20230910

日記203

「他人」の広告

2023/09/09 昨日
午前中は家で小説を印刷するための縦書きエディターを探す。ネットで検索するとPagesがその用を足すという情報があり、試してみると普通に使えそうだったのでこれで何とかすることにする。問題は半角数字が横のままになることだが、まあなんとかなるんだろう。
昼からTinder広告ツアー。表参道→渋谷→新宿→六本木→有楽町の順番で回る。ツアーには関係ないけど表参道で脳よだれ展という面白そうなイベントがやっていたので見に行く。昼飯はピッツェリアでパスタとピッツァ。地中海の風吹くような、白塗りの壁紙で明るい店内の雰囲気がよかった。味もまさに本場ナポリの味でおいしかった。
広告は道行く人たちの会話の種になっていたりして、その場で反応があるのが面白かった。もともとイメージが良いものについての広告であれば会話に話題を提供することにもならないのだろうから、是々非々が1:9ぐらいの割合でそれなりに知名度があり、確認しようとすれば現場でのフィードバックがあって確認できるというのも面白くてやりがいのあるポイントなのかなと思った。制作物を誰かに見られてなんぼという仕事で、注目を浴びられるようにいろいろ工夫する(イメージをわるくしない範囲で)というのは、自分のやっていることとは全然ちがうアプローチなので刺激がある。この日記はともかく、小説のほうが完成したらそれを読まれたいという気持ちは出てくるだろうと思うので(まだ完成していない現段階でもすでに出てきている)、どんな宣伝を思いついてやろうかと色々考えたりするのは、どんな名刺を作ろうかという妄想にも似て楽しく、進まない進捗の憂さをごまかす気晴らしになる。
歩きづめだったからか疲れたので夕飯を食べずに帰宅。ちょっと本を読んでからピクミン4をする。ダンドリバトルでの正味もう一周を4連続で喰らい、気づけば1時半過ぎになる。今週のカビゴンの生育は先週に比べてあまり芳しくない。

2023/09/10 今日
昨日か一昨日見た夢を思い出す。そこまで仲良いというわけでもないけれど一緒に活動していた期間があり話したこともある人の突然の訃報に接するという夢だった。LINEグループでそれを知らされる。またみんなで遊びに行こうという発起をしてくれていた人でもあり、また、その会自体は悪天候で流れてしまっていたので、残念な気持ちのなかに後悔が入り混じるような感じがした。悲しくてどうしようもないという感じではなかったが、虚脱感というか何もしたくないという気持ちになって、その日にあった別件の約束をキャンセルするというところまでは覚えている。
夢とは関係ないが、友人のひとりには子供が生まれ、べつの友人は母親を亡くし、自分はそのどちらでもないのだけど、なんとなくあいだに立っているような気になっている。
子供のことを考えると、自分の場合、子供のことを自分の人生の延長として捉えるというのをよくないことだと考えていて、しかもそう捉えてしまいそうになる気がしているからその分の恐れがある。たとえば、他人には気軽に本のおすすめをできるし、面白くて読むべき本というのはきちんと断定できるが、おすすめする相手が自分の子供だったりすると、それが押し付けになってしまうからそういうことをしないでいようと思う。しかし、よほど気をつけないと多分やってしまうと思う。本棚の本をそういう観点で並び替えたり、買う本と借りるで済ませる本との区別を同じ観点でやってしまったり。たとえば今読んでいる『精神の動態学へ』という本が上中下巻なのだが、それを買おうと思っているのは、その観点がひとつの理由になっているからだ。仮定の話だし表向きにはそんなのは関係ないと言えるのは言えるが、蓋を開けてみるとすぐわかるぐらいには明らかなようだ。
子供のことを自分の続きものだと考えたり、考えないまでも感じたりするというのは端的に誤りなので、そういう間違った方向に吸い込まれないでいるためにもっと自分というものに深く錨を下ろすようにしなければならない。というようなことを思った。べつにそういうことを考えないといけない局面に今の今いるわけではないのだが、だからこそ文章にして考えられやすいとも思うので、何の気なくという気分で書いておく。
それから、これはべつに大した問題というわけでもないが、子供の写真を載せるのはよくないことだと思う。たとえば自分の写真をがんがん載せるSNSの運用にしていて、子供の写真も隔てなく載せるというのであれば、(百歩譲れば)可なのだけど、そうではなく子供の写真だけを載せるのは、本人に許可をとったのかと訊きたい。もちろん、この質問に「とった」と答えても駄目だ。子供にそれを適切に判断できるとは思えないし、それを見越して許可をとろうとしている点でより悪質だ。ようするに、自分の子供の写真をあげるというのは、友達や知り合いの誰かに撮られた写真を勝手に上げられてムカッともしない人にとってだけ、自分の能天気さをアリバイにすることでかろうじて可になるような、根本的には誤った習慣だと思う。こういうのはちょっと考えれば明らかなことなのだが、たぶん考えるということをしていないのだと思われる。こちらのほうは控えめに言って不安だ。
11時すぎにスタバに行って16時前に帰る。『精神と自然』『精神の動態学へ』を読んで、日記を書いた。朝食に6枚切りのトーストを入れただけだが、砂糖二袋を入れたドリップコーヒー(牛乳入り)を飲みながらの読書だったせいかお腹が空かなかった。この後は大相撲の初日をみる。ハクオウホウと照ノ富士は今場所を休場するようだ。そして夜はFIBAワールドカップの決勝。ラグビーのほうも気になるし、全部見るとなるとスポーツを見すぎだという気がする。たしかに熱いし面白いんだけど、ずっと見ているとなんだか責任逃れをしているような気になってしまう。傍から見ると意味がわからない感覚だと思うが、そういう感覚になる。自分で熱くなって自分で面白くするべきではないかと、半端ではない熱と面白さに当てられてそう思うのだ。結局、今週も小説は全然進んでいない。種になるかもという文章をちょっと書き進めただけ。
ただし、読書をしながら溜めて、溜まったら書くというやり方は、前輪と後輪があって二輪車になるようなもので一輪車モードのときよりはるかに安定する。この伝でいうと三輪車、四輪車となればより安定感が増すとも考えられるので、二の輪・三の輪も考案・実装していきたい。

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