20230831

日記196

真っ直ぐの道

2023/08/30 昨日
調子が悪いときに調子が悪いといって泣き言をいうというのは自分がやってしまうよくないことのひとつなのだが、コンスタントに日記を書いていることでそのマイナスポイントが表にでてきている。もっと気分に従って書いているときには、単に日記を書いたりしないでべつのことをやって発散していたので、よくないところが表に出ないで済んでいた。ここのところよく寝ているし、ラジオ体操をして体の調子も問題ないので、不調の原因が自分の制作が思わしくないということにしかならないので苦しいというのがある。
全部捨てて違うことをやってやろうかという気持ちにもなっている。こういうときにはそうするのが良いんだろうけど、ここまで積んできたものがもったいなくてそうできない。いずれにしても惰性でやるのが一番よくない。でも惰性でもいいから前進するべきだとこうなる前に決めた方針は言ってくる。


2023/08/31 今日
在宅バイト。勉強する時間が取れないほどには忙しかった。しかし、何も考えずに日中を過ごしてタスクを消化していくのは、やったらやっただけ終わっていくし、定時にはきれいさっぱり全部終わらせられてインスタントな満足感もあるしで、内容のくだらなさに目をつぶればわるくないのかもしれない。少なくともやりたくてやってるはずの小説よりも受けるストレスは少ない。
スタバにきて『V.』の下巻を読み始める。モンダウゲンの物語は、きれいに箱詰めされた残酷物語だ。読むものを芯から不安にさせる。他人事だが自分ごとでもあるように読めてしまう。鞭を受ける方ではなく鞭打つ方を自分ごとにして考えさせる物語だと思うが、それでいいのかよくわからない。なんのための投影なのか、そういった安易な理由付けを避けようとしているのは間違いないが、それでも前後左右に揺さぶられながらなんのためのとかなんのためにとか考えてしまう。すぐれた小説だ。

20230829

日記195

裏路地

2023/08/29 昨日
ザ行とバスケの試合観戦の組み合わせでスタバに行かなかった。しかしまったく出かけないのも嫌だったのでチーズナンを食べに行く。
バスケのオーストラリア戦は強豪に力の差を見せられる結果に終わる。難しいだろうとは思いつつも奇跡が見られるかもしれないと思うとそれを見逃すことはできなかった。ホーキンソンが気を吐いていたのと、渡邉、富樫がフィンランド戦好調組が続けて好調とはいかないなかチームを引っ張っていたのが印象的だった。バスケの後ピクミンをちょっと進めてダンドリバトルをしてからねむる。

2023/08/30 今日
よくねむれて体調は良いのだけどバイトのことが引っかかって万全とは言えない。バイトで受けるストレスは最小限にするように心がけないといけないのに、売り言葉に買い言葉みたいに反抗的な態度を怒りに任せて表出したのは愚かだったと思う。図に乗らせてタスクをどんどん回されるのも避けたいと思うが、結局やらされることになるのであればあまり嫌がらず受けようと思った。無理な場合にだけ無理ですといって断ることにする。できるけどやりたくないというのは感情面では大きいのだが通らないのだし、イライラするだけ無駄なことだ。
在宅バイト。余裕がありそうでいてなんだかんだ時間が取られる。明日からバイト中の1時間をきっちり勉強の時間に当てようと思った。
昼頃に郵便局まで用事を済ませに来る。フラフラになりながらたどり着くも住所確認書類が必要だと言われて取りに帰る羽目になる。その指摘を受けたときには一瞬気が遠くなった。LUUPを駆使して暑さを最小限に抑えながら郵便局と家との往復をする。
バイト後、ザ行なしでスタバに来る。LUUPで行こうかと思ったが、夕方の時間になると少しは過ごしやすくなって歩くのも気持ちいいぐらいなので歩いていく。
『V.』の上巻を読み終わる。ピンチョンが歴史を手中に置くことができるのはどうしてなのだろう。ある人物のズームインとズームアウトにおいて、それが成功しているかどうかというのは一旦置いておいても、インは比較的行われやすくアウトはそれよりも数が少ない。そのうえ、アウトの際にグッと離れて社会・歴史・文明というところまで一気に離れてみせられるのは、小説という形式に可能な表現で、他のフィクションにくらべてアドバンテージが有る利点だといえる。人物にひたりついて一生懸命その内面に到達しようとするのはすべての小説書きがやることだが、そこから一気に引き剥がされる移動をするということはやっておきたい。偏執狂的・パラノイアという売り文句があるから、深刻ななかにも著者の手を止めない勢いが生まれるのだろうと思う。もちろん歴史についての最低限の知識があって、それをもとに任意の画角まで下がることができるというのも条件になる。
人物に寄るときに、そこから一気にズームアウトできないような仕方で寄っているのが問題だと言う気がする。自分を手がかりにしたり取っ掛かりにして始めるのは良いけど、微に入り細を穿つように展開しても、結局、自分の心情や考え方をつぶさに言い表すということにしかならない。それがやりたいのであればもっと適した形式がある。それをやりたいのであれば、もっと突き詰めて文章を書くこともできるはずだ。このブログにそれを載せればいい。目的について考えてみると、人生の素晴らしさを伝えたいというのではない。人生における特有の素晴らしさというのは驚くべきものだと思うし、それを伝えるというのが大事なことになる局面もあるかもしれないとは思うが、それを小説で表現したいわけではない。同様に人生の許せないこと・悪の一面について暴露したいというわけでもない。ユクスキュルの環世界ではないが、ダニを例に挙げると、人の生が持つ魅力というものをダニに説明しようという人はいないと思う。自分の生の素晴らしさや問題点を他人に伝えようというのは、極端に言えばこのことに近い。
自分以外のものについての自分なりの解釈を自分以外のものに対して与えたいというのが、小説を書く理由にもっとも近いと思われる。哲学のように明確で明瞭なマッピング、ある意義とべつの意義との対応関係を示すことをできるのであれば、哲学のようにその体系を示せば良いのだろうと思うが、自分自身が抱える限界もあり、”真っ直ぐの直線”しか使わないという条件を飲むことはできないので、歪んだ空間だったり、”曲がった直線”などを勝手気ままに使ったりしたい。そうすると事実にどこまで依拠するかということが問題になってくるが、事実に対して解釈を加えたいという気持ちがある。やっぱり最終的なところに近いところで、共有できるかどうかを重要視しているからなのか。でも共有については、少なくとも頭で考える分には、そこまで重要視していないはずだ。
そうすると、自分の考えていることに理があるという担保を手にしておきたいということか。他人を解釈するために必要な部品を手放しておけない。わかるという感覚を得るためには欠かせないパーツを手に持ったままで、色々なことを感じたり考えたりしたい。認知の能力が落ちるにしたがって「わかる」のラインが下がるようなことがあれば、それはそれで今とはちがった形での解決が見込まれることだろうが、今の能力に応じた今の解決を見たい。
というようなことを書いてみたところで、それが小説を書く理由になっているとも、動機の説明になっているとも思われない。
自分にその良さがわかる世界に自分自身が飛び込んで自分自身の良さを見つけ出したい、というのが直線的に答えに近づいた言い回しになるか。比較しても良いと思えるものと自分の作ったものを比較してみたい、とか?
もっと感覚的にいえば、砂場でお山を作ってトンネルを掘っているとき、それに夢中になる感覚が楽しいので、夢中になれる時間を増やしたい。今の自分に合う条件や適した難易度があり、そのなかで制作物の高下を自分で判断できるのが小説だったということか。だから結局、できることはなんでもやってみたら良いし、できないことはできないってだけの話だ。つまり、自分には小説が書けるから、というのが自分が小説を書く理由だ。

↑概念的な話だった。満足すべき状況なのに足りない気持ちが強いからというのが実感に即したところ。願望としては埋めたいというのがある。しかしこれも直截的に字にすると概念じみる。感じている部分との齟齬が許容できないほど大きい。許容できるところまで進めるしかないと思うが、そうすると、締切に追いかけられて取り組むのは嫌なんだけどそれと結局同じことになってしまいそう。どこまで進められるかということを考えると制限時間が気になってくるという意味で。
今日も21時半まで進めたけど、面白くないものを面白いと感じられる隙を狙って書き進めている感が強くなっていって、わるい意味でしみじみする。反故を増やしてるにすぎないのだけど、増えていることに喜んでそれをたよりに進んでいる感じを得ている。
駅前でカネコアヤノの歌を聞きながら道行く人の様子を眺めている。やっているのは受容だけど、この楽しさで満足できるのではないか。満足いくかどうかは置いておいても楽しいのは間違いない。「ラクをしたいだけ」では首を縦に振れない、「楽しいだけ」でもそうできない。それはなぜだ。

20230828

日記194

赤夏市・青夏市

2023/08/27 昨日
この日はまったく仕事やそれに類することをしなかった。前日に買ったピクミン4で遊ぶ。2人プレーができるという利点と体験版の体験がかなり上質なものだったことで購入する決心をしたのだったが、体験版の体験は嘘じゃなく、その続きもずっと面白い。制作者に自信があることが伝わってくる。音と動きと流れがすべて心地よくなるよう設計されていて、クオリティが感じられる。
昼ごはんはカレーを食べに行く。初めて入る店だったがおいしいスパイスカレーだった。とくにポークマトンの合い挽きカレーがメニューの一言にもあったとおり肉肉しくて美味かった。スパイス味付けのそぼろご飯というと言い過ぎだが、それに近いカレーだった。
帰宅後もピクミン4で遊ぶ。19時から近所の落語会に行ってみようかと思ったがメインの噺家のインスタグラムを覗いてみると面白い面白くない以前に、人物としてシャバそうな匂いがしたので行くのを止めた。ひとりでピクミン世界の探索を進める。
21時からはバスケワールドカップを見る。1Qに期待感が高まり、2Qでその期待を粉砕されるような失望を味わい、3Qでは勝負に望みをつなぎ、4Qは最高の出来になって大逆転劇を見られるというバスケ好きならずともたまらない、漫画のような展開になった。とくに比江島、河村、ホーキンソンが最高のパフォーマンスを見せた。他にシューターの冨永もシュートモーションの異常な速さの3Pに凄味があったりしたが、渡邉含めて全員よかった。とくに1Qと4Qではディフェンスに集中力を発揮して相手に攻めさせなかった。とくに4Qのディフェンスの出来は直接の勝因と言ってもいいと思う。すごいものを見たという満足感があった。
ちょっとだけピクミンのダンドリバトルをやってからねむる。

