20230813

日記182

天井あれば高さ際立つ

2023/08/12 昨日
スタバに行った後、もうやんカレーで大辛のポークカレーを食べる。100均に寄って切らしているLシステインの代替サプリを購入。LUUPを使って帰宅する。
帰宅後、この日の企画のひとつであるラジオの準備をする。
ラジオは「構成を練る」「事前準備」をするという話だったが、どちらも全然できていなかった。曖昧で抽象的な、どこかで聞き齧ったことだけを述べる中身のない提言だということは半ば予想していたがそのままその通りだった。
結局、たんにいつもより重心を下げて会話するというところに落ち着き、そうすると普段の退屈さからはすこし隔たることができたので、ラジオの件について考えたり、準備することは進まずそのままになってしまった。この日にラジオ企画に目鼻がつかなかったら彼とラジオするという遊び方はできないと意気込んで臨んだが、この日の結果でやっぱりできないというのが確実になった。
あとは利き水と利きビールをやった。どちらも当てられて味の違いははっきりあるということがわかった。
ラジオができなかった代わりに、ファッション誌風インタビュー作成のためのインタビューとスナップ撮影をやった。準備をしていただけあってインタビューはそれなりの結果になった。スナップ撮影も15分ほどでスムーズにできた。どちらも気を置けない関係性だから滞りなく進んだだけだという気もするので、それぞれの形式や体裁をあらかじめ整えていくことが重要になる。
この日に企図したイベントは全部終了したので飲みに出かける。気になっていたスシスミビに入る。うまく注文しさえすれば安くで楽しめそうな店だということを発見できた。その後、ミカンのダンダンで一缶分話をして帰る。たとえば映画などで何かが良くないとか何かが良いとか言うとき、友人はその何が良いのかということを全然言わない。言ったと思えば質の悪い感想・批評サイト(というかそこまでもしておらずツイート・コメントだけだろう)から直輸入してきたようなことだけ。それで済むような会話しかやってないのだろうと想像される。また意見が対立したらそこで終わりという姿勢が見える。本当はそこからスタートすることなのだが、意見の対立ができないのだろう。なぜ対立ができないのかといえば、相手側の意見を聞くことができないからで、なぜ相手側の意見を聞けないかといえば、自分の意見を成形するのにコストがかかりすぎているからだ。相手の言うことから相手の意見を抽出するのではなく、自分の意見と相反する点を抽出している。対立点にしてもそうだが、賛同する点についても、単純化した受け取り方しかできていないので、意見を賛成か反対かのレベルでしか汲み取れていない。自分がのぞむ会話の水準で考えるとまったく汲み取れていない。自分はSNSなどの短いコメントの応酬を会話でやりたいわけではない。一を聞いて十を知る人がいるというが、彼の場合などはその逆で、十を聞いて一を知るというものだ。程度の差はあれ、これは彼だけの話ではなく、見聞きする精度を上げていこうと志向しない人は遅かれ早かれそうなってしまうのだろう。若いときには脳の力でなんとかできていたのかもしれないが、その能力は落ちていくし、そうすると上がっていこうと意思しないかぎりは下がっていく一方だ。ただ、実際には上がっていこうとしても下がってしまうのが一般だろう。どれだけそのスピードを遅らせられるか、自分なりの基準を構築していくか、そういったところがポイントになってくる。

帰り際、雑誌企画のインタビューで友人の友人を紹介してもらうためのスケジュールを決めようとしたときに、思い当たる人をどうやって誘うか難しいと言っていたので、企画参与者として誘ってほしいというと面倒そうな顔をされる。さらに、誘うのであれば「誠実さ」を出さないといけないと言われる。一体どの口が誠実さなんて言葉を出すのだろうと首をひねったが、一般論としては正しいので持ち帰ることにした。ナチュラルに自分のことを棚に上げられる神経の太さ(≒神経の無さ)には驚くばかりだが、彼にいちいち噛み付いていては時間の無駄なのでこっちでできることをする。誰か協力者を探さないといけないのは明らかだ。別ルートがないというのがボトルネックになるようでは責任はそのまま自分に返ってくる。企画をやりたいと言い始めたのはそもそも自分で、協力してくれるだけありがたいと思わないといけない。昔からつるんでいるという事実に甘えてつい多くを求めてしまうのは良くない。

2023/08/13 今日
9時半に起きる。眠りパワーの最高値を2日連続で更新。VIVANTの一話冒頭10分を見て、見切りをつけ6分間の4話分ダイジェストを見る。さらに見切ってもうこれ以上見ないでもいいと判断する。10時半にスタバに行く。暑いのが嫌だからLUUPが重宝している。100円しないでスイっと移動できるのは熱い。
今日は休みにすることにして、『V.』を読み、漱石の『吾輩は猫である』の序を読む。集中して書かれてあることがわかる。当たり前だけど。明日から気持ちを入れ替えて、日常的に書くということと集中して書くということを並立させないといけない。
『パルプ・フィクション』を見るため新宿に行く。

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