20230425

日記97

 

「私、ここで夢を見ていました。」
やっぱタモリかっこいい

昨日

スタバからの帰りに酒を飲もうとすると、唇が荒れていたせいでアルコールがしみた。缶の飲み口から飲むのが苦痛だったので二本目を買ったスーパーではストローをもらう。

話には聞いていたスタイルをはじめてやってみたがアルコール摂取感があって気分が上がった。

帰ってから料理されたポトフをいただく。横着して猫まんまのスタイルにしたのを咎められる。作った手間を無にするとは言わないまでも無下にするような食べ方で怒るとしてももっともだと思うから申し訳なかった。

食文化から見た野蛮人ではないか。あらゆる文化からみて幼稚園児ではあっても野蛮人ではないようにしたい。

男は寂しくなることがあるという話をちょっとする。自分は寂しくならないほうだと思う。よく孤独耐性があるというような言葉遣いを耳にするし、とくに考えもなしに自分も耐性があることにしてきたが、考えてみるとそういう話でもなさそうだ。寂しいということがわからないという感覚に近い。たとえば仮定の話として家族がいなかったとしたらだとか恋人がいなかったとしたら友人がいなかったとしたらということを想像してみようとするが、それもうまくいかない。いないとしたら寂しいかもしれないが、でも実際にはいるわけで、良かった有り難いという考えがぴったり付いてくる。想像力がないというのが近いのかもしれない。実際の今ここ、この自分というものから離れることが難しいとも言えそうだ。

安易な想像を働かせて同情心を起こすのが失礼だという気がする。自分は人に同情心を起こしやすいほうなのでそのことで失礼にならないよう気を張っているところがある。

あと、自分にはかなり恵まれた幼年時代があって、その財産が今も太陽ほどの強さで自分のつま先から頭頂までを照らしつけているのだと思う。自分はここにいて安心なんだ、ここには楽しいことがたくさんあるという感覚は、思い出せるかぎりずっと、いや、思い出せないほど先までずっと続いている。それもあって、心配の解消というかたちでの喜びとは自分は無縁だという気がする。

それでも、爆発するほどの喜びというのはとんでもない不幸からそれが一気に逆転するようにしてもたらされるという考え方には説得力と魅力を感じてきた。山の高さを限界まで感じようと思うなら深海から出発するのが理にかなっているというのは単純な算数として理解しやすい。

でもそういうことではないのかもしれないとだんだん思うようになったし、海の底ちかくにいる人にはそれで限界があるということも見えるようになってきた。つまり一個めに見つけた山頂に固執して、一度それを降りてべつのもっと高い山頂を目指すことができないということだ。あるいはもうすこし残酷な言い方をすると山腹を山頂と勘違いするということだ。傍目にはその罠にかかっていることが明らかだったとしても指摘しようとは思えないというのも厳しいところだ。

よく知っている人がいるというのも自分が寂しくない理由だと思う。よく知っている人というのは家族や友人というのではなく、書かれたものによって知るようになったその書かれたものを書いた本人のことだ。これは自分がそれを読むことでしか立ち上がってこないという点で半分自分であるし、自分の外からもたらされるという点でまぎれもなく自分以外の他人でもある。その両方が同時に実現されているせいでかなり強いつながりがある。たとえば、自分のように「この自分の存在感が強い」感じ方をするタイプの人間には半分自分ということの強みもそのままダイレクトに響いてくる、というように。しかも、それのおかげで自分が強くなっていく面もあるから、ますます寂しくなくなっていくんだと思う。

その代償なのかわからないが、この方法を取るとドーピングに近いようなかたちで劇的に自分というものの輪郭が広がり、自分というものの奥行きが深まるので、それをすべて失うと考えたときの苦しみが増えていくようだ。


今日

在宅仕事。18時半まで残業してスタバに行く。エクセルを使いこなせればもっと早く終る作業を長々やっているというのがわかるからつらい。識者であれば一瞬で終わらせられる仕事を識者でないばかりに時間を多く費やさなければならないとすれば、やるべきことは地道な努力などではなく識者になることだ。

作業しながらラジオを聴いてしまう。なんといってもそれがラクだから。一応の終わりには確実に近づくし、手を動かしながら何も考えないでもいいし、耳に入ってくる話は面白いし。

ラクだけど認知資源を確実に食うので今は動画視聴を禁じているのだけど、週に一度のサンデーナイトドリーマーだけは聴くのを許すことにした。なし崩し的にダイアンの東京スタイルを再生しそうになったが、かろうじて10分間だけの再生で踏みとどまった。

今はもう全然やめられていない。イヤホンをして面白い人の面白い話を聞くことはやめられない。有吉、粗品、ダイアン、三四郎、ランジャタイ、金属バット、マヂカルラブリー、…あたりは何も考えずに再生してしまう。

スタバについてからは『個人的な体験』を読む。

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