それを回避するためにはふたつやり方がある。ひとつは「弱い」という性質の意味を押し広げ軟化させること。もうひとつはロボットを完全下位の存在として定位してしまうこと。前者は遠い道のりになってしまうこと、後者は示唆されるヒントを条件付きのものにしてしまうことがデメリットとして挙げられる。
志の高さを感じさせるためには前者を選ぶしかないが、実際にどういったことが起こるかといえば、暗黙に想定される志の高さに隠れて、受容自体は後者の捉えられ方にとどまるということが起こると考えられる。自分が得をするかたちでの誤解を訂正せずに黙っているのは、明らかに機械にはない性質だが、それはこの本で切り分けられる「弱い」とは異なるものであるだろう。実際には同じものなのかもしれないが、少なくともこの本のなかで語られる「弱い」ではない。
そもそもロボットを対象とする形容としての「弱い」は、それに対置される「強い」とともにかなり限定的なものであり、その定義は人間的な弱さよりだいぶ狭い。にもかかわらず、人間的な弱さをイメージさせる力を持っていて、まるで「弱い」一般のようにそれを利用しさえするので話がややこしくなっている。ただ個々のエピソードというか開発されるロボたちの話は具体例として適格という以上に魅力的で、あくまで理解のために引かれている補助線が良くない。
とはいえ、その惹句に惹かれてその概念を知り、その題の本を読もうと思ったのは事実なので仕方ないと思う部分もある。読む側で微修正すればいいだけのことだとも思うし。
続けて同著者の『ロボット 共生に向けたインタラクション』を読んでいるが、4分の1ほど読んだ段階でほとんど同じ内容なのが気になる。おかげで読みやすいは読みやすいのだけど、新しい箇所がないと読む意義はうすい。