20230615

日記133

 

左高井戸、右代田橋


2023/06/14 昨日

肝心の小説を一文字も書けないで、どんな小説を書きたいのかということをくだくだと書き立てた。そんなことをしているうちに時間になったので電車に乗って帰宅。途中酒を飲んで、無人販売所のちいさな花束を買って帰る。

作品に高下はない、あるいは、どの作品にも見るべきところは必ずあるのでそれを見ないでどうでもいい作品扱いするのは結局自分自身にとっての損失になるという話がある。あまねくすべての作品に触れてもまだ時間が余るというのであれば自分も大いに賛成したいスタンスだ。時間が限られていると考える派にとっては、作品についての自分なりの高下を示すのは便宜になる。ネットワークにFIFO(ファーストイン・ファーストアウト)という仕組みがある。はじめにきたデータをはじめに出すという単純なやり方で、わかりやすさという点で優れている。しかし、データにも重要なものとそうでもないものがあるというようにそれぞれ重み付けが異なる。また、一回でやり取りできるデータ量にも制限があるとする場合、FIFOは良い仕組みだとは言えない。そこで優先度に応じてデータをやり取りさせるべつの仕組みが重要になってくる。優先度を自動でつけるようにしておく(社会に任せる・ネットワークサービスが提供する優先度にしたがう)というのもひとつのやり方だろうが、自分にとってそこまで重要ではないものは除き、優先度付けの判断は自分でできるようにしておくべきだ。そして、自分にとってそこまで重要でないものでそれなりに時間をとるものを人に薦めるのは控えるべきだ。


2023/06/15 今日

在宅仕事。どの職場でも、数は多くはないものの喋りやすいと感じる人は一定数いる。自分が喋りやすいと感じるとそのモードに入って喋れるようになるので、大体いつも話せば話すほど好転していく。自分にとってどういう人が喋りやすいかというとわかりやすい共通点があって、隙があってあまり器用じゃないというタイプだ。彼らを見ていると同類だなと思うから、こちらも胸襟を開いて喋れるようになる。自分は隙だらけだがそれをどうにか隠そうとするので、その過程でむっつり黙り込むということをしてしまっている。向こうが喋りやすいと思ってくれるような開き方ができればいいと思う。

しかしどう見ても器用なタイプに見えないだろうから、それで喋りやすくならないならそいつのせいだろと思うぐらいだが、隠そうとしたり気まずくなって逃げたりするからぎりぎりのところでそうならないんだろう。隙は見えているだろうから一番損というか良くないポジションでやっている感じだ。ただ、今日は一番喋りやすい人と打ち解けた感じの打ち合わせで仕事なのに楽しいぐらいだった。

定時後、雨だったので図書館に行くのは断念したが、スタバには行こうと思って出かける。こういうベストを放棄しつつベターな判断ができるのが自分の良いところだ。もし家にいたら、ただただだらけて一日が終わるというのは充分理解している。そういう一日を多く経てきた、いわば年の功があるのだと思う。


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