八月の暑さはつづく
2023/09/04 昨日
スタバで電車が見える席に座れて気分転換にもなったのかそれなりの進捗がある。酒を飲まないでコンビニで千切りキャベツと豆腐バーと納豆を買って帰る。それを食べてから漫画「呪術廻戦」を読む。わりと早めにベッドに入ったのについぼんやりして寝るのが1時をすぎる。
2023/09/05 今日
在宅バイト。やるべきことをやってしまったから気がラクな状態で過ごせる。しかしトラブル対応諸々が降ってくる。それなりにこなしながらラジオ体操第一第二、みんなの筋肉体操で運動してご褒美にプロテインを飲む。ほうじ茶味も好きだったけど抹茶味もおいしい。
チャットツールで間違って全体通話ボタンを押してしまってチーム外の人を含めた20人ほどと通話がつながってしまうトラブルがあった。いきなりPCから複数人の声がして正直めちゃくちゃ焦ったけど、「すいません。失礼しました」だけで済ませて通話を切った。その後もとくにフォローせず。こういうときに焦りながらも「まあ大したことじゃないから」と自分で自分に言い聞かせる係がいる。彼は余計なつまらないことを言って二次損害が出るのを防いでくれるので重宝している。問い合わせ内容はよくわからない疎通不可だったのだが、自チーム所掌のシステム要因で起こっているのではなく別チームの要因ではないかと「切り分け」てみせるのがまさにシステムの一員というアクションで面白かった。大規模なシステムを擁していて自システムだけで完結しない場合に起こりがちな、小回りの効かない感じ、不親切な縦割りでの外部への責任転嫁をしっかり踏襲していて、いわゆる「仕事」の本質を体現していた。しかし原因不明でもあるため、五分の確率で転嫁先から返されることが予想されるのですっきりせず、若干の負荷がかかって邪魔くさい。半年ほど働いて身につけたのが「適当にこんな感じでいいだろうという動きをして、間違ってたらすんませんすればいい」というスタンスなので、いつか叱責に結びつきそうではあるが、緻密さ正確さ丁寧さを重視するときのコストを勘案比較したときに、バサバサっと捌けるほうが時間と労力がかからないという判断なので自分としてはこれでいいと思っている。ミスを起こしたときに聞かれることになる理由だけは控えておくと、後手に回ったとしても一応出すカードはあるしな、と気楽でいられるので、自分自身でも明らかに穴がある理由だとわかっていても「適当な理由」を用意しておくのがおすすめ。上の人も大抵の場合、さらに上の人にミスが起こった理由や背景を説明するためのセンテンスがほしいだけなので、それを用意しておいてあげるイメージ。
ザ行なしでスタバに行こうとするも図書館で予約している本がカウンターに届いたので取りに行きがてら別のカフェに入る。今回はピンチョンを読むときにわりと欠かせない要素である翻訳者の佐藤良明にフォーカスした選書。まだ冒頭をすこし読んだだけだが三冊借りて三冊とも面白そう。とくに『精神と自然』は、現代的ないまの考え方(自分の考え方)を感覚的に引き継いだまま理論づけてくれそうな予感があって期待できる。
しかし夢中になるのはやっぱり『V.』だ。マルタ詩人ファウストの巻を読んでいるが、最初に読んでいるときには流し読んでうっすらとしか理解できなかった内容が今回はしっかり入ってくる。人が変わるということ、記憶は期待するほど留まってはくれないということを、こうまで他人にわかりやすいかたちで表現されている読み物をほかに知らない。自分が自分に対して内心で情けないと思い、できれば傷(記念)にしたいと思う「気持ち」が他人に分かるかたちで表現されている。時系列があるということ。複数の「現在」を連ねて積み上げていく手法。より過去にあるものについて、郷愁の甘さに落ち込まず、反省すると称していまの現在に良い顔をせず、それぞれの現在を対立するのであれば対立するまま、協調するのであれば協調するまま、等しく距離をおいて並べていくのが、単なる過去と現在の乖離や分裂によって可能になるやり方ではなく、そこからさらに一歩踏み込んでいる。そしてそれがあるからこそ、当時あきらかに際立った環境にあったということをそれにふさわしい美しい映像として写すことができる。それが目的にはなっておらず、目的となるものを追いかける途上に配置されているのも良い。これは必ずしも結論を必要としない、ある種類の小説にだけ許される方法だ。美しい景色をそれにふさわしい美しさをもって描くというのは、それ以外に目的などあってはならないほど重要でもあり、目的になるべきことなのだが、それでもそこに飛びつかないで迂回するというのが、目的にしないでべつの目的を立てるというのが、何より美しい景色にとって必要なことになるのだ。