2023/08/28 今日
すごく質の良い睡眠が取れたようで起きてからの体調が絶好調だった。昼飯後も一切眠くならないことがバロメーターになっている。ただ、朝イチで3青1茶の動画を見るもあまり頭が働かず。集中力に欠けていた。在宅バイトのタスクをこなす。やっぱりどうしてもつまらないと思うし、その気持ちを殺すことにちょっと苦労する。
ザ行なしでLUUPを使ってスタバにくる。仕事の進捗はあったが、この方向でいいのかという方向に掘った回だった。進捗自体はあったし良かったのだが、これぐらいの絶好調時にしては成果物に物足りなさを感じる。もう21時だがちょっと違う方向で取っ掛かりだけ作っておきたいが、果たしてうまくいくか。

20230826

日記193

(1/2)月が出た*2=月が出た

2023/08/25 昨日
丸の内盆踊り大会は記憶の中ほど面白いものではなかった。ただ当時の東京音頭も炭坑節も頭の中に入っていないなかで踊るのにはちょうどよかったんだと思う。噴水を中心とした緩やかな回転、見ているだけの人も飛び入り参加しやすい雰囲気があったから、盆踊りをやってみようと思ったのだった。初心者フレンドリーというか自然に身体を動かしてみようという動線があったからか、盆踊りをやったことがないであろう若い友人たちが見様見真似で踊っていて楽しそうだった。未経験からやってみるときの、踊りのパターンを見極めながらなんとなくで踊ってみるというフェーズにも楽しさがあるから盆踊りは愛されるんだろう。都会ど真ん中の公園にふわっと集まって、盆踊りを踊って、終わったら大人しく三々五々電車に乗って帰るというのは、都会生活とちょっとした伝統行事とがさらっと和えられたような趣でやっぱり良かった。そこらじゅうに着流しの粋と都会的洗練の両方があって、当世かたぎのいなせなクールボーイ・クールガールの雰囲気を味わえたのもよかった。こういう雰囲気のなか盆踊りを踊っていると、なんとなくそれらを代表する一人になれる気もした。
千代田線で下北に戻ってから、寿司と鳥焼きをつまんで、駅前で終電間際まで駄弁って解散。しかし晩ごはんをしっかり食べていない感じがして帰りがけに松屋で牛めしを食べたのは余計だった。久しぶりに牛丼屋使ったのもあって、おいしかったのはおいしかったんだけど。

2023/08/26 今日
昨日の夜更かしの代償として10時前までねむる。本当は9時前に目が覚めていたのだが、ポケモンたちを休ませたい気持ちがあるから、何をするでもなくぼーっと見た夢の断片をしがんで思い出そうとしたり、なんとなくその続きのことを考えているうちに10時前になった。
起きてからはトーストをかじりながら3茶1青の動画を見る。久しぶりに紅茶をいれて、『V.』を読む。誰もが新聞をもとに自分バージョンの歴史をめいめいの脳裏に構築するという話の流れから、主要人物の科学者モンダウゲンを登場させ、ステンシルに彼の話を聞かせた上で、大きく膨らんだ「ステンシルバージョン」の話を語り始めるという流れが、何の手本か、見事なお手本だった。日記を書く。すると12時。今日は何をしようか。黒いリュックを探しにいこう。ストリート観察で見つけた気になるブランドの旗艦店に出かける予定。
結局、黒リュックを買うというプランそのものに疑問符がつき、買い物は取り止めになった。もう少し長い期間を黒リュック探しにあてる決意を固めたということも言えば言えるので、そういうことにしておく。これまでのところ、F/CE、エンダースキーマ、マーガレット・ハウエルを見て、どれも決め手にはならなかった。吉田カバンというのも芸が無いし、MET24にするのはただでさえスニーカーもNB付いているのにこれ以上行くと危険水域という感じだし悩みどころ。ちなみに吉田カバンではMOTIONというシリーズが良さそうに感じた。
昼飯のために14時頃外出。行列、行列で第三候補まで流れてのすぱじろうだったが、Lサイズはボリューム的にも満足感があったのと、真イカとトマトとほうれん草のペペロンチーノ美味しかったのでまあ満足だった。
スタバに来てちゃんとした席に座れず、昼飯直後というのもあって眠く、コンディションがわるかったが、漱石の『三山居士』『写生文』『自然を写す文章』を青空文庫で読む。席があいたタイミングで移動しMACを広げて作業できる体勢が整ってからは調子がよく、小説にも多少進捗があった。こういう形の小説にしたい、こういう形にしたくないという規範意識、どちらにしても十分に内的なものとして表れず、意識の光を当てると外的なものに左右されていることがはっきりする。登場人物をできるかぎり増やす、人の気持ちを直接描写することを避けるというのは、少なくとも現状では、手指の先まで浸透している考え方というわけにはいかない。しかし、だからといって内的な要求がすべてだと考え、我を通すのは違う気がする。借り物の規範意識であったり願望や方向づけだったとしても、ありがたく借りているうちに、いつの間にかしれっとその所有権を主張し始めるというのがもっとも得策だという気がする。タイガーフォックス(虎の威を借る狐)。関係ないけどそういえば、自分が生まれて初めて認識した犬のかたちはシェットランドシープドッグだった。牧羊犬だからシープドックなのだろうが、文字面シープドックだけで見ると、なんとなくキマイラ感を感じさせて不気味だ。そこまで考えないでも面白い名前だ。羊なの犬なの? という疑問を生み出すという点で。
俺がシェットランドシープドッグのことを思い出さないとあの犬はもう生きてはいないだろうし、あの犬を飼っていた家もいつの間にかなくなっていた気がするし、かつてあった世界の一角が消滅してしまうような気になる。そこには石碑として残らない生活があったというこの記憶。保存する方法はないものかと、いつもの方向につい考えが向かう。
ところで、今どうなっているのかが気になったのでGoogle earthを使って通っていた小学校の通学路を確認してみると、犬がいた家は残っていた。犬がいなくなったことで勝手にその犬がいた家まで無くなったことにする記憶の改竄が起こったようだ。こういうのはよくあることだろうと思う。とくに自分の記憶がすべてだと考えるタイプの人間の脳内では。べつに自分のことだから甘いことを言うわけじゃないが、それでいいとは思わないけど仕方ないことだとは思う。

20230825

日記192

自然の感じ


2023/08/24 昨日
22時近くまで進捗があったのは良いが、お腹が空いているのと達成感ゆえに酒を飲みたいのとで王将に行ってしまう。寝る時間が確定で遅くなる愚かな行動なのだが、さらに輪をかけてにんにく激増し餃子を食べる。キムチチャーハンは安定してうまい。

2023/08/25 今日
適度に降ってきたタスクを消化しているうちに定時になる。積み残しもなく気持ちの良い週末を迎えられそうだ。積み残していたとしても端末をパタンと閉じた瞬間にすべてを忘れるように訓練しているから問題はないのだけど。
準備をしてから丸の内の盆踊り大会に出かける。4年前盆踊りの魅力に気づかせてくれた思い入れのある大会なので楽しみだ。

20230824

日記191

明るい夜

2023/08/23 昨日
スタバから出た後ご飯をどうするか迷う。捗ったこともあって22時すぎになっていたので選択肢は少なかった。そのせいで酒を飲みながらしばらく彷徨う。結局外で食べるのを止めて0秒チキンラーメンを食べる。帰宅してから豆腐も食べる。なんとなく夜更かししようというテンションになって23時半から0時半まで動画を見て過ごす。1時前にはねむるが、それだけで不良になった気分だった。普段、規則正しい生活を送っている……。

2023/08/24 今日
朝起きてすぐ数学の動画を見るのは理にかなっている。認知能力にとって一番良い時間を仕事に振り向けるのは損でしかない。考えずにできる仕事で無為に消耗したくはない。
昼間までタスクを引っ張って、日が傾きかけたところから一気におわらせにかかるやり方が性に合っている。ただほんの少し目測を誤って30分のザ行。退勤後スタバに来る。
あとこの一、二週間のあいだでラジオ体操第一第二と首の運動をやっているのだが、始めてから目に見えて調子が良い。再度始めた当初は、肩を回す運動でとくに筋が固いのを感じて焦っていたが、この頃はようやくほぐれてきた気がする。二週間前に実感した身体の固さ・可動域の減少はこれまでの生活で一度も感じたことのない、自分の体が自分のものじゃないような感覚だったので、さすがにいよいよ「年齢」を感じた。身体はまだ動かないのが自分でも意識できるから良いけど、問題は頭の方だ。人のことを心配している場合ではない。
3青1茶の動画を見てから日記を書く。贅沢を言ってはいけないがスタバの冷房がやや効きすぎていて

20230823

日記190

雲がはなつ光(雲光)

2023/08/22 昨日
スタバでなかなか進捗があった。これまでむずがゆく思いながらまがいなりにも書き進めてきた箇所を清書としている第一稿に突っ込んだだけなのだが、それでも進捗があるような気になるので、なんだかうまくいかないと思いながらも書き進めていくことは無駄にはならないのだと思った。しかし、本当のことを言うと本当にそうかは微妙なところで、本来冷静な判断ではボツにする箇所を、何らかの要因で頭がバグっている隙に採用しているだけのような気もする。もう少しまともな頭で、長いスパンで見たとき、つまり第一稿を第二へ進めるときなどに、結局ボツにされるのではないか、そのときの手間を増やしただけなのではないかとも思われる。しかし、一歩一歩進んでいるという感覚を得られることや、捨てるにしても思い切って捨てるというアクションができるようにすることは、ポテンシャルをポテンシャル扱いしてそこからどこまでも伸びていったり重なっていったり大きく膨らむイメージの暴走を抑止する役割を持つことに加えて、有意義かどうかはわからないが少なくとも有用なことのように思われる。小説の構想段階ではもっともっと面白くなるぞと息巻いていた内容がどんどん剥がれ落ちていって、平凡な作品としての形を得ている過程は、なんだこれはと拍子抜けするような失望と、それでも形になって自立できるのではないかという期待とが混ざり合って不思議な気持ちである。それから大きいのは、第一稿から第二稿にテキストを移動させるときに魔法がかかるのではないかという期待が大きいことだ。これはポテンシャルをポテンシャルとして捉えるときの無責任な楽観に近いもの(というかそのもの)なのだが、今の地点からはそういう期待があるからこそ書き進めようという気にもなれるので、あまり先を見据えて実際の改善度合いについて予測するようなことはしないでおくのが吉であり賢いことだろうと思っている。
スタバを出た後、王将にいってキムチチャーハン大盛りと餃子を食べる。初めてここで食べたチャーハンのベチャベチャ具合に衝撃を受けて以来のチャーハンだったが、記憶ほどひどいということはなかったので、日高屋ほどではないにせよ安さもあるし今後も使っていけるラッキーを拾った。帰宅後は酒を飲んでいることもあって何もせずに過ごし、23時半にはねむる。

