20230531

日記120

 

お仕着せ

昨日

スタバを出て鳥貴族に向かう。作業がブツリと途切れてしまうかたちになったが、これ以上頑張ったとて、どうせもうちょっとやれたのにという感覚ほどはやれないし、もうちょっとやれたのにという感覚で後ろ髪引かれつつの中断になることで自分のなかにある意欲を感じ取れる縁(よすが)にもなり結果オーライというわけだった。鳥貴族のサク飲みはお肉とキャベツを腹いっぱい食べて大ジョッキ飲んでひとり1200円ちょっとという素敵なクオリティになる。総じて満足度が高い夜だった。気候的にも充分でここのところずっと調子いい夜が続いている。寝不足になるということもないし言うことない。


今日

郵便局と鉄道駅が合体した場所で窓口職員と会話する夢を見る。お役所対応をされるなか、ちょっとでも和ませて自分の利益を確保しようと必死になって喋っていたような記憶がある。その場所にたどり着くのにも相応の苦労があって、やっとの思いというのもあるから頑張ったんだと思う。夢の自分ながらえらかった。

月曜火曜と頑張ったおかげで久しぶりに定時に上がれる。月末処理を抜かりなく行った上で定時なので優秀と言わざるを得ない。映画を見に行こうと一瞬考えるも、今は書くときと思い止めておいた。現実の自分も夢の自分に負けず劣らずえらいものだ。

小説のモチーフにするべきものがひとつ見つかる。今書いている小説は書いていて楽しいというかいつまでも書いていられるようなものだから、これを滑走路として今日思いついたほうを書き上げるべきだという気がする。死者というかピリオドを打たれた存在というのはモチベーションを与えてくれる。"human being."

だけど生き死にに関わる何事かを書きたいわけではない。あくまでも彼が生きている姿を見つめたい。

それにしても、インプットを絞っている効果がどんどん出始めている気がする。仕事をして集中するとき以外の時間にふと昔のことを思い出すことが目に見えて多くなってきた。見た夢のことや、いつかの出来事というのが財産だとすれば、それについて思い出すことがコレクションルームでのひとときだということになるが、コレクションルームを訪ねる機会が増えているのでこれは確実に良いことだ。ラジオやテレビなどから聞こえてくる誰かの気の利いた言葉を遠ざけた結果なんだと思う。誰かに面白いことを言わせておく場合じゃないということだが、これまでの自分にはありえなかった考え方だ。最近、笑う必要が減っているからだろうか。今でもわりとそうだが、昔はもっとなりふりかまっていられないほど、笑う必要があった。

彼のWikipediaを見てみると予想していたよりもはるかに面白かったし、ある一貫したものを感じた。それに共鳴することは全然難しくない。あとは現実から引き剥がして私の小説の登場人物に変えてしまうだけだ。

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