「自分に接近しろ。そうしないとだんだん遠ざかっていくぞ(大意)」
という一文がたしかピンチョンにあってメモしたはずなのだが、そのメモがどこかにいってしまった。うろ覚えだが、たしかこんな感じの文章だった。
【どうあれ自分自身の幻覚に固執しろ、そうしないとお前はだんだん他人(アザーズ)のほうへとズレていくことになる】
ちょっとニュアンスが違うのかもしれないが、大雑把には大体同じようなことだと思っている。この「自分に接近しろ」というのが今の気分で、すこしずつ墓碑銘のようになってきている。
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昔の恋愛について、なぜあんなことをしたのかと急に恥ずかしくなる(自分にはやや珍しい)体験があった。当時年下の女の人と仲良くなり、その人のことが好きになったので告白をしたというだけの話なのだが、自分の属性と年齢、相手の属性と年齢とを並べて考えて、なぜそんなことをしたのかと急に恥ずかしくなるという出来事だった。
当時の自分がそういう周縁的な要素について考えなかったかというと決してそんなことはなく、そういった条件を越えて仲良くなれると信じていて、部分的にはそうなれたと感じていたからこそ、行動に踏み切ったというわけで、そういう種々の事情というか機微の面が、時間の流れによってごっそり抜け落ちてしまった結果、ガワとなる社会的属性と年齢だけがぽつんと残り、それをもって「何をしてるんだ自分」という強烈なフラッシュバックが襲ってきたのであった。
しかしそれは偽のフラッシュバックとでも言うべきもので、当時の自分が感じていたものとは全然別様のものだ。それにもかかわらず、一瞬でもそれにたじろぐとは、あきらかに過去の自分に対して失礼な態度だった。当時、私は他人が外から見てどう考えようが関係ないねという強い姿勢を崩さなかったから、彼からみた未来の自分がこんな弱いことを思って、それに反駁するでもなくしっかり動揺し自分を批判的にとらえるということがあっても、まったくしょうがないやつだ、未来の自分ながら情けないと吐き捨てて終わりだという気がする。このことひとつとっても、自分は恋をしていると強くなり、もしかするとやや強くなりすぎるのかもしれない。
当時の自分には結局フラれることになるという考えなど微塵もなかった、というのでは勿論ない。フラれるかもしれないと考えつつ、それでもジャンプしてみようと思いきったのだから、やはり強かったのだ。ただ成功する確率は低いという認識は今も当時も変わらずあったはずで、それでもしいて決行したわけだ。このとき結果を度外視できていたのだとすれば、やはり強すぎたということになるだろうか。しかし、君、弱いことを言ってはいけない。はい。強かったとか、強すぎたとか、当時についての感想を言っている場合ではないだろう。はい。もっと自分に接近しろ。
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当時の自分にむかって、それでもやっぱり冷静に考えたら恥ずかしいよな、というようなことを私は言うことができる。しかし、もし送話器を渡されたとしてもそんなことは言わないだろう。だからやっぱり強い、という話ではなく、当時の自分にも恥ずかしさはあったということを知っているということだ。年齢と属性ということで誤魔化しているが、恋をすることそのものに結構な恥ずかしさがあるというのが自分にとっての常識で、それを共有しているからだ。
そして、この根源的な恥ずかしさをわざわざ持ち出したのは、もう一方の具体的な恥ずかしさを、普遍的・根源的な恥ずかしさで隠したいという意図があってのことだから、やはり強いという話ではない。しかし、だからといってこうやって俎上に載せる以上、弱いという話でもない。これは強いとか弱いとかではなく、たんに自分に接近しようとした結果だ。