2023/08/23 今日
在宅バイト。モチベーションが落ちるのは、本腰を入れればすぐ終わらせられる仕事がちょびっとだけ目の前にあるという状況で、ちょびっとだけのタスクを終わらせるのをだらだら引きのばすところにある。そういうときにべつのタスクが落ちてくると逆にそれが着火点になってばさばさっと終わらしてしまう、ということが今日起こった。ただ落ちてくるのが16時頃だったせいで結局ザ行になってしまう。そんなこんなで19時まで家にいた後スタバにくる。犬の散歩のピークタイムで、たくさんの小型中型犬とすれ違う。いつもはそこに2,3匹の大型犬が交じるのだがこの日は遭遇できず。スタバについた後は、いつもの席に座れずにバリスタの目の前の高い椅子の席になる。それでもめげずに3青1茶(3blue1brown)の動画を見ることから始める。頭を回転させるために必要な手続きは日記を書くことだったが、それの前にこの動画視聴を置くことで、より適切な助走がとれているという気がする。日記にも若干それが表れているのではないか。

20230822

日記189

見ない角度

2023/08/21 昨日
帰りにスーパーに寄って晩飯を調達する。酒を飲まないという選択ができなかった。しばらく(500ml一本分)駅前のミカン入り口に座って行き交う人を見る。帰宅してご飯を食べて粗品の動画を見てねむる。ひさしぶりに本格摂取したカフェインにうまくあてられて書く方も考えることも捗った一日だった。スタバについてからあっという間に4時間経った。

2023/08/22 今日
在宅バイト。相変わらずだらだら仕事をする。しかし朝起きてからの1時間を数学動画の視聴に充てると理解も素早いし調子も出て一日のいいスタートになることに気づいた。素数の螺旋回の単純なビジュアルの美しさと、「自力で数学の法則に気づいた人が、はじめてその法則のことを知ると、そこには適当な定義があるのではなく、馴染み深い友を見つけたような感動があるはずだ」という言葉に感じ入った。

そして、こうしたランダムな質問が数学の深い事実につながっていることは偶然ではありません。たくさんの事柄につながっているものこそ重要で深いものだと思います。なので適当に数で遊ぶのも適当すぎないかぎり、よく何か意味あるものにつながっていることがあります。もちろん教科書や講義を通せば、重要な事実をもっと集中的に学ぶことができて、行き止まりに出遭うことも少なくなることでしょう。でもこうしたトピックを自分で再発見することには、何か特別なものがあります。もしオイラーのトーシェント関数を定義される前に自分で作っていたら、それか連分数について知る前に分数での近似について考えだしたら、それかディリクレの名前を聞く前に素数がどう剰余類のあいだで振り分けられるか探求していたら、これらのトピックについて実際に学ぶとき、適当な定義ではなく馴染み深い友達が見えることでしょう。そしてほぼ確実により効果的に学べることでしょう。ぜひ数学で遊んでみてください。(『素数の螺旋』書き起こし)

打ち合わせに参加して30分だけザ行する。大人の詰め方と、それに対する大人の受け方を学ぶことができたので、まあ有意義だった。どんな難局でも時間経過が味方になってくれるということを受け側は知っているし、攻め側にとって一番の敵は「お時間です」あるいは「お時間大丈夫でしょうか」であるということを発見する。長くなりそうだったので途中で抜けてスタバにくる。

20230821

日記188

服着るレゾンデートル

2023/08/20 昨日
スタバを出た後、ステーキ松で黒毛和牛のリブロースのステーキを食べる。1900円でサラダバーとご飯お代わり無料がつくので安いと思う。いつもの松ロースよりやわらかく脂身も多いジューシーな肉だった。翌日に早出があるため、帰宅後すぐに寝る準備をして9時半にはねむる。寝る準備にラジオ体操が含まれていたために9時ではなく9時半になったが、これのおかげで入眠がスムーズにいったので結果オーライというか良い判断だった。

2023/08/21 今日
早出で出社のため5時半起き。なぜかわからないがゆったりした気分だったのでゆっくりしていたら遅刻しかけそうになって焦る。それでも10分前にはフロアに着いているのだからパンクチュアルであるためにいかに自分が慎重に行動しているかが知れる。社会人として良いことなんだろうけど良い社会人になろうとすることに同意した覚えはない。午前中の前半は若干立て込んでいたがそれ以降は仕事量も落ち着いた。15時半に退勤する。まだ暑さが厳しいなか駅まで歩かないといけないわけだが、退勤路は足取りも軽く、夏の日差しも爽やかに感じられた。やりたくないことからの開放によって夏の開放的な気分を疑似体験できたようで、怪我の功名と言うか、なんとかのかんとかというか。もう一個ぐらいことわざを思いつきたかったがすぐでない。直線的に下北のスタバに座って、『線形代数のエッセンス』を視聴する。

「計算の目的は数ではなく洞察である」リチャード・ハミング

上の言葉が紹介されており、それに触発されて自分がいまだに小説を読んでいる理由についてなんとなく考えていたことが浮上した。すなわち「読書の目的は獲得ではなく冒険である」
これは読書を人生に代替しても大体あてはまる。最初、獲得を知識の獲得としていたが、アフォリズムのルールに乗っ取り削り取ってしまった。削り取れる部分は削り取るというのが金言主義の規則だ。
暗黙のうちにこの人生をジャーニーと捉えるものの見方を強化するような小説を書きたいと思うが、それより何より、小説そのものがジャーニーであるような小説を書きたい。その過程は充分ジャーニーであるのだが、目的地を設定するほうがジャーニー感が増すものなので「できるかぎりジャーニーな小説を書く」を目的地に据えて歩を重ねようとあらためて思った。これは副次効果なのだと思うが、同行者・同伴者をもとめる気持ちが目的に重なっていくというのも感じられる。小説を書くという行為には、孤独感の緩和というセラピー効果があるのではないか。まあ自分はもともと孤独など感じていないが、それは自分が現在進行系で進めているジャーニーの効果であるといえるかもしれない。そうすると、周囲との比較で自分が持っていない要素や、心構えといったものの説明もつきやすい。大文字のNOVELを漸次読み「進め」ているというのが個々の小説を読むというときにやっていることだ。これは本好きというわけではないある種の小説読みとは共有できる感覚だろう。そいつが運悪く小説読みではなかったとしても、この感覚自体はindividualではなくmultiversalなもののはずだからそこにFocusしていきたい。漫画より小説を読むほうが楽しいという人間のことをすんなりとは信用できない。漫画の方が面白く思いやすいはずだ。しかし、小説でないといけない、漫画や映画にはなり得ない作品というものがあるから、小説は不要だというわけにはいかない。
ひとがあえて楽観的であろうとするときには、どこか真剣な姿勢を前提とするような、努力の賜物というニュアンスが多く入り込む余地がある。しかし、そういった人工甘味料のような、コストに対するパフォーマンスという考え方とは無縁なところに底抜けの楽観はある。自分としてはそれを実装したいと思っているのだが、やっぱり真面目でシリアスな願望がその邪魔をしてくる。今ではそういった邪魔が入るものと想定して、うるせえ、そんなんどうでもええわいと悪態をつきながら、ガハハと笑うような気分で状況を楽観視しようとしている。自分は根が真面目なものだから、現状、それ以外のやりようがないのだ。もっとパフォーマティブでない、自己暗示という毛色の少ない、自然な楽観ができるようになればいいと思うが、その過程にも上のような陥穽があり、どうせ嵌るならより威勢の良いほうを選べという単純な基準に従い、今の方針を択んでいるのだ。これでいいと思って。

