犬の木
2023/07/13 昨日
スタバに行った後、酒を飲まずにまっすぐ帰宅。家でもやし食。大粒納豆も2パック食べる。映像の世紀バタフライエフェクトを見る。JFKの回。最後の数カットを家族で過ごす幸せな場面にしているのは残酷さが引き立つ。
2023/07/14 今日
在宅バイト。打ち合わせの進行役をつとめる。良かったと思いますよというフィードバックがもらえて地味に嬉しかった。他にも締切のことや期限感のことを意識する習慣がついてきた。出勤するときも時間に遅れないように30、40分ぐらい早めに家を出るのが当然になっているし、そっちのほうが道中何も考えずにリラックスできるという効果もあることを知った。昔はもっと気合い入れていい加減な生活をしていたのに最近は完全にたるんでいる。
今日も明生は勝てず。相手は若元春。勝ってほしい力士がいる状態で大相撲を見ると必ずしもうまくいかないから悔しい思いをする。もっと力のぶつかり合いを見るとか、気合の入った立ち会いを期待するとか、サッカー観戦よりも一歩二歩三歩引いた見方が適しているのかもしれないと思ったりした。
ザ行ゼロで渋谷PARCOへ。野田地図の『THE BEE』を見る。これにはノックアウト寸前。俳優の演技力というのはリアルさというそれらしい響きのなかへ向かって漠然と進んでいるのではなく、他(見るもの)を圧倒する存在感のほうへ歩一歩あゆんでいくものなんだと感じた。俳優・野田秀樹を世に知らしめたという謳い文句があったが、まさにそうだ。演技に説得力があるとかそういう次元の話じゃない。ラストにむけての盛り上がりとその異常なエネルギーのしぼみ方が、ピークエンドの法則を無視しているのでやや一般ウケしづらいかもしれないが、そこに演劇人の職業倫理を感じる。話自体は単純で、自分などはよく妄想で、大事な人が通り魔にあったらどうするかというシチュエーションを思い浮かべて、その通り魔に復讐するということを考えたりするが、そういう妄想を浮かべたことのある人にとっては馴染みのあるテーマだと思う。ただ、この劇が秀逸なのは、主人公を大事な人が殺された殺人の被害者にすえるのではなく、今まさにそうなろうとしている立てこもり犯の被害者にすえるという設定の部分で、復讐するにしてもその成否がどうなるかというところに注目させるのではなく、復讐パートを被害に対してリアルタイムでゆっくり進めることで、互いにエスカレートしていく暴力が主題になっているところだ。マクロで見ると戦争の原理のようなものに肉薄していると思うし、個人のものの見方に留まると、暴力というかたちでの一個人のエネルギーの横溢というところに完全にピントが合っている。まともな部分(それは蜂への恐怖心というありきたりの普通さとして表れている)を克服して、次のステージに進む場面は、方向が暴力ではなければ個人の達成と捉えて何の不思議なこともないし、プレゼントの交換が失敗することで戦争状態に突入する経過には戦国大名同士の失敗した同盟交渉という感がある。大きい枠と小さい枠とを見る方の感覚で自在に行き来しつつ、どちらから見ても違和感がない。暴力がルーチンワークになっていく描写によって明確にエネルギーが落ち、物語の幕引きにも関わっているというのもよく出来ている。女の諦めに若干の違和感があるとはいえ、女はもっと抵抗するはずだというリアリズムはお門違いだろう。生命を脅かされるという事態に直面して勇気を奮い起こせないのはおかしいというのは、むしろ演劇的なリアリズムに考え方が汚染されていると考えていい。
「私は大切な人が不当に奪われる事件の被害者に向いていない」という野田秀樹の絶叫はこの演劇の原点にあたる台詞でもあって、これを突き詰めて考えるうちに加害を(それによって相手側から受ける復讐により被害を)エスカレートさせるところがいかにも過剰で、過剰な分だけ大いに「見もの」になっている。たとえば「演劇は心の襞に触れるものだ」という意見があるとして、それに対して「そうだ」と思う反面、「しゃらくさい」と思う一面が人にはある。この劇は、そのかすかな振動を見逃さず、ひっ捕まえて有無を言わせずに増幅させていくような暴力装置だと思う。それを鎮めるのは外部からの救済や死んだ良心の復活などではなく、ルーチンに堕した行動がいかにもつまらないもので、単純に見ていて退屈、飽き飽きさせられるという事実による。その経過はこうだ。破壊の欲動は興奮を巻き起こす、然り。その興奮は絶頂を迎える、然り。何度も同じ絶頂を迎える、然り。破壊できるものがあるかぎりいつまでも破壊できる、然り。破壊はそれ自体で面白いものである、否。
上のようなかたちで暴力や悪を突き詰めて実践することでその魅力とつまらなさを順番に描き出すことに成功した演劇だ。野田秀樹はまくしたてるような早口とアスリートと形容するしかない豊富な運動量で、この野心的な演劇を成立させるおそるべき役者だった。
このあと『君たちはどう生きるか』を見に行く。場所はTOHOシネマズ渋谷。新しいジブリ映画を映画館で見られる経験というのはこれで最後だと思うと特別な感慨がある。じつは『風立ちぬ』を見たときにも似たような感慨があったものだが、今回はそれにもう少し迫真性を加えた感じだ。あとは情報を制限する広告方針もあって、何が出てくるかわからずにわくわくするというのもある。このワクワク感も映画体験の一部だと考えると、もう充分に2000円(映画料金はまた値上がりした)のもとを取っている気になる。