誰かが何かのポスターを破った
2023/07/05 昨日
行き詰まった仕事をそれでも何とか続けるために違う場面に着手したのは良いが、そのシーンも冴えない。ペースを乱したときに復調する手段がない。元はと言えば、出来が良いと思うシーンを書けたことが不調の発端になっているので、出来が良いという感想を抱かずに淡々と進めていくようにするのがいい。帰り道の嬉しさを抑えるというテクニックが必要とされている。
帰宅後にChatGPTの特集番組の動画を見て寝る。AIは映像制作が苦手という話をきいて面白いと思っていたが、よくよく聞いてみると10年かそこらで解消する躓きにすぎないと言っていてズッコケた。数年ぐらいかも、とも言っていた。AIのことはイメージでしかわからないが、なんとなく映像制作が苦手というイメージがあって、その一致を面白く感じたのだが、時間軸方向の操作と、単純化しての把握が苦手という理由もいかにもそれらしいもので面白かった。
しかしケンドリック・ラマーのMVを見た今、これのかっこよさを超えることは不可能ではないのかという思いはある。文章を作れるからといって面白い小説を作れるということとはまったく別物だろうというのと同じ考え方だ。ただ受容する能力のほうがAIづいていくのではないかという危惧がないではない。そこまでシンプルではないはずだと思いつつも、心配するとしたらそっちではなくこっちだというのは的を外していない見立てだと思う。しかしごく大雑把に言って映像作家は強さを見せているがそれに比べると文章作家は強さを見せていない。簡単に見せられるものではないから難しいところなんだろう。
2023/07/06 今日
在宅バイト。昼休みから、前日からのChatGPT動画の余波で川上量生と立花孝志の対談動画を見る。途中途中で爆笑しながら見ていたが、全部を見終わって虚無感に近い感情が押し寄せた。タスク消化状況は良好。
一生懸命というのはそれ単体では必ずしも褒められたものとはかぎらないという単純な話だ。論誅してやろうという正義感にしてもそう。ダサいことをしているやつに向かってダサいということには意味がない。ダサいとわからせることが大事なんだと思う。やはりここでもケンドリック・ラマー。『Not Like Us』、MVのなかに若干”チーム友達”めいたシーンを見た。
ザ行(残業のこと)ゼロでスタバにくる。