20230820

日記187

ヒートアイランドビーチ

2023/08/19 昨日
朝9時に散髪の予約をしていたので髪の毛を切ってから集合場所の新宿駅に向かう。少し余裕があったので権兵衛のおむすびを食べる。ツナ玄米と明太子。どちらもおいしかった。新宿到着後、湘南新宿ラインに乗り込む。満席ぐらいの混み具合だったが三人とも同じ車両に乗り、それぞれで座席にありつく。横浜からは席が空いてきたので近くの席に座る。戸塚、大船、藤沢、辻堂と続き、目的地の茅ヶ崎で降りる。駅前南口側の中華料理屋が300円でラーメンを出すというのでラーメンを食べる。その後水着を調達するためにムラサキスポーツに行くが、本格的なサーフショップだったせいで水着の予算を大幅オーバーする。しょうがないので駅施設に入っているユニクロに行くも、オンラインショップで展開している水陸両用のハーフパンツがもう店舗では取り扱っていないと言われる。無印良品に行って水着がないか確認するも取扱なし。ハンドタオルを持ってきていなかったのでタオルを買う。施設のイベントでガラガラをやっているとのことで引換券をもらう。スマホの契約見直しませんかというキャンペーンの一環でプレゼント企画をやっているらしく、残念賞をもらうだけもらってスマホの話は一切無視して会場を後にする。ケータイ会社を憎む気持ちが強く、キャンペーンで駆り出されているだけの人にもきつく当たってしまうのでこれは改善したほうがいいと反省した。「ケータイ会社には不信があるのですみませんがお話は結構です」と丁寧にきっぱり断ればそれで済む話だ。水着難民になりかけながら北口のイトーヨーカドーにいく。ここの紳士服売り場は売り場面積も広く、品揃えもあり、納得できる価格で水着を提供していた。そのうえ試着室も近くに3つあるなど、良いクオリティを持っていた。客数こそあまり多くなかったが、できればこういう店舗はなくならないでいてほしい。
南口からバスに乗って「茅ヶ崎駅入り口」まで行く。ややこしいバス停の名前だが、これは駅近くのバス停ではなく、ビーチ最寄りのバス停だ。しかもこのバス停から海水浴場まではそこそこの距離を歩かなければならない。いろいろ観光客フレンドリーとは言い難いが、そのせいで県外からの客数が制限され、海水浴場としてちょうどいいバランスになっているのかもしれない。
暑い道を歩いて疲れたし、なにより暑かったので海水浴場に到着し次第、すぐ海に入る。しかし、この日はクラゲが大量発生しているというアナウンスがされており、しかも驚くほど海の水が汚かった。こんなに汚い海水を見たのは初めてだし、そこに入って海水浴をするのも初めてだった。一度入ってしまえばもういいやという感じで慣れはするのだが、それでも最初のほうはテンションが下がってしまった。今後、茅ヶ崎のビーチには二度と行かないことを早々に決めた。それほどひどい水質だった。ただ海水浴自体は楽しかった。友人N持参の浮き輪×2と、友人Bが駅前施設でのイベント景品でもらっていた簡易式の「水鉄砲」が活躍した。
気づけばあっという間に16時を回っており、水に入っての遊びは終わりにして、砂浜と海の家と堤防の突先からそれぞれ海を眺めたりなどした。ここでも気づけば17時半を回っていて、遠浅ビーチのプチ竜宮城という趣だった。友人ふたりがお喋りということもあり、つねに会話が途切れないせいで必ずしもチル度合いが高いとは言えなかったが、それでも十分なチル量になったと思う。ひとりで行ったらそれはそれで頭の中がやかましくなって、結局、十全にぼーっとできないのだろうし。
バス停を間違えたせいでバスに乗り損ね、歩いて駅まで戻る。夕方の時間帯は、「涼しくて快適」とは絶対に言えないものの、昼間の過酷な暑さにくらべればまだ歩ける環境だったので助かったが、バス停の場所勘違いは大きいミスだった。本来なら吊るし上げられても文句を言えない状況だったが、ふたりとも歩くことを苦にせず、なんなら往路のバス移動も歩いていきたいという主張だったので、糾弾されずに済んで良かった。
駅前南口側の飲み屋の充実はあまり見ないレベルでよかった。海の件(あとはバス停の件)で茅ヶ崎の評価が相当下がっていたので、ここで一気に持ち直した。商工会議所が頑張っているからなのかわからないが、チェーンの居酒屋がほとんどなく、そのうえで安い居酒屋が多いので、店選びの段階ですでに楽しかった。いつもであればちゃんと安い店を見つけることを至上命題にすえてその実現にむけて余裕がないシチュエーションなのだが、ここなら入りたいというレベルの店が多かった。どういう仕組みでそうできているのかはわからないが、地産地消を実現し、独自の生態系をうまく維持できている例にあたる。
湘南新宿ラインのボックス席に座って新宿まで帰る。すでに酒量を過ごしていたので氷結4%を飲むふたりを尻目にオールフリーを飲む。日焼けしたときに酒を飲むと頭痛が起こるという仮説があるのだが、このときにも頭痛がしていたので会話に集中できずちょっと惜しい気がした。酔って楽しいと酔ってしんどいまでの距離が短いので、酒量を適切にコントロールしなければならない。今でもかなりできているほうだとは思うが、日焼け、疲れなどの別要素が絡んでくるといつも通りでは足りないので気をつけないといけない。酒を飲んで羽目を外すというアクションに憧れていた時期はいつの間にか通過している。記憶をなくすまで飲むということはできそうもないし、最近では飲んでもいないのに思い出せない物事が順調に増えてきているなど、記憶が弱くなっているのを実感するということもあって、記憶がなくなるというのは単にろくでもないことであるということ、わざわざ望むようなことではないという当たり前のことに気がついた。とくに日記を書いているとそのことが顕著だ。前日の出来事を思い出す作業をすると、いかに覚えていないかということが明らかになる。それは記憶力の問題でもあるのだろうが、他にも通常時の意識レベルが下がっているということもありそうに思われる。つまり、何かの行動をするときに、意識してそれをするというのが当たり前であるはずなのに、半分かそれ以上の割合を無意識で行ってしまっているということだ。動物を見ていると、意識がないといえそうな時間をその動物が過ごしているんだろうと感じられるようなことがあるが、それと同じ時間経過を自分が辿ってきていたということが事後的に了解されるような時間のことが思い出される。思い出すということはそこにアクセスできているということで、半分以上意識できていたということにしてしまっていいはずだと思うが、そこにもグラデーションがあって、思い出せないというのが分水嶺になっているのだろうと考えられる。思い出せないということによってそれを下回る内容についてはアクセス不可で、したがって完全に無意識ということになってしまうと思うが、そういった時間経過というものが自分で思う以上に多くあり、しかもそのことに気がつく契機があらかじめ失われているのだと思う。これは自分だけに起こっている特別なことではないのだろうが、この区分で言うところの動物にさらに近いところにいる他人というのは全然珍しいものではない。これは逆側方向にも敷衍できて、つまり、睡眠という仕組みがあるせいで、完全に意識が連続している他人というのもあり得ないということがいえる。ただ、自分よりも意識レベルが高い他人というのはいくらでもいると考えられる。記憶容量が多く、意識レベルを高いままほとんどの時間を過ごし、それをもとに経験を得、学習を進める個人というのは、その体験の質という意味でも量という意味でも、自分の目指す理想に近い存在だということができる。それを他人に表現するための手段は生活のあらゆる場面上にあり、他人と接触しているかぎりつねに発揮できる「態度」として表現されるのだろう。
23時頃に帰宅し、どろどろになった身体をシャワーで濯いだ後、すぐにねむる。

2023/08/20 今日
8時に一度目を覚ますが二度寝をして11時半に起床する。途中ポケスリをやったり三笘や遠藤のプレー動画を見る。日本人選手がプレミアで活躍する未来が、実際に現在になっていることがすごいし、不思議な感じがする。朝食にベーグルを食べ、久しぶりに数学の動画を見る。
「線形代数のエッセンス」というYoutube動画で一番おすすめしたいシリーズの動画。
たった10分足らずの動画を見ただけで脳が疲れたのかさらに昼寝を重ねてしまう。ただし、クーラーをつけているのにもかかわらず室温が十分に下がらないせいで寝苦しくて目を覚ます。熱中症になるかと思ってちょっと焦った。涼みがてらスタバにいくことにする。暑すぎるので電車を使う。休日気分のため梅ヶ丘に行ってみるも満席だったのでそのまま下北沢に引き返し、エキウエのいつものスタバで日記を書く。『V.』を読む。場面はプロフェインがレイチェルに仕事をあてがってもらうところ。ピッグボーディーンの武勇伝と将来の夢について。卑猥な人間にとってのヒーローとしてぐひぐひ言って笑うピッグ以上のキャラクターはいないのではないか。いわゆる「哲学」は崇高な方向にしか展開できないという制限があるようなのでこれはフィクションにしか満足に到達し得ない領分なのだと思う。

20230818

日記186

早朝みたい

2023/08/17 昨日
スタバに行ったなかでも一番短い滞在だった。集中できずに日記を書いてすぐ出てしまった。ちょっと小説を書くのが難しいから休もうかと思ったぐらいで心の中が厳しかった。ユニクロに言ってセールの無地黒Tシャツを二着買う。その後ステーキ松でハンバーグ250gとたくさんのサラダ、ご飯二杯を食べる。酒は飲んでもしょうがないと思ったのでそのまま帰宅。『バーン・アフター・リーディング』を見る。大学生の頃、コーエン兄弟の映画にはまるきっかけになった映画だったが、気分がわるかったため、当時の自分が面白いと思ったものが今は面白くないという類例になるのではないかという意地悪な気持ちで見始めた。最初のシーンのクレジットの出方などでちょっとこれは本当にやばいのではないかと不安になったが、結果全然見れたし、終わり方含めて面白かった。何度も見て結果どうなるのか忘れていたのでそれを確かめたいという思いで最後まで見ることに決め、しかもそのうえで1時間15分ほどの時点で寝落ちしてしまい、いつの間にか斧が振り下ろされているクライマックスのシーンになっていたので『パルプ・フィクション』ほどの感動には及びもつかなかった。向こうは映画館というのを割り引いて見ないといけないかもしれないが。
駄目な日にもやれること「ねむる」をする。23時半ごろ。

2023/08/18 今日
嘘のようにスタバで進捗がある。思いつきを急いで小説の形に書き下すというのが一番やった感がある。これをどうやって使えるかということや、そもそも使えるかということを考えずに思いついたまま思いついた内容の精度を下げずに書ききることを意識した。
金曜日なので良い晩ごはん食べようということで、うどん屋に行く。われら花の金曜日組。

20230817

日記185

見ている

2023/08/16 昨日
バイト出社日。最低なことに社員証を家に忘れる。仕方なく取りに帰るかと思っていたらまさかの侵入してくださいとの指示。侵入ミッションは難なく成功し、誰とも話さずに一日の業務を終える。いろいろ終わってるなという感想だが、べつに深追いしてもしょうがないのでそのままを受け入れるまで。
仕事後に新宿のマーガレット・ハウエルまで行ってカバンの具合を確かめる。思ってた以上にテラテラしてビニールっぽい質感が強かったので買うのは無しにする。
友人と新宿で飲むことにしたので待ちがてらケバブを食う。ファミマ無糖レモンチューハイと相性がよく、風が通る夕方ということもあって図らずもだいぶ贅沢な食事になった。その後日高屋で合流。ペンギン広場で飲んでから歌舞伎町を冷やかしに行く。初めて歌舞伎町タワーにのぼったが、エントランスにも出れてなかなかいい場所だと思った。タワーを降りてゴールデン街をうろつく。いつの間にかルネッサンスの道に戻ってきたので、ペンギン広場に戻ってもう一杯飲んでから解散。いろいろ聞きたかった話があったのだけど半分も聞けず。文学フリマに出店するというと、書こうかなという反応があり、ぜひに思ったのでぜひにと押してしまった。駆け引きとかまったくわからないが、自分に置き換えてみると書こうかなというぐらいの軽い表明にぜひ書けという反応をされるとちょっと引いてしまうというか覚めてしまうところがあると思うのでうまくなかったような気がした。まあ、本人が書きたかったら書くしそうでもなかったら書かないだけの話だから、押そうが押すまいがどっちゃでもかまわない。ただ感情をそのままに反応したってだけ。軽いエッセイを書くのは気分転換にもなっていいものだろう。

