20230617

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を見た

自分は映画の前情報はなければないほど良いと思っている。言い方をかえると、その映画が面白いかどうかという評判なんかも決して小さくないネタバレだと思う。

ではどうやって上映している映画が面白いかどうかを判断するのかというと、これはもう嗅覚によるしかない。面白い映画に引き当たる嗅覚だ。そして、嗅覚だけに頼って映画を見るというのは、ハズレで全然面白くないかもしれないというがっかりを引き受けることでもある。

面白い!という感動をもっとも身中に引き込めるのがこのやり方なのだ。面白い!に対して作者ができることは作者の領分の中にしかない。じっさいに作品からどれだけ感動を引き出せるかについては、じつは鑑賞者の領分によるところも大きい。大いなる期待を寄せてその映画を心待ちにして、体調もろもろを整えて、一番良い映画館設備(IMAXレーザー)のできるだけ良い席を確保して見るということはある特別な体験を得ようとするときに必要となるセットだ。

これは原理的な話だが、本来、人は心を動かすために映画を見るはずだ。その映画を見ることが、自分のこの心を動かすという作用を及ぼすと考えて、映画館に行ったり、再生ボタンを押したり、アプリを起動するという行動に出ているはずだ。

この「どれだけ心を動かされるか」という問題について、たとえばジェットコースターに乗るということを考えてみても良い。ただ座っているだけでも、相応の高さにまで物理的に押し上げられたうえ一気に急降下させられることによって、身体的な危機感に根ざした動揺が引き起こされ、心を動かす仕組みになっている。

ジェットコースターに乗るときに起こっていることを客観的に考えてみれば、ただそれだけのことだ。ただし、実際にはそこに具体的な個々の経験が乗っかってくる。久しぶりの遊園地なのかもしれないし、はじめてのデートで行くのかもしれない、人生で最初に乗るジェットコースターということだって考えられる。夏なのか、寒い冬なのかでも条件は変わってくる。盛り上がろうとする気持ちが先走り、楽しむことがプレッシャーとなってどこか空回りしてしまうようなこともあるかもしれない。そういうときにはジェットコースターに乗って、どこかホッとするような感情が湧くことも考えられる。スリルによってなかば強制的に心が動かされたことでノルマを達成でき、あとの遊園地をリラックスして周遊できるという場合などだ。

ジェットコースターがやっていることは単純なことだ。しかし、そこから何を引き出せるのかということを抜きにして、ジェットコースターを語ることはできない。そういう意味で、ジェットコースターにはネタバレは存在しない。あの構造物を見たままの体験を与えてくれる。

これとほとんど同じことが『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を見るときに起こっている。これは重要なネタバレではないが、しかし、この作品はジェットコースターに似た体験をもたらしてくれるとはいえジェットコースターではなく映画だから、これだけの指摘であってもやはりこの映画にとってはネタバレにあたる。

せっかくなのでネタバレだけではなく注意点を挙げると、今作は純度の高い続編として制作されているので、先に『スパイダーマン:スパイダーバース』を見ておくことは必須となる。

(あとは字幕版で見るのが良いと思う。自分は基本的にアニメは吹き替えで問題ない派というか、トイ・ストーリーなどは吹き替えのほうを選びたいと思っているが、本作はNY文化(的なもの)との結びつきが強い、いってみればローカルな映画なので、登場人物が日本語で話すことに違和感が出ると思う。あとは日本語の歌があまりいけていない(MVで本編映像が使われていてそのダサさにテンションが下がってしまった)ことも大きい。)


ネタバレを続けると、テイストが若干だけ変わった。音楽がお茶目さを通してかっこよさに結びついたクールさが前作『スパイダーマン:スパイダーバース』だとすれば、音楽が直でかっこよさと切なさに結びついたクールさが今作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』だといえる。また前作との比較でいうと、カメラはスパイダーマン(マイルス・モラレスと、)に少しだけ近寄り、ぐいっとズームインした印象だ。

あとはモチーフがどれもこれも素晴らしいと思う。端的に好みに合う。

場面ごとの色調、ひっくり返ったビルの稜線、雨降りの夜、投げられたベーグル、そして……、

そして、モチーフがビジュアル表現とがっちり結びついている。その結びつき方にそれまでにない新味を感じるのだが、それは新しいのと同時にそれしかないという収まりの良さも感じさせる。オマージュだったり、カメオだったり、そういうものを見せられると脳神経がスパークして反応させられるということがあるようだが、そして今回はそういった効果を惜しみなく使っているのだが、そこにちょっとした遊び以上の意味を付与しても詮無いことだろうし、基本的には目眩まし的な効用を狙っているはずなので意識の流れをそこで止めないほうが良いと思う。まあそんなことを注意しないでも、演出のほうで流れるように調整しているとは思うが。


『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を一言であらわせば、ジェットコースタームービーということになる。最初に見た(乗った)ときの感動にフォーカスしているのは間違いないはずだ。情報の奔流を文字通りに全身で浴びる体験は、その整理に追いつかないときにかえって受け取れる享楽が最大化する。それでも振り落とされないのは、マイルス・モラレスの動き(フィジカル・メンタル・エモ)すべてに付いていけるように物語が構成されているからだ。

ただ、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を単純な物語だと言うのには無理がある。台詞の有機的なつながり(それが独白だったのか誰に向けて放たれた言葉だったのかによっても意味合いは変わる)が、地上絵のように大きな模様を成しているという仕掛け、

デタラメに街をスイングしているように見えて(カメラはそのアクションにひたりついて追いかけるから当然なのだが)、どこかに向かっているというような意図の隠し方、張り巡らし方を見るにつけ、レイヤーは少なくとも主要登場人物の数だけあると感じさせる。マイルス・モラレスの物語という主軸はブレないが、それ一本で見るという単純なものの見方に留まらないかぎり、この物語を単純とはみなせない。しかし、それ一本で見ても充分な見ごたえがあるというところにこの作品の稀少さがある。糸一本にもう一本付け足すだけで、複雑さは奇妙なほどに膨れ上がる。沿わせるのか、横切らせるのか(その場合どの角度で?)、それが問題になるからだ。

とにかく心動かされ心打たれての2時間半だったが、どれかひとつを挙げるなら、夜のNYに降る雨にもっとも心打たれたかもしれない。単純だが力強い線に。




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