20230417

日記91

通り雨のあと

昨日
東京に遊びに来た友人を伴って下北沢をぷらぷらする。東北沢から世田谷代田までのコースを歩く途中、遊歩道の花壇の花蜜を吸うため人の流れの合間を飛ぶアゲハ蝶が目に留まる。一旦家で休んでからカレー屋に行き食事する。階段に座って道行く人をぼーっと眺めてから解散する。翌朝早出の仕事にそなえて9時過ぎに寝る。
東京の活気ある若者を見て「何も楽しくない、疲れる」と言っていたのが印象的だった。自分との比較をしてしまうのだという。わかっているけどやめられないことってあるけど、それはやめないと都市生活においては破滅だろうと思った。慣れというのもあるけど、外にある活気に対してはもっと積極的な意味合いを付与するほうが良い。

今日
6時前に家を出て出社する。7時からの勤務は面倒なようでいて業務終わりの時間が15時半になるのでアフターを充実させられて良い。はじめてシアター・イメージフォーラムに行き、『郊外の鳥たち』を見る。独特の文法を使っている映像という感じがして興味深い。ただ、慣れないリズムということもあって見ているうちに疲れてしまい、ところどころ眠ってしまう。そうすると、もともとわかりにくい前後の接続がよりわからなくなり、物語の筋を追えずなんとなくで見る羽目になった。ただなんとなくでも面白いもので、3分の2を過ぎたあたりからは短い居眠りによって体力も回復したこともあって集中して見れた。ことさら幻想的な映像ではないけれど幻想的なように感じられるのはシーンのつなぎ方によるものだと思われる。そこに居眠りによる断ち切りも入るから全体的に夢の中にいるような感じになって浮遊感のある映画体験になった。これに近い体験としてはいつか能楽堂に能を見に行ったことが挙げられる。そのときと同じくらい夢幻という印象がつよかった。ただカメラのズームやパンの多用は好みに合わなかった。この好みはハリウッド映画を見ることにより強化された選好だと理解しているが感情にまで食い込んでいて取り去ることが難しい。
真剣に撮られたから、切実なものを含むから、という理由だけでその映画を楽しめる時期は終わってしまったのだろうか。体調を万全にして、睡眠時間も充分にとり、朝のうちから見るということをすればおそらくまだ面白く見られるはずだ。問題はその万全を期した状態を簡単には作れないこと、それをべつの活動に割り当てたくなることだ。どうしても優先順位はあるから仕方ない。
帰りがけにスタバによる。このスタバはスタバのなかでもかなりの上玉スタバで、かなり居心地の良い空間が展開されている。なかでもカウンター席は大きな窓から青山の学生をはじめおしゃれな人間が行き交うのを眼下に一望できてとても良い。友人の悩みについてアドバイスになりそうなことを考えようとしてみるが、回りくどくてわかりにくい文章がほんの何千字か書けただけに終わった。しかも書き終わらせることさえできず。人のことを考えている場合じゃない。
文章を書くことで頭の中を整理しよう。それが難しくても、それが難しいということが明らかになり、それを難しいことの箱に入れることはできる。それが整理整頓の第一歩だ。

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