2023/08/17 今日
在宅バイト。くだらないうえにもくだらない仕事内容にモチベーションがどうしてもあがらず、だらだら締め切りを引き伸ばしてしまう。そのせいでトレースさせるという仕事を増やしているしろくでもないなと思うんだけど、いくらなんでもな仕事内容で、まったく何にもならないシステムの名前を覚えていくことが求められる。一体なんのためにやるのかという脳を使ってしまったら一瞬で焼き切れて終了なので、とにかくなにも考えずに向き合わないといけないのだが、それは難しい。考えないでいて在宅だとダラダラするに傾斜しすぎる。
ザ行なしでスタバにくる。仕事が進まないというストレスがあるが、それまでに溜まった一日を無為にしているというストレスもあるから、ひどいほうのストレスを回復させながらストレスを受けているという若干忙しい状況に陥っている。
ただ在宅中に洗濯機を二回まわしたし、シャワーを浴びるととても気持ちが良かったので、わるいことばかりではない。それはバイトに結びついておらず、もっぱら家で過ごすことに結びついているわけだから、バイトなんて止めてしまったほうが幸福なのだが。

20230815

日記184

白地に青い文字

2023/08/14 昨日
スタバのあとトリキに行ってキャベツと鶏肉を食べて金麦を飲む。帰り道にアイスを買い食いする。アイスまんじゅうを初めて食べたようなリアクションをとり、初めて食べたと言いもしたが、たぶん食べたことはあったと思う。ただ商品名がアイスまんじゅうだという認識はなかったので、アイスまんじゅうだと思って食べるアイスまんじゅうは初めてだった。前日は寝不足になってしまったので同じ轍はふむまいと23時半にはねむる。

2023/08/15 今日
在宅バイト。昨日も今日も同居人がお盆休みなので仕事中にふたりでいることになった。ただし休み中にもかかわらず普通に働いていたのでとくに目立って楽しいこともなく。なんだったら自分よりがしがし働いていた。ビッグコミックを買って読む。『ブルージャイアント』が目当てだが、他にも面白い漫画があればという目論見もあった。仕事の合間に流し読んだからかほかに面白いと思う作品はなかった。最近、6,7年使ったノースフェイスに代わる黒リュックを探しているのだがマーガレット・ハウエルの黒リュックが浮上してきている。普通のリュックの形ではなくトートっぽい形なのだが、シンプルで良さそうに思える。仕事後に見に行っても良いと思ったが、ちょうど翌日が出社日なので帰りに見に行くことにする。チーズナンを出す店に晩ごはんを食べに行く。ハニーチーズナンのハニー抜きという注文しかしたことはないのだが、ハニー抜きをしていないハニーチーズナンをたべているを見ていると、そしてちょっと食べさせてもらうと、それが正しかったのだとわかった。
19時半頃にスタバに来て日記を書く。『V.』を読んで仕事か、仕事をして『V.』を読むか、どちらかをこれからやる。

20230814

日記183

湿度100%

2023/08/13 昨日
新宿に行って映画まで2時間ぐらい時間をつぶす。無理かもなと思っていたがスタバはどこも満員で入れず。紀伊国屋で本を見て、伊勢丹で服を見て、もう一度紀伊国屋に戻って本を立ち読みしているうちに時間になる。当てもなく新宿にいるときの心もとない気持ちをまた味わう羽目になった。これは鉄板で座れるカフェを見つけていないせいもあって年に何回かやってしまう。今回はむし暑さと雨のせいで、過去最悪レベルのやるせなさだった。
楽しみにしていた映画はすぐに予約したおかげで一番いい席で見れた。今回は発見がみっつあった。
・パルプ・フィクションは面白すぎる。
・俺は面白い映画を見ると元気になる。
・面白い映画についての時間を経た評価は信頼に値する。
とくにみっつめの発見が印象的で、自分の鑑賞眼だけを信じてきたわけではないおかげで、この映画体験ができているということがあるので、識者には感謝しないといけないということを思った。
つまり、クエンティン・タランティーノの映画を最初に見たとき自分はそこまで感心しなかったというか、面白さがわかっていなかった。面白さは理解できないまでも迫力を感じてはいたから引っ掛かりがゼロだったわけではないのだが、それでもこの作品が映画好きの人たちによって名作扱いされていなかったら、そのまま通り過ぎていた可能性は十分ある。youtubeなどでは、面白い動画も自分がそこにアクセスできない以上それは存在していないのと一緒ということになる。それは現在進行系で起こっている残念なことだが、映画好きの目がもし確かでなかったとすれば、映画でも同じことが起こり得た。海外文学などの小説にしても、面白いとされるものはちゃんと面白い。自分のなかの好き嫌いの壁を越えられない作品もそれなりにあるが、意識してその壁を十分低くするなら、読んで面白くないということは言えないだろう。(読まない場合、存在しないことになるが)
映画の面白さも小説の面白さも、それが個人的な体験に根ざした受容だとする自分の立場にゆずるべきところはないが、そこへのアクセスが可能になったのは社会的な評価のおかげではある。その評価への信頼は揺るがないということはできないにしても、自分の自分にとって個人的だと考えている選好を築いていったのは、まずは社会的な選好からきている作品群だといっていい。作品受容において自分は、名作や権威というものを認めるよう暗に求められるようなある種の教育を受け続けてきた。その結果得たものは大きいから、こういう構造にしても否定し去ることはできないが、ひとつひとつの作品受容においては、過去から連綿と続いてきた文化的蓄積や係留はあえて無視し、面白いかどうかだけの一軸で評価するようにはしたい。それぞれの作品の共通点や文化史的マッピングについてはそういうのが好きな人に任せればある程度はきちんと整理してくれるはずだ。今やハイカルチャーが好きだという明確な選好を持つにいたった自分としては、こういう積み上げや連綿と繋がっていく流れには恩義があるといってもいいし、足を向けてはいられないはずなのだが、自分より年少の人たちにこっちだと道を示すために流れや蓄積を強調するということはやっていられない。自分が手にしている選好について考えると、べつに師匠がいたわけでもなし、具体的な個人に負っていないから、社会的な権威や名作扱いに反発せずに、ただ面白いものを求めていただけで好きに面白いはずだと思って飛び込んだまでで、そういうふうにできるやつは放っておいても勝手にそういうふうにするはずだと思うからだ。面白いものに飛び込もうとするのは、それを求める自分自身によって妨害されたり、流れを面白くない方向に変えられたりもすることだ。信頼できる他人の言葉を探すしかない。それがどこにあるかはわからないし、知っていたら教えてほしいぐらいだが(もちろん半信半疑で聞くが)、それは自分の言いたかったことを代弁してくれるようなレビューの中にはないことだけは確かだ。あとは「実感がこもっている」というのも当てにはならない。猫がかわいい、犬がかわいいというのは実感として思うことだが、それでは面白い未だ見ぬものには到達できない。(ただしその実感を失ってしまっては本末転倒だと思うので、それが不要だと言いたいわけではない)
紀伊國屋書店でいくつかの本を立ち読みすると元気が出た。当然といえば当然なのかも知れないが、出版されて平置きになっている、何とかいう賞を獲ったり獲りそうになった小説にしても、手にとって読んでみると完璧とはほど遠い。出版されるという目的をもちそれが叶った本であるというのが、自分にとってのその本すべてだ。自分が読んできた本、自分が読んで面白いと思ってきた本とは全然ちがう。
ただ、それだけのことでは満足できなかったので、昔面白いと思って特別な作家だと考えている小説家の本も手にとって読んでみた。そうするとびっくりするほど同じ感想だった。完璧とはほど遠く、出版されることがゴールになっているような小説に思えた。先の小説はわからないにせよ、好きだった小説についてはさすがにそんなわけはないので、自分がいま小説を書いていて、何が面白いと思うかということについて昔とはちがった感覚を持っていることが、そう思えてしまった原因だと思う。単純で皮相な考え方のようだが、全部の小説を面白いと感じる人間よりも、全部の小説を面白くないと感じる人間のほうが小説を書くのに向いていると思うので、小説を書いている結果、そちらに寄っていく過程をたどりつつあるように自分自身のことを見られるのは心強い。もちろんバランスをとって言うなら、完成もさせないうちからこんなふうに思い込み(ばかり)が強くなっていくのは常識的に考えて心配ではある。まあここがバランスなんてクソ喰らえという場面なわけだけれども。


2023/08/14 今日
連休明けの在宅バイト。当然やる気など出ない。タスク整理だけしてあとはダラダラする。あとは復帰した人と打ち合わせをして、タスクの一部をきっちり巻き取ってもらう。自分でやろうが人がやろうが何も変わらない、ただ面倒な仕事なので、他人にお願いするというのはイコール働いたということで良いのだ。今日はほとんど何もしなかったが働いた。
定時上がりでクラシックのほうのスタバにいく。LUUP使ったが、踏切で5分ほど待たされたせいで料金が120円かかった。日記の書き終わりが19時半。これから仕事を進める。

