昨日
スタバから出て酒を飲みながら帰ろうとして歩いていると、近くにタリーズがオープンすることを知る。近所にタリーズとかそんなんなんぼあってもいいですからねということでテンションが上がる。
何度か足を運んだが、やっぱりスタバのほうが随分居心地よいのでもう全然使っていない。二時間制とレシートに書いてあるのもセコくて嫌な感じだった。あと東京・神奈川のタリーズは関西に比べて店の雰囲気が結構落ちる。関西のドトール相当だ。最近行っている虎ノ門のタリーズは良いタリーズなので店舗による差が大きいということかもしれない。しかしよくないとどうしてもそのイメージが目立つ。
今日
在宅仕事。今日は比較的ゆっくりできる回でちょうどよかった。勤務終了即出かけて中華料理屋でラーメンとチャーハンと餃子を食べる。その後古本屋で『個人的な体験』を見つけて220円で購入。スタバで『同時代ゲーム』を読む。忿怒と絶望の三十女が登場し、とうとう物語に引き込まれていくのを感じた。注意力が高まるのはやはりこういう強烈な印象を与える出来事なり事件があってからということがわかった。もともとわかっていたことではあるけど、こうもはっきり表に出るとは思っていなかった。
『同時代ゲーム』は覚えていないまではいかないがあまり印象にない。もうすぐ忘れてしまいそうな気がする。
ところで、新しい小説を書こうとしているのだけど全然始まらない。骨格部分が出来上がるまで相応の時間がかかるものだというのは理解しているつもりだけど、白紙状態からどういうふうに浮かび上がるものなのか見当がつかない。前はするっと書き始めたような気がするけどちゃんと覚えていない。登場人物が極端に少ない書簡体だったのでプロットというようなものもなかったのでそういうスタートが切れたんだと思う。今回はあらかじめプロットを考えるというのはやってみてもいいけど、前回以上にスモールスタートを意識したほうが良いのかもしれない。
結局書けないまま一年経っている。「構想を練る」というのをもっと真剣にすすめよう。
ただ、本当に書こうとするならその期間は小説を読むのを止めないといけない。ラジオも聞かない方がいいだろうし、テレビをつけたり動画を見るのも止めたほうがいい。音楽はショパンだけ聴いてYoutubeはサッカーだけ見るというふうに決めて一日一日を消化していくうちに、たぶん浮かび上がってくるはず。酒は飲んでもいいが、酒を飲んでお笑いを見たり歌を聴いたりするのはだめ。一旦書くと決めたらそうやって外堀から埋めていかないと全然始まってもいかない。今はとにかく大江健三郎を読まないといけない気になっているから『同時代ゲーム』『個人的な体験』『死者の奢り・飼育』の三冊だけは読み終えることにしてそれまでは猶予期間と考えよう。
結局『戦争と平和』を読み始めている。読まないでいられない小説がまだある。
自分が小説を書くためにはどうすればいいのかというのを考えることから小説を書くことは始まっている。昔、音楽を作ったときも音楽を聴くのを止める期間を設けるところからはじめて、かたちにするところまではいけた。坂本龍一はいくつか良いことを言っているけど、制作するときにはインプットを止めて意図的に飢餓状態を作り出すということを言っていて、そのやり方は合っていると思う。
読むべきものを読まないで小説を書くということができるわけないというのは譲れない意見なので読むべきものが出現した以上は黙ってそれを読み終わるしかない。だが読みながらでも構想は練れるはずだ。