっと機械的にこなしていくようにしないといけない。しかし、そもそも直しの段階ではない。プロットをもとに一応できた「骨子」をもとに、清書するつもりで一からの書き直しが必要だ。もっとゴリゴリ進めていくべき。
一度目の書き出しなのだから精度なんていうのはのぞむべくもないことなのだが、それでもひとつのバイオレーションを犯さないために三つ四つのバイオレーションラインを多重に踏んでいて、もう少しなんとかならないものかとつい思ってしまう。しかし、問題は、いくつもあるバイオレーションラインについてすべてを把握して完璧に踏まないようにして足を運んでいくというのが大目的にはなり得ないところだ。問題ないものをいくら書いていってもどうにもならないという大問題と、手直しせずにはいられない問題含みの文章ばかりが量産されていくという小問題が同時に作り出されていて、あとから解決を図ろうとする頭の中をすぐにごちゃごちゃさせてくる。

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