20230813

日記182

天井あれば高さ際立つ

2023/08/12 昨日
スタバに行った後、もうやんカレーで大辛のポークカレーを食べる。100均に寄って切らしているLシステインの代替サプリを購入。LUUPを使って帰宅する。
帰宅後、この日の企画のひとつであるラジオの準備をする。
ラジオは「構成を練る」「事前準備」をするという話だったが、どちらも全然できていなかった。曖昧で抽象的な、どこかで聞き齧ったことだけを述べる中身のない提言だということは半ば予想していたがそのままその通りだった。
結局、たんにいつもより重心を下げて会話するというところに落ち着き、そうすると普段の退屈さからはすこし隔たることができたので、ラジオの件について考えたり、準備することは進まずそのままになってしまった。この日にラジオ企画に目鼻がつかなかったら彼とラジオするという遊び方はできないと意気込んで臨んだが、この日の結果でやっぱりできないというのが確実になった。
あとは利き水と利きビールをやった。どちらも当てられて味の違いははっきりあるということがわかった。
ラジオができなかった代わりに、ファッション誌風インタビュー作成のためのインタビューとスナップ撮影をやった。準備をしていただけあってインタビューはそれなりの結果になった。スナップ撮影も15分ほどでスムーズにできた。どちらも気を置けない関係性だから滞りなく進んだだけだという気もするので、それぞれの形式や体裁をあらかじめ整えていくことが重要になる。
この日に企図したイベントは全部終了したので飲みに出かける。気になっていたスシスミビに入る。うまく注文しさえすれば安くで楽しめそうな店だということを発見できた。その後、ミカンのダンダンで一缶分話をして帰る。たとえば映画などで何かが良くないとか何かが良いとか言うとき、友人はその何が良いのかということを全然言わない。言ったと思えば質の悪い感想・批評サイト(というかそこまでもしておらずツイート・コメントだけだろう)から直輸入してきたようなことだけ。それで済むような会話しかやってないのだろうと想像される。また意見が対立したらそこで終わりという姿勢が見える。本当はそこからスタートすることなのだが、意見の対立ができないのだろう。なぜ対立ができないのかといえば、相手側の意見を聞くことができないからで、なぜ相手側の意見を聞けないかといえば、自分の意見を成形するのにコストがかかりすぎているからだ。相手の言うことから相手の意見を抽出するのではなく、自分の意見と相反する点を抽出している。対立点にしてもそうだが、賛同する点についても、単純化した受け取り方しかできていないので、意見を賛成か反対かのレベルでしか汲み取れていない。自分がのぞむ会話の水準で考えるとまったく汲み取れていない。自分はSNSなどの短いコメントの応酬を会話でやりたいわけではない。一を聞いて十を知る人がいるというが、彼の場合などはその逆で、十を聞いて一を知るというものだ。程度の差はあれ、これは彼だけの話ではなく、見聞きする精度を上げていこうと志向しない人は遅かれ早かれそうなってしまうのだろう。若いときには脳の力でなんとかできていたのかもしれないが、その能力は落ちていくし、そうすると上がっていこうと意思しないかぎりは下がっていく一方だ。ただ、実際には上がっていこうとしても下がってしまうのが一般だろう。どれだけそのスピードを遅らせられるか、自分なりの基準を構築していくか、そういったところがポイントになってくる。

帰り際、雑誌企画のインタビューで友人の友人を紹介してもらうためのスケジュールを決めようとしたときに、思い当たる人をどうやって誘うか難しいと言っていたので、企画参与者として誘ってほしいというと面倒そうな顔をされる。さらに、誘うのであれば「誠実さ」を出さないといけないと言われる。一体どの口が誠実さなんて言葉を出すのだろうと首をひねったが、一般論としては正しいので持ち帰ることにした。ナチュラルに自分のことを棚に上げられる神経の太さ(≒神経の無さ)には驚くばかりだが、彼にいちいち噛み付いていては時間の無駄なのでこっちでできることをする。誰か協力者を探さないといけないのは明らかだ。別ルートがないというのがボトルネックになるようでは責任はそのまま自分に返ってくる。企画をやりたいと言い始めたのはそもそも自分で、協力してくれるだけありがたいと思わないといけない。昔からつるんでいるという事実に甘えてつい多くを求めてしまうのは良くない。

2023/08/13 今日
9時半に起きる。眠りパワーの最高値を2日連続で更新。VIVANTの一話冒頭10分を見て、見切りをつけ6分間の4話分ダイジェストを見る。さらに見切ってもうこれ以上見ないでもいいと判断する。10時半にスタバに行く。暑いのが嫌だからLUUPが重宝している。100円しないでスイっと移動できるのは熱い。
今日は休みにすることにして、『V.』を読み、漱石の『吾輩は猫である』の序を読む。集中して書かれてあることがわかる。当たり前だけど。明日から気持ちを入れ替えて、日常的に書くということと集中して書くということを並立させないといけない。
『パルプ・フィクション』を見るため新宿に行く。

20230812

日記181

エレキ街

2023/08/11 昨日
神田明神の盆踊りに参加するため秋葉原にいく。久しぶりにきたが観光客で賑わっていた。アトレのスタバに1時間半ぐらい座ってから盆踊り会場に向かう。アニメソング盆踊りということで最初は『推しの子』の曲で踊る。見学の素人写真家たちが踊るためのスペースまで押し寄せてきて踊るためのスペースが充分確保されていなかった。パタリロ音頭がとくによかったのと、おジャ魔女どれみの踊りのときには他とは違う熱があって興味深かった。あとは炭坑節や東京音頭がかかると水を得た魚のようになる自分が面白い。
1部と2部があるということだったが、人がどんどん増えてきて踊るどころの騒ぎじゃなくなってきたので1部だけの参加で引き上げる。中華料理屋に入って大量の飯を食う。客が全員、立派なおたくルックのいでたちだったので若干浮いていたかもしれない。是非浮いていてほしいが、残念ながらちゃんと馴染んでいたような気もする。
食べすぎたのと盆踊りが期待を下回ったのとで低調になるが、帰りがけに川沿いのテラス席を発見し、座って喋るうちにいい気分を持ち直す。
汗でどろどろになったので早くシャワしたい気持ちで、電車に乗って新宿経由で帰る。シャワーして22時には家でゆったりできたのだが、そこから2時間の記憶が薄い。たしか粗品の動画を見ながら天鳳でサンマして、23時半には寝に行ったのだが寝付けずに1時間を無為に過ごしたのだった。それでもポケスリのおかげで0時半頃にねむる。

2023/08/12 今日
9時半に目を覚ます。だらだらと休日の朝を過ごした後、一駅も歩きたくなかったので電車に乗って下北沢駅までいく。しかしエキウエのスタバは満席だったのでイヤイヤ歩いてクラシックスタバにくる。10時半。客は少なかったが、大学生の男三人組がクラウドファウンディングを駆使したスタートアップの相談をしていて楽しそうだなと思って、ちょっと話を盗み聞く。送料の表記についてどうするかが議題に上がっていた。古着を売るんだと思っていたらどうやらゲーミングPCを売る話らしく、商材から考えてわりとガチな商売を始めようとしているようで大変そうだ。でも話し合いの雰囲気からみんなあるレベル感での楽観視を共有できていて遊びとしても楽しそうだと思った。ひとりがバイトか何かの用事で抜けていったあとも残ったふたりはPC画面を見ながら何やら話をしている。自分たちTCBも負けてはいられないとは思うが、これという企画も上がってこない。行動はさておき思いつきさえもなくなったら、ただ美味い飯を食って美味い美味いと言うだけの「大人」になるだけだ。何か思いつきたいが……。
新しい友人を作ろうとするときにこれまでは商売気のなさでフィルターをかけていたが、それは外したほうがいいかもしれない。自分に商売気はないが、意欲的に何かに取り組もうという人を探すときにそのフィルターをかけると同世代だと誰もいなくなってしまう。ビジネス気質を全開にするのはちょっと嫌だという手合いはすでに何かをやっている。そこにゲスト参加するのもありだけど、それだと企画をやるということにはならない。と結局また無いものねだりになる。自分ひとりでできることを自分ひとりでやるだけだ。まずはそれを完成させてから、それを持って出かけていけばいい。

20230811

日記180

終電早い

2023/08/10 昨日
一旦諦めかけてから意外と進捗があった。粘り強く机に座り続けるのも大事。9時半までやったあと吉祥寺まで飲みに出かける。吉祥寺シアター近くの飲み屋っぽい飲み屋。クーラー効いてないイメージがあったけど、記憶よりさらにクーラーが効いてなかったため、汗かきながら酒を飲む羽目になる。最初こそ暑さでテンションが上がらなかったけれど、慣れるのと酒が進むのとでだんだん盛り上がってきた。会話が面白いのは会話を面白くしようと頑張っている相手がいてこそというのを感じた。店を出てからのトークも知りたかったことが知れて充実していた。足りないものがあまりない現代においては、何か打ち込むことがある人は幸いである。続いているというのもすごいし、続けていこうという意思があるのも立派だ。取り組んでいるときの集中や必要なところにまで到達しようとする志向そのものが楽しさなんだろうと想像する。楽しいことは逃げていく、僕らはいつでも追いかけるという歌の歌詞を思い出す。
ただ、話が盛りあがった代償として下北沢までの終電を逃してしまった。一瞬、ネカフェで漫画読むコースも過ぎったが翌日の寝不足を嫌い、1時間半かけて歩いて帰宅することにする。しかし、こういうバカなことをやるとテンションがアガる効果があって楽しかった。歩く距離といい、ちょうどいいサイズだから本当に苦しいわけでもなく、支払う代償としてはぴったりだった。話の内容を反芻する時間にもなったし。道中こわい道もあったが、何とか帰宅した頃にはくたくたになっていてすぐに寝てしまう。

2023/08/11 今日
10時半に起床。8時間近くぐっすり寝れて元気に目を覚ます。昨日の歩きと昼間に久しぶりに行ったラジオ体操第一第二が効いているんだろう。ゆっくり朝ごはんを食べて正午にスタバへ移動。白い雲が青い空に映えていていい感じだと思ったが、なんにせよ暑い。スタバ店内はクーラーがんがんだったがしばらくは身体の熱がとれなかった。日記を書いているうちに落ち着いたので仕事にかかる。今日は夕方から神田明神の盆踊り大会に出場予定。

