20230907

日記201

狭義の愛、広義の他人

2023/09/06 昨日
スタバを出たあとトリキに行くのをやめて王将に行く。豚バラチャーハンも胡椒が効いていておいしかった。酢豚は酢豚という料理ってこんなだっけ?という疑問があった。まあビールと餃子も含めておいしかった。
帰宅してからはそれなりに時間があったはずなのだが何をしていたかの記憶が曖昧なまま就寝時間になった。本意気で思い出そうとしても思い出せない。しかもねむりにつくまでこの日も時間がかかった。カビゴンを育ててくれるメンバーたちに申し訳が立たない。

2023/09/07 今日
在宅バイト。積み残した仕事を午前中に片付けて午後は悠々自適の読書タイム、と行きたかったが、7時間未満の睡眠時間のため寝不足だったこともあり、短い昼寝を二回やったり、ラジオ体操と筋肉体操をしているうちに定時になった。ここ3ヶ月の休暇申請を出した。午後休多め。昼から秋の行楽ができると思うと今からテンションが上がる。
ザ行無しで抜け出し、LUUPで図書館カウンターまで移動して予約本を回収したあとスタバに来る。『精神の生態学へ』(上)を読む。どんな本でも著者が根本のことを言おうとしているとその野心の高さがまず気に入ってしまう。しかし実際のところ、そうすることが野心が高いことだとは思わない。誰もが、自分なりの「根本のこと」を言おうとするべきだと思うからだ。それが難しいのはわかるが、無駄口を叩くより、どうせ叩くなら壮大な無駄口になるように頑張るべきじゃないのかと思う。以前、広瀬すずが音声の人に放ったらしい「なんでこの仕事をしたいと思ったんだろう」という言葉は、当の音声の人にとっても真理だと思う。そういう大雑把で本質的な部分は誰にでもあるはずだし、広瀬すずは他人だけど、その他人を通して自分のそういう部分を持ち上げ、ライトを当てるためにその仕事をするのだろう。そうじゃなかったら嘘になる。たとえば、すべての物事を平等に見て、抜かりなくすべてに目配せして誰からも嫌われないようにそつなくコメントできる人間を押し上げたいというのか。そうだとすると自分のなかにあるどの部分に照らしてそうしたいのかが理解できない。そういう不合理なのが人間だからというインチキヒューマニストは許さない。偽物であることが許せないというより、被っている仮面のお粗末さが許せない。そんなので自分自身のことを騙せるとしたらあまりにもインスタントでお粗末すぎて嫌だ。そういう他人が他人自身のことを「自分」として認識しているのを想像してさえ嫌になる。まあ実際は想像しないから大丈夫なんだけど。
『V.』マルタ詩人ファウストの回を読み終わる。暗い話だ。暗いだけじゃなく明るさもあるから余計に暗い。それにしても予感させ予感させで進んできてのクライマックスの勢いは不可避だ。必要な部分しかなくて読んでいるあいだ自由がなかった。

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