20230311

西播磨展望台でのこと

情ハム


西播磨展望台でのこと

高校の時の友人たちと、卒業旅行の一環で西播磨展望台に併設されているコテージに泊まりにいった。卒業旅行といっても高校卒業後専門学校に通っていた友人の卒業旅行だったため、大学にいった私はまだまだのんきな学生の身分であった。

時期は3月でまだまだ寒かったのだが、道中でBBQの食材と酒と花火を買い込み、旅行のテンションでなぜかトランプとプラスチックバットも買っていった。到着してすぐの昼間は、これまた併設されていたバスケットコートで3on3をやって、夕方ぐらいから飯の準備をして飯を食い終わるとあっという間に夜の時間になっていた。星を見たのはほんの言い訳程度の短い時間にすぎず、そのあとは酒を飲みながら罰ゲームありのトランプゲーム(たしか大富豪だった)に興じた。夜通し飲んで、何を喋ったのかもろくに覚えていないのだが、とにかくプラスチックバットが「ケツバット」という罰ゲームの役に立ったということだけは覚えている。

3時すぎになって、友人のひとりが急に翌日の用事を思い出したようで「帰らないと」と言い出した。展望台は山の上に位置していて、基本的には車がなければ来られない場所にある。しかし30〜40分歩いた先に駅があった。友人はその駅から電車で帰るという。まだ暗いしその駅まで歩くのは大変ではないかと思ったが、酔っているのもあって、面白そうだし付いていくと申し出た。

当時の携帯電話のライトは申し訳程度の貧弱な光しか発することができなかった。コテージがある場所から一歩離れるごとにありえないほど暗くなった。一寸先は闇という言葉が言い表しているのはこういうことだったのかという発見があり、夜の山のおそろしさを初めて知った体験だった。歩こうとした道は、獣道でさえなく、舗装こそされていないものの普通の山道だった。しかし、帰ろうと焦っていた友人でも全然無理だと諦めるぐらいの本当の暗さがそこにはあった。あそこまで暗いということは月のない夜だったのかもしれない。一歩ごとに深まる闇に視覚が奪われていくにつれ、森のやかましさがぐんぐん前に出てきた。星を見上げるということは思いつきもしなかった。友人と私は、自分の足で真っ暗闇へと近づいていく過程で「これは無理だ」という感覚を、たまらず振り返った先のコテージから漏れる光のありがたさを共有した。

われわれは20歳を過ぎてもまだ山の夜道というのは歩けたものではないということすら知らなかった。街で生まれて街で暮らしてきたからだ。

朝日が空を明るくするのをコテージでしばらく待ってから、友人はひとりで駅まで歩いていった。


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