20230810

日記179

道路は一日にして成らず

2023/08/09 昨日
明大前のスタバは混んでいなくて、下の通りを見下ろせる6人がけの大きなテーブル席があって良かった。やっぱり混んでいないに優るスタバはない。仕事を9時前には切り上げて相州屋という定食屋に行ってオムハヤシライスを食べる。トマト味のないハヤシライスの究極系ではないかと思った。肉が結構多かったのも嬉しかった。ステーキと牛丼以外で久しぶりに牛肉を食べた。そうはいってもハヤシライスの牛肉は牛丼と似たようなものか。
LUUPで家の近くまで帰る。ぎりぎり雨に降られることになり、LUUP返却後の3分の道のりで一気に強まった雨脚に捕まり、びしょ濡れの濡れ鼠になった。
『83歳のやさしいスパイ』を見る。普段ショート動画で幼児や犬猫を消費するのと変わらない消費スタイルになるのではないかと警戒しながら見たが、そこまでひどい消費にならなかったはずだと思う。近いものはあったとしても程度問題だし、そうならないようにしすぎるというのも過保護になって目線の問題は解消しない。結局、画面に写っているものを見るだけだ。音に聞く「老後の心配」というのがどういうものなのかすこしわかった気がする。ただし、よく聞くそれとはやっぱり内容が違っているのではないか。一番大きいのは孤独感の問題なんだと思う。家族がいるならいるに越したことはないんだろうけど、それですべてが解消するというわけではなさそうだ。ポケスリのために23時半にねむる。

2023/08/10 今日
在宅バイト。期限期限期限期限で、一個でも見落としがあったらどうしようと気が抜けない。べつにこんなの飛ばしたら飛ばしたでええのよと頭の中の正気おじさんがかき氷食いながら喋りかけてくるけどちょっと今黙っといてと声荒げる始末。正気おじさんは狂人に掛ける言葉は持っていても、諭す論理は持ち合わせていない。とにかく機嫌よくかき氷でもホットクレープでも食べてそこにいてほしい。ビーチパラソルの下で足を伸ばしてくつろいでいる真っ当な感性の持ち主が自分の本体なのだと思っていることは多分自分で意識している以上に大切なポイントなのだ。夕方になって三連休が目前に迫るにつれ高ぶってくる。来週にまわすタスクも極小に抑えたことにより、やったった感が大きい。酒を飲みに行きたくなる。落ち着いてラジオ体操してから、空腹をなんとかするためにチーズナンを食べに行く。19時半にはスタバに座って日記を書き始める。この後一時間でも二時間でもできるだけ仕事をこなしてから、飲みに行けたら飲みに行く。
関係ないけどふたり以上でスタバにきて喋っている人々をちょっと観察していると、皆相手の目を見て喋っているということに気がつく。これが当たり前なのか。スタバに数人で来る人間はなんらかの異常をかかえている? 自分が話し相手と目を合わせるのを5だとすると、誇張なしで100ぐらいは目を合わせて喋っていないか? いくらなんでもやりすぎじゃないかと思うんだけど、俺が目を合わせなさ過ぎるのか。普通はどうなのかというのはこの際どうでもいい。こんなに目を合わせて良いのだったら、あのときも、あのときも、もっと目を合わせに行けばよかったと思う場面がたくさんある。過去のことはさておき、これからは目を合わせるということを意識して人と当たっていこう。目線は攻撃になるというほとんど無意識の思考習慣があるから難しいかもしれないけど、それは自分の動物性の部分から発している癖のようなものだろうから、なんとかコントロール下におくようにしていきたい。

20230809

日記178

かぶり

2023/08/08 昨日
スタバを出てから買い物にスーパーに寄ったが酒を買わず代替にChill outを買って飲みながら帰った。ほぼ毎日飲むとはいえ酒量はかなりコントロールされたものだし、全然問題ないとは思うものの、たろちんの膵臓のことを考えるとつい弱気になってセーブしようという気持ちになったのだった。それと町田康の断酒にも遠くから影響を受けている。華々しい飲み方は自分にはできないのだから、未練たらしく酒を飲むのはたんに脳細胞にとって害になるだけなので、とにかく楽しく飲めるときにだけプルタブを引くことにした。

2023/08/09 今日
在宅バイト。途中途中で雨が降ったり、眠くなったら昼寝をしたり、ダイアンのラジオを聞きながらタスクをこなしていった。バイト後にはスタバの机に座って仕事をしないといけないと思うと若干気が重く、バイトをして作業に没頭しているほうが気楽かもしれないという逆転現象が起こった。これはアフター5の獲得に血道をあげることを辞さない自分としては異常事態だといえる。ここのところ進捗も思わしくなく、帰りに酒を飲んでも楽しい気分になることも少ない。何のためにやっているんだという気がすることもある。世のため人のためと気を取り直す。半分冗談だが、こうやって苦痛を和らげているうちに慣れていって、本当にそんな気分で机に向かうようになることが予想されるのが自分の恐ろしいところだ。しかしモチベーションの方向性はともかく、生まれつつある作品を水に返したくないというのは思うところだ。作品内にはわるくないやつらが揃っているし、そいつらにこの世界との接点を与えてやりたいという気持ちがある。どうせ誰も読まないとかそういう水準ではまだ考えていない。接点さえあればそれでいい。この世界における作品にとっての自分の役割と、作品におけるこの世界にとっての自分の役割の両方を同時に達成できるとしたら、それ以上望むことはない。逆に言うとそれ以外の望みは役割関係なく自分で勝手に達成していく。何でもかんでも自分でまとめることをしなくなった。昔の自分は遠くにいて全然違う自分が今こうやって自分というものの手綱を引いていることを考えると、そういう分離は自然なことのように思える。
1時間半ぐらい仕事を進めた。小説を書いていると自分は目高手低だなということを思ってそんな四字熟語がないか検索してみたら眼高手低というものがヒットした。意味もほとんど同じ、面白くない四字熟語だなと思った。書いているときにはいちいち立ち止まっていては進まないのでできるかぎりのスピードで駆け抜けようとする。それでも手癖で、こういうことはやりたくないと思うところは意識せずに避けていく。後日自分の書いたものを読み返してみると、量がないというショック(髪の毛が薄くなったのを自覚する中年男の気持ちと似ている)に加えて、これは自動で避けてほしかったというところが避けられていない描写、言葉遣いがぽろぽろ出てくる。もし作者が自分ではない設定でこの小説を読んだら駄目な作品だなと思えてしまうであろう箇所がたくさんある。第一稿なのだから修正すればいいだけなのかもしれないが、修正しようとすると全体がしっくりいかないということになってしまう。もっと全体のトーンに即して、かつサバサバと捌けた文体にして、無用な部分を削ったエスプリを増やしていきたい。それは端的に言うということではなく、目に見えるものについて客観的に描写するということによって可能になるはずだ。同じことを何度も言っているような気がするけど、それはとにかく自分の目に見えていないものを書いて量をかさ増ししようとしているから起こることだ。もっと机に座る前の段階で、小説世界の出来事を見つめないといけない。ラジオとかお笑い番組とか視聴している場合ではない。外に出て人が喋っているのを聞くほうがよっぽど役に立つ。それでいうと今日は幼稚園生ぐらいの年齢の女の子二人組が「ふたりはいちばんなーかかよし」という歌を合唱しながらスキップで帰宅する場面に遭遇した。後ろからふたりの母親が追いかけていたので都合4人パーティだったのだが、よく知っている帰り道だからだろう、一番仲良しのふたりが先陣を切っていた。節回しも手をつなぎながらの息を合わせたスキップもありきたりでつまらないものだったが、それとはちがう次元で、そういう歌をふたりで唄える場面というのは、すれ違っただけの全然知らないふたりなのだが、彼女らの人生単位で見てもピークのひとつになることが確定していた。成長する過程で本人たちはすぐ忘れてしまうとしても、あの瞬間を俺は見たぞと思った。こういうことがランダムに起こるのでもっと見ないといけない。

20230808

日記177

鱗ビル

2023/08/07 昨日
スタバを出て酒を飲んで帰る。面白い夢を見たと思うのだが思い出せない。夢を見たすぐ後にはこれは使えるかもと思う。どうやって使うかというところまでそのときに決めていかないと結局忘れる。夏祭りの夢を見た。メインステージではSMAPのFreebirdを木村拓哉が歌っていたが、自分がたまたま近くに立っていたサブステージには新しい地図の草なぎと香取がいて、Freebirdを熱唱する木村を冷ややかな目で見ていた。しかも結局そのまま途中退出していった。香取ファンの友達のために写真を撮っておこうと思い立ち、uekaraスタイルで手を伸ばして写真を何枚か撮ったところ、運営の浴衣を着たマダムに「いかにもって感じのやつが非常識な撮影をするもんよね」と聞こえよがしの嫌味を言われた。意外とショックを受けて、自分も普段そういう形で嫌味を言うことがあるけれど今後はすこし控えようと思った。

2023/08/08 今日
在宅バイト。打ち合わせであまり心の準備をしないでも喋れるようになった。慣れでしかないとはいえ、慣れることができたのと、慣れによってできるようになったという経験を得られたのは良いことだ。ほぼザ行なしでスタバに出る。駅上のほうが満席だったのでクラシックのほうにくる。先に飯を済ませようともうやんカレーに行くと研修のためとか言って臨時閉店していて悔しかった。腹いせにナンステーションに行ってチーズナンを食べる。注文してから電子マネーはペイペイしか使えないっぽいことに気づく。悩んでもしょうがないのでとりあえずほうれん草チキンカレーとハニーチーズナンのハニー抜きを満喫した後、お会計に行く。次点クレジットカードも使えないということで万事休すかと思われたが、普段より小銭入れにコインが充実しており、全部を吐き出して1320円をギリギリ払うことができた。支払いが終わって小銭入れには残金7円。10円玉一枚足りなくても詰んでいた状況でピッタリ支払うことができたのは気持ちよかった。スタバに行って『V.』と『哲学者競馬場に行く』を読む。日記を書いて20時5分から仕事にかかる。

