across the universe
2023/06/17 一昨日
昼過ぎまで前日に見た映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のことを考えたりする。
それから外出して町屋まで行く。一度も降りたことのない駅だったのでフルコンプリートに一歩近づく。到着して駅周りを軽く一周したあとセカンドストリートで古着を見る。下北沢からわざわざ出かけて古着屋に行くというのは一見おろかな行為のようだが、じつは得るところが大きい。それというのも下北の古着屋ばかりに行っていると、価格帯があがっていることに気づかなくなっていくからだ。古着というのはとくに下北沢・高円寺あたりでおしゃれ市民権を得た呼称だが、要するに中古服のことだ。定価の半額以下でないと本来おかしい。たとえば古本のことを考えるともっと安くなっていても良いはずのものだ。在庫のこととか諸々あるのだろうがごく単純に考えてワゴンの中に100円で置いていてもおかしくないはずのものだ。
町屋のセカンドストリートは品揃えはそれほど、価格も安いわけではないという結果だった。23区内で駅前だし、まあそんなものだ。
そのあと歩いて北千住まで行く。暑い中歩くのは大変だったが、途中無駄に荒川を横切ったり、河川敷で野球やサッカーに興じる子どもたちをちょっと眺めたりした。そして歩き疲れたり日焼けしたり喉を乾かしたりした。
駅前の芸術センターの角でテラス席のある居酒屋に入って飲んだビールがうまかった。
下北沢まで戻ってから少しだけ外で飲んで、バーに入って一杯だけもらって23時半ごろに帰る。オーナーだか店長だかが5月末で辞めたらしく、複数のカクテルメニューの作り方が散逸したとの話。
2023/06/18 昨日
日のあるうちは一日家にいた。お昼には茄子の煮浸しという美味しいご飯をいただく。
スパイダーマンの映画まとめを動画で流したあと、『スパイダーマン:スパイダーバース』を視聴してもらう。下北のバーキンででっかいハンバーガーを食べてからIMAXレーザー20:40の回を見に行く。アメリカ人が食べるようなでっかいハンバーガーはアホな食べ物代表としてかなり好きだ。何にせよそうなんだと最近になってまた気づいたのだが、自分は何かしらの「過剰」があるとすぐ反応して嬉しくなる。量が多いというのもそうだ。そこに質が載ってくると手もなくなびいてしまう。片方でもすごいと思うものが両方あるというのが嬉しいのだ。
IMAXレーザーで見たが少し後ろの席だったこと、何より二度目の鑑賞だったことで、一回目ほどの感動は得られなかった。予期していたとはいえやはり切ない。自分としては何回見ても面白い映画こそ面白い映画だという基準を持っており、その基準には沿わなかった。これはわりと普遍的な基準でもあると思う。しかし、最初の一撃にすべてを賭けるような映画体験を作るという、この基準に反したやり方もあり得ると知った。3部作のなかの2作目というもっとも宙ぶらりんなところに思い切って「一撃」を持ってくるのは、かなりクールな判断なのではないかと思う。第二幕の幕引きが良すぎて心配になる。第三幕が楽しみな反面、これは越えられないのではないかという心配がある。あとは個々の想像に委ねる式に投げてしまってこれで完結でも正直いいぐらいだ。
マイルスがなぜスパイダーマンのなかでも特別なのかについて、説明の仕様はある。
まず、同じような能力を持ったスパイダーマンたちからマイルスモラレスが逃げ切れるのはおかしいという指摘について、これはスパイダーマンというヒーローのイメージに関わることでもあるのだが、単純にスパイダーマンというヒーローは追いかけるよりも抜け出したり逃げ出す方が得意なヒーローだから、どのスパイダーマンがその他大勢のスパイダーマンから逃げ出してもそれなりに逃げ延びられると想定できる。18人全員一流のピッチャーで野球の試合を組めば滅多に起こらないとされる完全試合が起きる確率が高くなるようなものだ。さらにマイルスの特殊能力が逃げること・隠れることに特化したものであることも大きい。
あとは、マイルスにはフォロワーがたくさんいる。これはマイルスに追っかけ(フォロワー)を獲得できる条件が揃っていたということもある。マイルスがホームに帰るためにとった作戦は、ミゲル・オハラの指令に対して”すべての”スパイダーマンが忠実にマイルスを追いかけないかぎりは達成しづらいものだった。これをミゲルの統制力の高さで説明してもいいが、マイルスを追いかけたいという気持ちがスパイダーマンたちから湧き立ってこないと難しいのではないかと思われる。ホービーとまではいかないでも、スパイダーマンは他のヒーロに比べてそれなりに奔放であることが予想されるから、一律に繰り出される号令に対して全員で参加するというのは考えづらい。そうだとするなら、マイルスを追いかけたいという内発的な願望を他のスパイダーマンたちが抱いていたのだということが考えられる。その理由は、それこそひとつということはできないだろうが、基準(カノン)を破ろうとする在りし日の自分自身の影を追いかけたいという止むに止まれぬ願望も含まれていたのではないだろうか。あるいは、もし自分がマイルスと同じ立場だったらどうするかということを考えたくて、わけもわからないまま追いかけているということもあるかもしれない。単純に親切心からマイルスを止めなければならないとの義務感に駆られているのかもしれない。どのような理由があるにしても、彼らすべてにマイルスと関わりたいという気持ちがなければ追いかけっこは成立しない。能力的にも、理想的な考え方としても、ヒーローである彼ら自身がそうできたらいいなと内心で思うような場所へ抜け出そうとしているマイルスをフォローしたいという想いを表しているのがあのチェイスシーンだったと考えられる。われわれが全力で追いかけて、それでも捕まえられないとするなら、それは逃げ出しているそいつが特別な存在であるということを意味する。だからチェイスそのものがスパイダーマンたちによる百人組手の試験を兼ねていて、マイルスは試験に合格したということがいえる。