20230807

日記176

夕闇通りを探検中

2023/08/06 昨日
日野駅探訪。TCBの三人で3時間ほど日野駅周辺を散策する。雨雲ほどの厚さの雲が日光を隠してくれたおかげで覚悟していたほどの酷暑ではなかったが、充分へとへとになるぐらいには歩いた。
写真の階段を降りて道を渡った先に自動販売機があったのだけど、そこで購入した塩分がひとつまみ入った水を三人とも買ってすぐ飲み干した。有名なホラーゲームの聖地巡礼ということで怖い思いのひとつやふたつぐらいさせてもらえるのかと期待していたが、団地近くのエリアで様子のおかしいおじいさんとがじっとこちらを見てきたこと、どう考えても時代にそぐわない格好の男の子がコンビニで買い物をしていたことのふたつぐらいしか事件がなかった。夕焼け時間帯に川にいったが、中央線がどんどん通り、鉄橋を通るとき特有の電車音の反響が郷愁を誘った。
夜時間はもつ焼きセンターでいっぱい食べて数杯飲んでひとり3000円。最後は駅前通りの階段を上ったのと高架下通りをうろちょろしたのと。雨が降って不気味な雰囲気になりかけたけど明日朝早いという事情があったので粘らずにそのまま帰った。

2023/08/07 今日
在宅バイトの早出。あまり忙しくもなく、7時から働いたので15時半に上がれた。ちょうどよいので渋谷にスパイダーマンアクロスザスパイダーバースを見に行く。サンドリを聞きながら王将でチャーハンを食べていると牧野がチャーハンは王将が一番おいしいと言っていて、録音回を録音で聞いているんだけどタイムリーだなと思った。
ラージフォーマットではない普通の映画館で見るのは初めてだったが、渋谷で一番しょぼい映画館認定している渋谷HUMAXでも前の方の席で見れば十分な迫力があった。映画の超高いポテンシャルを引き出すためにもラージフォーマットは必須だとは思うが、ラージフォーマットじゃなかったら見に行かない方がいいということは一切なかった。やっぱりSMASVは飛び抜けて面白い。19時半頃に駅上のスタバに来て日記を書く。

20230806

日記175

生で踊ろう

2023/08/05 昨日
下北沢の盆踊り大会は入場規制がかかっていた。踊るスペースが狭いのに内側に出店を並べているのは良くない。下北音頭のヘビーローテーションのおかげでマスターでき、レパートリーがひとつ増えたのでそれは良かった。そのまま渋谷に移動して渋谷盆踊り大会に出る。人の数と踊ってる人の数の比率でいうと全国で断トツのワースト1ではないか。内側まで進み、踊り列がたった二列しかなかったのを見たときにはズッコケた。ビギンの演奏で東京音頭と炭坑節を踊れたのは良い体験だったが、最後踊らずに島人ぬ宝の演奏を皆で聞いて大会が終わったことにはまたズッコケた。ただ、踊り手のマダムがビギンの歌と演奏に感極まった様子で落涙していたのを見れてそれは良かった。
渋谷の行ったことなかったトリキに入って待合の時間をそれなりに待ったあとふたりで3200円分飲み食いして23:30頃電車に乗って帰宅。速攻でねむる。

2023/08/06 今日
9時前に起床し、午前中は家で仕事を進める。昼飯を済ませたあと『V.』を読む。15時すぎから日野への聖地巡礼について行くので『夕闇通り探検隊』の実況動画を1.75倍速で流し見して予習する。昼頃に強い通り雨が降ったのにもかかわらず、家を出たときの暑さは生半可ではなく、心が折れかける。途中三鷹の改札内サブウェイでメキシコタコス味のサンドウィッチを食べて日野駅に向かう。

20230805

日記174

あっという間

2023/08/04 昨日
『V.』を読んでスタバを出る。プロフェインの「アイムソーリー」な感じの人当たり(女当たり)が良すぎて、初読でもこのあたりから引き込まれていったような気がする。晩飯は王将で摂ろうと固く決めていたので王将に行く。名前を書いて待つのもちょっとのあいだでチューハイを飲みきらないうちに呼ばれた。天津飯セットで京風タレ、餃子は「両面よく焼き」にしてもらう。べつに美味しいとは思わないが、とくに王将の中では明確に低レベルだと思うが、値段が安くて満足感があるので、下北沢に向いているなとは思った。帰宅してもう少しだけ飲んでからねむる。

2023/08/05 今日
朝10時前からスタバ。本当に暑くてしょうがないのでLUUPで向かう。12時まで仕事をやってからもうやんカレーに行く。はじめて「大辛」に挑戦した。最初やばいと思ったけどちゃんと食べれた。今度からは日によって辛口と大辛を選んでいこう。そのままLUUPで帰宅。粗品の動画を見ながらおやつにアマゾンで注文していた0秒チキンラーメンを食べる。ばりばり食感が美味い。ちょっと休んでからシャワー浴びて、『V.』を読み、仕事をもう少しだけやって、日記を書く。このあとは地元の盆踊り大会にエントリーする予定。その後、渋谷盆踊りに行けたら行く。

20230804

日記173

商業グラフィティ

2023/08/03 昨日
スタバを出た後、酒を買わずにまっすぐ帰る道すがら、コンビニのなかに知った顔を見つけて思わず店内に入っていってしまう。しかし、声をかける勇気などは当然なく、つい5分前に今日はいらないと判断した氷結無糖350を手にレジに並んだ。実物は普通に格好いいから緊張してしまうんだよな。どんぐりたけし。井の頭公園で夏の早朝にいっしょにどんぐりを拾って以来だった。翌日が出勤日なので23時すぎにはねむる。

2023/08/04 今日
バイトの出社日。無意識で働いていて、17時ぐらいにふと気がついて「今日一日が終わる」ということにめちゃくちゃ笑えてしまった。いつもとは違う経路(新宿経由)で退勤。埼京線の渋谷ー新宿間で、あらためて東京に土地勘があるということを思った。初めて夜行バスで東京に来た頃はあんなに何もわからず電車に乗っていたのに。
駅上のスタバは満席だったので三連続になるクラシックのスタバにくる。途中飯を食べようと思ったが暑さで食べる気がせずに直でスタバに座る。昨日の続きが捗れば良いが……。
19時から21時までやって2時間分の進捗があった。言うことなしの金曜の夜。

20230803

日記172

忘却の彼方

2023/08/02 昨日
昨日のスタバはこれまでで一番つらかった。進まない、思いつかない。考えようとしてもお腹が空いて食べたいご飯のことばかり考えてしまう。Such an Animalケース。
この調子でやっていても進捗がないというお決まりの言い訳パターンで20時すぎにスタバを出る。酒を飲みながら徘徊した後、Kabutoというハンバーグ屋で4段ハンバーグを食べる。チーズもトッピングして美味しかったしお腹いっぱいになれた。ご飯が美味しくお腹いっぱいになれたら気分は晴れる。自分は根っから能天気だがこれ以上能天気にはなれない。
帰宅後最近ハマっているこたけ正義感の逆転裁判の実況プレイを見る。これは動物だとかそういうレベルじゃねえ。ポケスリのためにねむる。日付変わる前にベッドに入ったのがこの日にできた一番良いことだった。

2023/08/03 今日
30だけのザ行で在宅バイト終了。LUUPでスタバに向かう。しかし昨日の失敗を活かして今日は先に夕飯を済ませる。もうやんカレーのポークカレー美味しい。万全の体勢でクラシックのスタバ、時刻は18時55分。昨日の借りは今日返す。
膨らんだ初稿が整理されていない状況だったので、整理して場所を移す。そのときに軽く添削も済ませる。第二稿がちゃんと第二稿として第二稿の場所にあるだけでも気持ちがスッキリしてよかった。この一連の作業でボツを明確にボツにできたのも大きい。『V.』を読んでから22時前にスタバを出る。




20230802

日記171

非・渋谷系渋谷

2023/08/01 昨日
『君たちはどう生きるか』の二回目を見た後、下北沢で飲む。上京してから吉祥寺に引っ越すまでよく行っていたまいばすけっとが閉まるという報に接して電流が走った。よく行っていたサイゼも初めて通ったジムも閉まってしまったが、まいばすけっとが閉まるのは特別な感慨がある。感慨というか閉まるはずがないと勝手に思っていたものが実際には閉まると知って動揺したのだと思う。不滅です! と誰かが叫ぶようなとき、誰もそれを真に受けているわけではないけれど、やはりその叫びには聞くべきところがある。そんな叫びもないまま勝手に不滅だと思っていてあっさり無くなるということもごく普通にあって、結局人を驚かせるのだから、それを言うことによって裏切りになるという気遣いは無用だ。2016年のクリスマスにこのまいばすけっとでひとりシャンメリーを買って帰ったことは忘れない。その不毛な時代の思い出は不滅だ!

2023/08/02 今日
在宅バイト・ザ行なし。午前中に洗濯も済ませる。土をこぼしたり水をこぼしたりしながらもモンステラに水をやる。退勤後即LUUPを使ってスタバにくる。

20230801

日記170

下北沢モンキーパーク


2023/07/31 昨日
スタバを出たあと歩きながら飲む。このあいだちょっともらって食べた0秒チキンラーメンの味(食感)が忘れられずいくつかのコンビニに入って探すも見つけられず。
おとなしく帰ってねむる。

2023/08/01 今日
在宅バイト。途中無数のバケツで打ち水をしているような雨が降る。すぐ近所の避雷針に落雷もあった。
ほぼ定時に終わってシャワー使ってから映画を見に出かける。『君たちはどう生きるか』の2回目を見た。面白くないのを無理に面白いと思おうとするのはちがうけど、そして映画を見るにあたって面白さは何よりも大事だけど、面白いだけで良いのかと言われるとそうではないようだという気持ちになった。
美味しくないけど滋養がある(ような気がする)精進料理みたいなのに近い。前へ前へと、展開を把握したくて気持ちが焦る1回目よりは楽しめた。ただ、それにしてもポニョのときに起こったような魔法は起きなかった。音楽も主題歌もはじめて聴いたときよりひどいとは思わなかった。たぶん次見ることがあれば良く感じはじめるんだろうと思う。われわれの世代はいろいろなまとめ方があるけれど、ジブリの子というのがしっくりくる。それ以外のまとめ方でまとめられて、他の世代と対峙するのは嫌だ。スーファミ64プレステの子だったらまだ良いけど。

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