なぜ合格するのかといえば、その舞台がマイルスモラレスを主人公とする映画であるということが理由になる。たまたま主人公だったから、彼がもっとも影響力を持つスパイダーマンであるという説明は納得しづらいものかもしれない。しかし、そこに説得力を持たせる唯一の方法がある。それは主人公にかっこよさという性質を付与することである。そして、スパイダーマンをはじめ、ヒーローにはその強さとかっこよさとに相関がある。これはほとんど因果関係といっても良いものだ。
強いヒーローはかっこいいという因果があるとすれば、それをひっくり返して立っているのがスパイダーマンというヒーローだ。つまり、かっこいいヒーローはだから強いという因果関係になっているのだ。かっこいいスパイダーマンは強いという相関が成り立つのが、スパイダーマンというヒーローの特徴なのである。多くのスパイダーマンがNYをホームにして活躍しているのも、この相関に影響を受けてのことだ。文化的にもっとも栄えている都市にいるほうがかっこいいという性質のためには有利だからだ。
『スパイダーマン:スパイダーバース』が何をしようとしていたかというと、マルチバースの物語を構築するということではない。この映画が最近よくあるマルチバースものという枠に収まらないのは、マルチバースが手段であって目的ではないからだ。マルチバースの映画を作るためにスパイダーマンをモチーフにしてみましたという領域には最初からいないのだ。
マイルスモラレスというもっともかっこいいスパイダーマンを生み出すことで、「スパイダーマンといえばピーター・パーカー、ピーター・パーカーといえばスパイダーマン」というお約束を打ち破ろうとしている。すべてのスパイダーマンを登場させ、そのうえでもっとも【かっこいい=強い】スパイダーマンをマイルスモラレスにするという目的のためにマルチバースが存在している。マイルスが追いかけっこで他のスパイダーマンに遅れをとることはありえない。それはマイルスがもっともかっこいいスパイダーマンを決める競争で絶対に負けないからだ。マルチバース展開は、この映画がすべてのスパイダーマン映画の頂点に立とうとして企図されたものだ。かつてのスパイダーマンをめぐる利権闘争は、いつの間にかどのスパイダーマンがもっともかっこいいかという人気投票に取って代わった。いろいろなスパイダーマンが並列に存在して良いということになれば、もっとも重要になるのはどのスパイダーマンにいて欲しいかという願望ということになる。
マイルスモラレスが代表する人物像にはかっこいいということに対する闘争の歴史がある。レースがあるということはそこでの闘争においてもっともはっきり明確に意識される。今日、「だれがもっともかっこいいか」という人気投票以上に苛烈な投票はない。そこに向けて全力疾走している映画が面白くないわけがない。とりあえず人気ヒーローをたくさん登場させて、単純接触効果よろしくファンの数を増やそうというせこい作戦しか思いつけない映画とは比べるべくもないのだ。
サッカーではそれなりに広いフィールドでプレーが行われるが、ゴールがどこにあるかはピッチのどこに立ってもはっきりわかる。点取り屋たるストライカーは基本的にゴールの近くにいればいい。しかし、ゴールがどこにあるかわからないほど広いフィールドでプレーする試合では、サッカー以上にゴールへの嗅覚を必要とする。まずそこに進んでいけるかどうかというのがそのままストライカーの能力になる。スピードの速さも能力だが、このゲームにおいてはゴールへ向かう方向感覚ほど重要な能力はない。マイルスがとくに優れているのはこの力であって、それに比べれば電撃が出せるとか、透明になれるというのは賑やかしのアビリティにすぎない。そしてマイルスの力はマイルスだけから出てきたものではない。周囲から与えられたものである。その作用が何よりも強力であるとすれば、それはそのまま、その反作用の強力さを意味する。必要なときに必要な場所にいること、それがストライカーの天分のほとんどすべてであると言ってもいい。これはサッカーにおいてもそうだ。それよりもはるかに広い、宇宙を越えた広さを持つ領域でプレーされるゲームにおいては尚更そうであるだろう。無限の力を利用したビームを打ち出すなどは児戯にも等しい。ただまあ、そういう技には強さに裏付けられるかっこよさがあるから児戯に等しいとはいえ侮れなかったりするのだが。
2023/06/19 今日
在宅バイト。月曜日の憂鬱のせいでタスクもそれなりにあったのだがあまり捗らず。午後になっても月曜日の憂鬱とか言っている場合ではなかった。明日しっかりするという意志をこめて定時に即終了し、図書館にくる。
書こうとしている小説については一切言わないようにすることが大事だと思った。話すとその段階でいささか成仏してしまう魂があるような気がする。まあ気がするというだけだが、書いている途中でそれに言及すると続きがうまく書けなくなるジンクスもあるという気がするし、小説のことをこの日記に書く場合も、たんに仕事した。とか〇〇時間仕事。とか書くのがいい。お金稼ぎの仕事のことはこれからはバイトと呼ぶことにする。日記書いているうちにスパイダーマンのことを書き始めてしまい時間がとられ、ろくに「仕事」できなかった。小一時間仕事して帰る。